July 01, 2006

「白バラの祈り」桜坂劇場

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スターリングラード攻防戦にドイツ軍が敗退した直後、前年より戦争終結を訴えるビラ配りなどの反戦活動を続けていた「白バラの」の唯一の女子学生、ゾフィー・ショルは、ビラ配布活動で兄とともに逮捕拘束された。映画はそこから始まり、5日後、人民裁判ののち、即日彼女が処刑されるまでを追跡する。90年代に東欧を中心に公表された、新たな資料に基づく脚本という。

逮捕され、処刑されるまでをゾフィーに密着し、その経過を追体験する映画だ。センセーショナルでない緊張感が全編を覆っている。
5日のいつ、彼女は本当に死を思ったのだろうか。最低99日は猶予期間があると言われていたのに、人民裁判直後に「すぐに別れの手紙を書いて」と告げられた時か。

リアルフォトに現われる少女ゾフィーは家族と友人を愛する普通の女子学生だった。
自由な形の信仰なのか? 彼女は空に向かって祈る。
開いたドアの向こう、真っ黒なギロチン台を目にした時はなにを思ったのか。

この映画を知ることになったi-morleyによれば、映画は過去のものではなく、現代の延長だ、と監督は語っているそうだ。それを現代のものとして捉えるリアリティが自分にはあるか?

彼女は2003年にヴァルハラの殿堂に加えられた。

白バラ(wikipedia)
ヴァルハラ(wikipedia)

Posted by sheemer at 12:39 PM

June 30, 2006

「銀河ヒッチハイク・ガイド」

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人類は地球で三番目に賢い生物である。二番はイルカ。そのイルカがいっせいに地球を逃げ出し、あとからヴォゴン人の建設船団がやってきて、ここに宇宙バイパスを造るので50年前からどこかの星系で公示してあった通り、地球は破壊すると言って破壊してしまう。。これが物語の始まり。

どたばたSFコメディだが、アイロニカルで上質かつダークなジョークがいかにもイギリスらしい。鬱で自分を(人生を??)悲観しているアンドロイド、マーヴィンのキャラが最高。

地球で一番賢い生物も最後にわかる。「あなたなぜここに?」という感じでジョン・マルコビッチが出ている。DVD音声解説もなかなか興味深い。

Posted by sheemer at 08:30 PM

June 10, 2006

ホテル・ルワンダ

あの「ホテル・ルワンダ」が桜坂劇場に来ていたので観て来た。

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これは混乱した男の物語だ。
部族?間対立と内戦の中、ルワンダにあるベルギー資本の四つ星ホテル「ミル・コリン」の支配人であった主人公ポールは、虐殺のターゲットとなっているツチ族(このフツ族・ツチ族という分類は、生物学的には意味が疑問視されている。ようするに「同じではないか?」と。この内戦後、ツチ・フツという呼称は現地ではタブーになっているとのこと)の妻を含む自らの家族を守りたい一心で様々な駆け引きを行って来たが、そこに難民となった同胞が多数押し寄せて来た。彼は否応無しにその人々を守ることになる。

未知なるものへの違和感に翻弄された2時間だった。
我々は、ネットを調べたりして、できうる限りの努力で、知識の範囲で未知の事象を知ろうとする。ルワンダの事情についてもそのようにする。
しかし圧倒的な現実の表現の前には、まったく言葉を失ってしまう。ただひたすら恐れ、興奮しているだけだ。
遠くにいて言葉でどれだけ語っても無意味なことなのだ。映画の中で「メディアの映像を見て『まあこわい』といってディナーを食べ続けている」のが我々だ。

あの現実を前にしてどう行動できるのか。主人公ポールは見事だった。粘り強く、現実的な交渉を行い続け、ぎりぎりの死線でダンスをしながらようやくくぐり抜けたのだ。周りから見れば彼はヒーローだろうが、本人はまったくそうは感じていないのではないだろうか。ただ翻弄され続けながら、可能性を模索し、できる交渉をし続けて、ようやく生き延びた、ということではないか。

