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2006年10月 アーカイブ

2006年10月01日

「エミ・エレオノーラ+ubu他」@1Mile(那覇)

昨晩はタイトルのライブに行ってきた。場所は那覇の「1Mile」(music bar 1Mile:那覇市安里 1-4-18 2F:TEL 098-861-0337 )

今日はなぜか全身が耳のようになっていた。たまにそういう状態になる。周りには知人が結構いたのだが、この状態になると、彼らともほとんど話さなかった。

ライブは、なんと全曲、歌込みの即興である。エミさんは何語でもない歌詞で即興に歌を歌う。とてもいい声だ。そして誰にも似ていない、転びながらするすると歌に付き従うピアノを弾く。
まるでジョークのようだが、テンションがある。即興でものができて行く緊張感。そこに立ち会う者の面白さ。予定調和的によけいなclicheはどこにもない。

これは脳みその洗濯だ。こういう予定調和のどこにもない音楽をたまに聴くと、日々世間で鳴っていて、否応無しに耳に飛び込んでくるコピペ音楽(あるいは音楽のようなにせもの)で汚れた脳みそがきれいになる気がする。

後半に入るとコウサカワタルさんがサロードを弾いて参加した。この北インドの楽器は、もとはubuさん所有のものであったが、縁を得てコウサカさんのものになった。すごくいい楽器だ。コウサカさんにとてもよく合っている。彼のもとで、ますますいい音楽を作り出すことになるのだろう。

ubuさんは、一曲しか弾かなかったが、やはりピアノが上手だ。バックグラウンドがなせる技か、音の芯があって、くっきりとしている。この辺りではあまり見かけないキーボードだ。
彼の今回の演奏の中心の一つはテルミンだった。新型のEtherwaveを最近入手したとのことでそれを使っていたが、まだ音程を探している感じがした。聞けば前の機種よりピッチコントローラーのレンジが広いとのこと。今はそこのところと演奏者の身体の微調整中のようだった。音はすごくいい。
彼のもう一つの道具が、手製の6弦シンセベースだ。これが音域が広い、太い音のでる、強力な楽器だ。

それにホールズさんが一曲はいって、名護辺りで買ったという鳥笛を吹いた。「1本1000円、2本500円?」というのだが、きっちりと音楽になっていた。

頭がクリアになり、いい気分で帰れたライブだった。どうもありがとうございました。

2006年10月30日

「光悦と樂道入」樂美術館

樂三代目である道入(ノンコウ)と、彼と親交の深かった本阿弥光悦の作品の展覧であった。開催は樂美術館

本阿弥光悦が好きである。刀の目利きであり研ぎ師であり、日本三隻と呼ばれる能書家であり、江戸に来いという家康の招き(か命令か)をやんわりと断り、それにより洛北の荒れ地、鷹峯に住まうことを命じられた。彼はそこで仕事を続け、その余儀として茶碗を作った。それが型破り、掟破りの自由闊達さである。そこに惹かれる。

光悦はわずか五碗しかない国宝茶碗(うち3つは中国製の天目、残り二つのうちもう一方は利休所持の志野茶碗「卯花墻」)の一つ、「不二山」を作っている。以前それを観に上諏訪のサンリツ服部美術館へ行った。割れを大胆に金継ぎし、それがデザイン意匠にまで昇華している「雪峯」は畠山記念館で観た。「村雲」は、以前に樂美術館で観た。観たい観たいと思いながら果たせないでいた「乙御前(おとごぜ)」を、今回樂美術館で観ることができた。不定形でアバンギャルドな形。高台はほとんど接地していない。意外に小さい。

彼はとにかく、思い切りがいい。思った形のままに作り、それをどうせ思い通りにはならぬ火の気まぐれにまかせ、あがったものの善し悪しを、目利きの感性で取捨選択したのだろう。観ること、作ること、思い切ることなどが絶妙にバランスしている。陶工ではない、現代から見ればプロのアーティストだ。それを彼が意識していたかどうかは知らないが。