現実にイメージが入り込んでくる。浮かれ騒ぐ日本。バカなテレビのバカタレント番組。ニュースをネタにした毎朝のバラエティショー。そういうものを目にするたびに、映画の光景がフラッシュバックしてくる。

会場は婦人会?のような方々がたくさんいられた。客席の後ろ半分はほぼ満席状態だった。あの内戦下の疑似映像を見ると、高齢の方は過去を思い出すかもしれないと思った。

外で機関銃声がするのに悠々とホテルのプールで水浴びをし、カフェでくつろいでいる外国人たち(このホテルはほとんど治外法権的である)。同じく銃声の中での、つかの間の夫妻の優しい語らい。現実の光景とはかくも不思議なものかと思った。

エンティングテーマにも心惹かれる。お薦めの映画である。

「100日間」に関するいくらかの知識

  • 殺戮は、フツの穏健派大統領の飛行機が撃墜されたことをきっかけとする。
  • 100日間で、約80万人のツチと呼ばれる人々、およびフツの協力者が、フツ過激派(民兵など)によって組織的・計画的に殺害された。少なくとも25万人の女性は、レイプされ、その後多くが殺害された。
  • フツ民兵は、ツチを教会や学校に集め、朝「出勤」してくると夕刻まで組織的に殺害を行い、夕方には「勤務」を終えて帰宅、翌日また出勤して殺害を行った。
  • http://www.hrw.org/reports/1999/rwanda/index.htm
  • 過去を風化させないために、ルワンダには「記念館」がある。そこは攻撃された教会で、破壊のままに残されており、中にはおびただしい人骨が、ビニール袋に袋詰めされたり、放置されたままに残されている。









    Posted by sheemer at 09:26 AM
  • May 15, 2006

    「ほしのこえ」

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    ご存知、新海誠氏による単独制作CGアニメである。

    この作品の映像の美しさと、それがたった一人のパソコン(マック)上の作業で出来上がっている、ということにまず驚きと賞讃を述べたい。すばらしいことだ。

    その上で、もう一度この作品をみてみた。画像制作の美点以外には、この作品はなにがいいのか?

    まずは、せつない。これは若い、成就していないラブストーリーだからだ。しかし、そう感じるのは、実はつかのまのことだ。
    これは「遅れて来た手紙」とどこが違うのか? なにがnewなのか?

    すでに我々の頭の中からは「遠く離れた世界」という概念がほとんどなくなってしまった。世界はemailとskypeを通じて、どことでもリアルタイムにコミュニケーションができるようになっている。「遠く」は存在しなくなったのだ。
    本作はその「遠く離れた世界」を現代にイメージとして再生している。しかしそれにはこれほどのギミックを必要とする。それほどまでに技術が進歩し切ってしまったのだ、と感慨する。

    そしてストーリーはロマンチシズムに至らない。8年の時空を乗り越えるダイナミックなストーリー展開が現われない。時間の制約などの諸条件もあるのだろうが、そういうところがかえって現代的、という感じもする。

    Posted by sheemer at 12:54 PM

    April 30, 2006

    「タイムライン」

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    「タイムライン」監督:リチャード・ドナー、原作:マイケル・クライトン、出演:ポール・ウォーカー、クリス・ジョンストン、ケイト・エリクソン他

    マイケルクライトン原作のSFアドベンチャー。英仏百年戦争のただ中に送られた現代の考古学者たちの物語。

    SFギミックによる舞台背景のせいで導入部がやや解説的にまだるっこしいのだが、それを別にすればストーリーは単純。SF的にちょっとわくわくする枠組みの中で、とても美しい迫力のある映像でシンプルな物語が展開する。

    エンターテイメント作品としてとてもよくできている。お薦めです。

    Posted by sheemer at 10:43 AM

    March 21, 2006

    二つの映画

    大昔の二つの映画を、「再び」見た。どちらもテレビでやっていたものだ。

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    一つは「卒業」だ。アン・バンクロフトとダスティン・ホフマン、キャサリン・ロスによる青春映画の傑作。前回はいつ観たのだろう。サイモン&ガーファンクルに傾倒していた時期だから、高校時代か? その時はもちろん映画館で観た。

    ストーリを知っている今、見直してみると、映像のスタイリッシュさに驚く。闇の中の会話や俳優たちの表情だけの会話など。どれもはまり役のキャストたちは、目線だけで演技できる。そういう表現を、まだハリウッドができる時代だったのだ。とてもかっこいい。

    S&Gの音楽の知的さも、あらためて感じる。

    キャストたちの服装などを観ても、これは最も美しい時代のアメリカの姿なのだろうと思う。
    もちろんその背後には、米国の隠れた問題がある。時は1967年である。「I have a dream.」という名演説を遺した牧師マーチン・ルーサー・キングJrは翌年殺害されているし、またベトナム戦争の時代でもあった。

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    一方「2010」。こちらは1984作で、映画界に燦然と輝く金字塔「2001年宇宙の旅(1968)」へのオマージュであり、解決である。ストーリーではモノリスの哲学的意味と、HAL9000の異常の原因が明かされる。

    謎解きのスタイルは荒唐無稽といえば確かにそうだが、とても優雅である。これは原作者A.C.クラークの特質だと思う。

    映画におけるエウロパからのメッセージの最後の二行は、原作にあっただろうか? 今それが手元に見つからず、確認できない。
    しかしそのメッセージの中身は、奇しくもキング牧師が「I have a dream.」で述べていることと同じであった。

    それはまた、現代の我々に向けての永遠のメッセージでもある。クラークの原作から20年、キング牧師の演説から40年以上経つが、我々は未だこの課題を解決していない。

    Posted by sheemer at 03:22 AM

    February 23, 2006

    「ホテル・ルワンダ」桜坂劇場で5/13より

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    あまり多くを語る必要はない映画だろう。簡単に言うと、ルワンダの内乱時のヒューマンドラマの映画化で、アカデミー作品賞などにノミネートされながら、「売れないだろう」という予測で大手映画会社が国内での配給しない予定だったが、ネットを通じた上映嘆願キャンペーンをきっかけに国内配給が始まった映画だ。

    リンクをいくつか挙げておく:

  • 公式サイト
  • 『ホテル・ルワンダ』日本公開を求める会(略称・「ルワ会」)
  • Podcasting954:コラムの花道:町山智浩さん:5月10日放送・『映画「ホテル・ルワンダ」紹介』(mp3ファイルへのリンク)

  • 「ホテル・ルワンダ」公開作戦記(日経BP)
  • 「ホテル・ルワンダ」公開作戦記:映画配給というビジネス(日経BP)

    さて、これを沖縄では配給するところがあるのか、と心配していたが、桜坂劇場が5/13から公開の予定である。よかったよかった。


    Posted by sheemer at 04:31 AM
  • December 19, 2005

    「トータル・リコール」

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    監督:ポール・ヴァーホーヴェン、出演:アーノルド・シュワルツェネッガー、レイチェル・ティコティン、シャロン・ストーン、マイケル・アイアンサイド他

    1990年製作の、今では古いSF映画、ということになる。CGがないわけではないが、合成技術を含め、それらの特撮は今のスタンダードから見ると「しょぼい」。

    しかし、これは古さなく魅力的な映画だ。

    まずは自己同一性を謎解きにしたストーリーの面白さが秀逸だ。脚本の元になったフィリップ・K・ディックの原作の持つ面白さだと思う。
    そして自己の内面探索であったはずのストーリーが、終盤ではエイリアンの未知の技術を持ち出すスケールの大きなファンタジーになっているところが、SFらしさを最大限に発揮しつつ、飽きさせない。

    全体が荒唐無稽なわけだが、2087年の火星という設定が、その荒唐無稽さを堂々と提示できる枠組みとして存在していて、そこでは「リアリティ」などというものはあまり重要でないし、特撮の穴(そうひどいわけではない)も気にしなくていい。