そして「雨雲」も観ることができた。これは「村雲」とペアのような茶碗である。これも意外に小さい。
実は「雨雲」には個人的な思い入れがある。考えてみれば、今回ここには雨雲と、乙御前を観に来たようなものだ。その目的は果たされた。ただじっと眺めて来た。

「京焼 - みやこの意匠と技 - 」京都国立博物館

「京焼 - みやこの意匠と技 - 」という展覧会を観て来た。開催は京都国立博物館

京焼を、私は必ずしも好きではないのだが、歴史を追って包括的に展示しているようだったので、知識の整理といった感じで観て来た。

ざくっと言ってしまえば、京焼は古いものを観ておけばよい、といった感じがした。つまるところ仁清と乾山である。江戸時代(の京都)の、粋とけれんをたっぷりと表現したクリエイティビティを感じる。仁清のほうがより絢爛としていて、乾山のほうは、より粋を感じる。遊び人の兄貴、光琳の影響かもしれない。(「お兄ちゃんもっとしっかりしてよ!」と諭したらしい。それで光琳は本気で絵を描き始めた。。)

残念なことに今物は、時代を下ってその粋やけれんが京都から失われて行くにつれて、突き抜けた美しさを失って行ったように見えた。

昔の日本人の美意識は西欧がなんじゃい、という、若冲を観たときと同じような感覚を持った。
(日本語になってないね、この一文は。。)

「昔の」だ。

「伴大納言絵巻展」出光美術館

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学生時代には日本史などあまり気にしたことがなかった。しかしこういうものを見ると、その周辺だけはリサーチして詳しくなるものである。

国宝「伴大納言絵巻(あるいは絵詞)」は866年に起きた応天門の変を題材とした絵巻物である。事件についてはwikipediaの関連項目にリンクしておく。

三巻ある絵巻は、会期中にそれぞれの巻のオリジナルと、複製が時期をずらして展観されることになっている。現在は下巻が展示され、それ以外は複製である(といっても、ガラス越しに見ている分にはオリジナルと見分けはつかない)。

私はモノキュラーを持って行ったが、正解だった。拡大するとそれぞれの人物の細かい表情がわかる。それがとてもビビッドなのだ。表情の雰囲気は少し鳥獣戯画図に似ているかもしれない。昔人たちの絵画センスの洗練がまざまざと表れている。細密な筆の運びで描き表された、様々に描き分けられた人物の表情がとても面白い。

前回の風神雷神図の時と同じく、今回の展観も啓蒙的な解説が詳しくなされており、とてもわかりやすい展観であった。お薦めである。

「楽茶碗 赤と黒の芸術」三井記念美術館

三井記念美術館一周年記念で開かれている展覧会である。初期の楽がまとまってみられそうなので行って来た。

よい展覧であった。行く価値があった。長次郎を中心とした初期楽のよいものがたくさん集まっていた。無一物も、大黒も、今回初めて観た。
それらの茶碗は、どれも、それぞれの形の中で、究極まで形を追求されていて、緊張感がある。極められている、という感じがする。造形の世界で形にどこまでもこだわるのはとても重要なことだと、再認識した。

そして村雲があった。つい昨日、樂美術館で雨雲を観たのだった。続けて観られるとは、なんと贅沢なことよ。
村雲は雨雲より少し大きい。そして雨雲よりカセて、わびた感じがする。
雨雲、村雲の好きな私は、会場のソファに座って、ずっと村雲を眺めていた。

次はまたいつ目にできるやら。しばしの別れ。。

「衣裳・小道具で見る歌舞伎展」日本橋三越

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日本橋三越新館7Fで開催されいる。

展示されている衣裳はどれもみなきらびやかで、とても面白い。江戸の粋が表現されていると思う。
これらは衣裳であって、普通の着物ではない。舞台のための道具だ。だからあちこちこすれていたり、しかけがしてあったりするが、それもまた面白い。道具として経て来た苦労の歴史や、それを繕い、補修し、道具として完動させる裏方の工夫や着想がいろいろとみえて感心した。

伝統文化を支える舞台テクノロジーと心意気を見た気がした。面白い展観である。

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