    SFらしい荒唐無稽を、SFらしく堂々と視覚化していると思う。お薦め。

    Posted by sheemer at 01:10 AM

    November 12, 2005

    「ミュージック・オブ・ハート」

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    監督:ウェス・クレイヴン、出演:メリル・ストリープ、アンジェラ・バセット他:浮気した夫と別れ、子供とともにイースト・ハーレムの小学校でバイオリンクラスを開設し、10年で1000人以上を教えた女性の物語。予算事情によりクラスが廃止と決定された時それに立ち向かい、多くの音楽家などの支持を得てクラスを存続させる。

    これは美談の映画化である。映像表現としては単調だ。そしてすべてのものがそうであるように、ひょっとしたら我々の知らないアナザーサイドもあるのかもしれない。

    がしかし、美談には価値がある。これは伝えられるべきものだ。率直に支持したいと思う。
    それはミヒャエル・エンデが語るように、どんなにひどい時代、世界にあっても、子供には「希望」を教え伝える必要があるということを、この映画は音楽の世界での事実として伝えているからだ。

    この映画でも音楽の力を感じる。それは音楽家同士のちからであり、つながりである。言葉ではない、「同類」としての力だ。
    本人として出演しているアイザック・スターンが、カーネギーホールの歴史を短く、印象的に語っている。美しい表現だと思う。

    主演のメリル・ストリープは吹き替えなしで撮るためにバイオリンの猛特訓をしたというが、彼女は、たぶん、その間に「音楽家の秘密」を体得したのではないだろうか、そんな気がする。

    Posted by sheemer at 12:05 PM

    November 06, 2005

    「惑星大怪獣ネガドン」

    新人(アマチュア?)の粟津順監督が自主制作したフル3DCGアニメ映画。といえば「普通」に聞こえるが、舞台が昭和100年という、「三丁目の夕日」のような昭和30年代がそのまま100年後まで続いたような感じの世界で、しかも日本の古典的な「怪獣特撮映画」の雰囲気を3DCGで模しているところがユニークである。

    マイミクのEN君に教わったので、行って来た。そういえばマイミクのなっちゃんたちも出品していた「東京国際ファンタスティック映画祭2005」の招待上映作でもあるとのこと。テアトル池袋でのレイトショー1週間のみの上映とのこと。

    池袋東口を出て、場所が分かりにくいので交通案内をしている女性に聞いた。西武池袋からちょっと南に下った道向かいの、アディダスの路面店の入っているビルの8Fとのこと。その通りにすぐわかった。ありがとうございます。
    エレベーターに乗ると7Fまでしかボタンがない。8Fには隣のエレベーターでしか行けないということらしい。7Fで降りて隣のエレベーターを待つと、これが満員。この先が予想できた。。やり過ごして8Fからの下りを捕まえて1Fまで下りてから、また満員となったそのエレベーターで8Fへ上り直した。

    映画館入り口には小松崎茂風のポスターが掲げてあって、期待が高まる。思った通り会場は特撮映画好き、秋葉好きの電車男カテゴリの観客であふれていた。係員からすでに立ち見となることを宣言され、チケットを買って立ち見客の最後尾に並ぶ。それは階段を4Fほども下って行ったところにあった。。ちょうど鳴っていた「Return to Forever」と「saigenji」を聴きながら30分くらいを過ごした。

    時間が来て会場に入ると250席くらいの満席の客に加え、100人くらいの立ち見客があった。本日が初日となる上映前に、監督と数人のトークショーがあった。あまり内容なく10分くらいで終了し、本編上映となった。

    映像は押井守の「アヴァロン」のような暗く、モノトーン調の光線効果が全編の基本となっていた。そして広角なのにパンフォーカスにならない「箱庭、ないしは着ぐるみ特撮的」視覚効果が上手に使われていた。現実の感覚を裏切るので、いかにも特撮的に見える。

    しかしそれが全編フルカバー的には利用されておらず、一部にはストレートな3DCG的手法もあるため、「特撮映画的効果」を狙ったのか、ふつうの3DCGを狙ったのか、どっちつかずのところも部分的にはある。

    25分の映画だが、ストーリーは、はっきりいって特撮怪獣映画に何のストーリーを望みましょうや?、といういうことだが、だって特撮怪獣映画なのだから、それで全然よいのだ。

    全体としてはとてもよくできていて、率直に楽しんで拍手できた。新しい才能で、これからも活躍してほしいと思う。

    Posted by sheemer at 06:38 AM

    February 12, 2005

    「毎日が夏休み」

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    Sat Feb 12 11:59:11 JST 2005
    movie:「毎日が夏休み」金子修介監督、佐野史郎、佐伯日菜子他:大島弓子の漫画の映画化とのこと。突然会社を辞めたエリートと登校拒否の娘が何でも屋を始める話。

    大島弓子のコミックは学生時代によく読んだ。かなりハマっていたといっていい。夢見るような、しかし一本芯が通った雰囲気が好きだ。
    映画ではその雰囲気が、まあ7割方は表現されている感じがする。それでも「芯」よりは「ほんわか」方向に傾いているのは、映画というメディアにまとめるための方法論かもしれない。
    コミックを映画化したと思えば、よくできていると思う。配役もよく考えられている。特に、ナタリー・ポートマンに似た佐伯日菜子はいい感じだ。

    考え直してみれば当たり前の幸せが、そうは見えなくなっている日常を、明るく捉え直して幸福な感じにさせてくれる映画だ。クランクインが雨で延期されたのがメイキングに出ていたが、この映画、そういえば雨のシーンが全くない。確かに晴れの日を連想させる映画といっていい。
    毎日が夏休み、毎日が晴れ。

    Posted by sheemer at 12:21 PM

    December 20, 2004

    スターシップ・トゥルーパーズ クロニクルズ BOX 1

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    同名の映画版に対するテレビシリーズの一部。4つのエピソードからなる。アメリカ本国では不人気で放送途中で中止。なので最後の数話はこのボックスには含まれていない。その後カルトな人気が出たようだ。
    映画版は実写+CGだが、こちらの方はヒューマンキャラクターを含めて、全CGである。つまりトイストーリー的な制作方法。
    この出来がかなりいい。本作が制作されたのは1999年で、「フルCGアニメ」として有名な「ファイナルファンタジー」が2002年である。CGのでき、という観点では、後発で技術的にも成熟しているFFの方が明らかに有利なはずだが、映像のリアリティという意味では、このSTの方がはるかに上の感じがする。これを見知っている観客がFFを一顧に値しないと考えるのは当然かもしれない。

    何が違うのか。よりチープに見える方がよりリアルなのはなぜか。

    まずは、人の動きの所作が、STの方がリアルに見える。ある種のポイントの押さえ方が上手で、それが雄弁にリアリティを発揮している気がする。顔の表情も、技術的には稚拙だが、FFの能面のような感じよりはよりヒューマンで「らしい」感じがする。
    風景映像はSTでもFFでも、とくに時代が下ったFFでは自由に作れるはずだが、なぜかSTの方にリアリティがある。これは何だろうか?
    また、メカニズムの細かいギミックの在り方が、STの方ではより細かく、それらしく見えるように努力されていると思う。その例の一つは降下部隊が発信する時の底部ハッチの開き方と閉まり方。必要最小限の時間だけ次々と開き、次々と閉じて行くのがとてもリアルに感じられる。

    ヒューマンドラマとしても、STの方がよりわかりやすく、説得力がある。
    逆にFFはより大きく、解釈がいろいろで、結論も微妙なテーマを扱っていると言えなくはないが、映像表現の中にそれを十分に溶け込ませ切れていない。大上段に振りかぶったつもりが、大して認識されていない。
    一方、こちらSTは、ストーリーは単純、バグを殺しまくってやっつけるというもので、細かいミッションの区切りはまるでテレビゲーム的とも言える。大昔の、ハインラインのスペースオペラという物語の骨格の事情によると言えるが、だからこそ、わかりやすくすぐにストーリーに入って行きやすく、その中でのヒューマンドラマを感じることができ、ストーリーと世界観の範囲内では感動することもできる。そのあたりがFFよりははるかにうまく作られていると思う。

    FFよりはずっと観る価値あり。またフルCGの技術でない何かが、人間に訴えかける本質だということも認識できる。

    Posted by sheemer at 12:50 AM

    November 22, 2004

    「スクール・オブ・ロック」

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    監督リチャード・リンクレイター、出演:ジャック・ブラック、ジョーン・キューザック他:バンドを追い出され、金に困ったロックミュージシャンが、私立校の先生になりすまして学内バンドを作ってしまう話。

    ストーリーは割合に典型的、定型的で新味はない。
    それより面白いのは、そこに表現されたロックマンの生態だ。ロックは反抗だ、MTVなんかに抱き込まれて予定調和するな、後は全開突っ走り。そこにリアル・ロックミュージシャンの姿が浮かび上がる。
    たまたま先日京都で見たロックバンドを思い出した。そうか、そういうポリシーと演奏スタイル(と、恐らくはライフスタイル)もあるんだ、と再び納得。

    Posted by sheemer at 07:31 PM

    October 17, 2004

    「スイングガールズ」

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    「スイングガールズ」矢口史靖監督、 上野樹里・貫地谷しほり・本仮屋ユイカ・豊島由佳梨・平岡裕太、 竹中直人/白石美帆・小日向文世・渡辺えり子/谷啓他。

    田舎町の高校の女子生徒たちが、補習をエスケープするために始めたジャズバンドが、マジな活動になるまでを描く。

    というが、ストーリーはじつはどうでもいい。映画作法としてはかなり乱暴に撮られていると言ってもよいようだ。そもそもが楽器経験もない女子高生たちを数ヶ月でビッグバンドにしなくてはならないのだから。
    そういう意味での映画のできは別として、やはり観る価値のあるすごい映画なのだ。なんと言っても、吹き替えなしで自分たちのパートを全部演奏しているハイティーンの女子ビッグバンドがそこにある。そのことだけで十分に観る価値があるのだ。

    Posted by sheemer at 01:30 PM

    August 29, 2004

    「リターナー」

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    監督:山崎貴、金城武、鈴木杏、樹木希林、岸谷五朗他:未来で起きる異星人との戦争を止めるために、過去に介入する目的で現代にやってきた少女と、それを手助けすることになる若者の物語。
    まずは日本でもこれだけのクォリティのSFX映像を撮れるようになったのかと驚く。ばっちり決まった映像。鈴木杏も、金城武も、岸谷五朗も、樹木希林もいい仕事をしている。
    コレクションに加えてもいい一作。

    「リターナー」にはいろいろな意味がある。ミリもリターナー、宇宙人もリターナー、ミヤモトもリターナーかもしれない。

    ところでこの「リターナー」で鈴木杏に妙にハマってしまって、「ロリコン」などと家族から言われる始末。それでも「『リターナー』の鈴木杏、鈴木杏」と言っていたら「前からずっと知ってるじゃない」と言われて仰天した。「え?、なんで?」「『青い鳥』」「え??」
    というわけで、ずっと昔(1997年だそうな)のテレビドラマを思い出した。「青い鳥」という連続ドラマだった。豊川悦司が主役。普段はテレビドラマは観ないのだが、これだけは妙に気になって毎回観ていたのだった。その主役豊川の不倫の恋の相手役、夏川結衣の娘として出ていたのは、なんと鈴木杏だったのだ。「青い鳥」の特集本のページをめくると、たしかにそこには小学生の鈴木杏ちゃんがいた。顔を見ればたしかに、あのリターナーの鈴木杏である。好みとかなかなか変わらないものだと、我ながらに感心。

    Posted by sheemer at 02:29 PM

    August 11, 2004

    「マッハ!」

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    監督:プラッチャヤー・ピンゲーオ、出演:トニー・ジャー、ペットターイ・ウォンカムラオ、プマワーリー・ヨートガモン他

    奪われた仏像の頭を取り返すために、ムエタイを究めた若者がバンコクで戦う物語。
    とストーリはまとめられる。本作の最大の見所は、やはりこの主人公の驚異的な運動能力とその映像表現である。ワイヤーアクションやCGなしという、ストーレートにがすっと突っ込んでくる映像が楽しい。リュック・ベッソンの「TAXI」を観ているような感じか。一緒に出てくる、坂田明と南伸坊を足して二で割ったような俳優も面白い。

    黙って観る、に一票。

    Posted by sheemer at 09:04 PM

    August 03, 2004

    「王立宇宙軍:オネアミスの翼」

    たまたま先ほどBSで放送していたので、観た。

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    パラレルワールド的人類世界で、初めての有人人工衛星を打ち上げる王立宇宙軍の男たちの物語。

    やや押井守的な雰囲気とパースペクティブで展開していく物語。映像のできは、1987年の製作ということを考慮すればかなりよいものなのだろう。というより、レトロフィットした、やや朝鮮的な風景やコスチュームイメージが十分に魅力的だ。
    周辺テーマの本編とのつながりがやや希薄で、全体の印象がやや曖昧。とは言うものの、とりあえず一回は観る価値あり。もちろん気に入って何回も見る人もあるかもしれない。わたしも実はテレビで観るのはこれが3回目くらいか。
    オープニングとエンディングの絵もいい。

    ガイナックスは本作の製作のために創立されたそうだ。

    Posted by sheemer at 11:02 PM

    July 19, 2004

    「リリイ・シュシュのすべて」

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    「リリイ・シュシュのすべて」:監督:岩井俊二、出演:市原隼人、大沢たかお、伊藤歩その他

    146分の長尺の映画。切れのよい映像はいつもの通り。「がすん」と突き刺さる映画、というか、どすんと乗ってくる映画、というべきか。
    おそらくは登場人物の同世代にとってはリアルでそのまんまの現実が、ただどん、とそこに提示される。そのどん、はたぶん、我々がともすれば自然に(自然なふりをして不自然に)眼をそらしがちのことで、ただそれが提示される。そのシンプルで有無を言わせない方法論と提示される事実がわれわれにのしかかる。

    エヴァンゲリオンの庵野秀明が、映画版エヴァを語って「お金を払って見に来ている人に、不愉快を与えるのも作家の仕事(だったか自由だったか責任だったか)」と話していたが、この映画で直裁に提示されるものの不愉快で強烈なインパクトは、エヴァを遥かに上回る。しかもそれがとてもとてもクリーンで印象的な映像作法(彼の映像のクリーンさ、整理のされ方加減は、一種アニメの画面の整理のされ方に似ていると思う)で示されるので、見ている方はいたたまれないくらいだ。
    現代の我々はこれから一体どこに向かうのだろうか。

    思い起こせば、伊藤歩を知ったのは「のど自慢」。それで興味がわいて検索して観たのが「スワロウテイル」。そこからぐるっと回ってここにやって来たらまた伊藤歩がいた。彼女ってすごい。

    観る価値大いにあり。

    Posted by sheemer at 09:02 PM

    July 06, 2004

    「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」「少年たちは花火を横から見たかった」

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    岩井俊二監督作品。奥菜恵、山崎裕太他。

    前者はもとは1993年のフジテレビのテレビドラマ「ifもしも」の一本だったようだ。同年日本映画協会新人賞を受賞し、翌94年、劇場公開。

    少年たちの花火の構造に関する疑問と、ある少年少女のつきあいが描かれる。

    映像がわざとらしさがなく、描かれるべきものが無駄なく非常にすっきりときれいに写っている。そしてその「すっきりときれいに」のレベルがとても高い。テレビでここまで撮れちゃうのはなぜ?、と思うくらい。
    ストーリーの前半は、「if」の最初の方になるわけだが、必ずしも必要ではないのかもしれないが、後半に感情移入できるための大きな前ふり、という効果はあるのかも。
    本来的には撮影方法に関する論評などなしに楽しんでしまいたい。そうして気楽に楽しめる作品がこれだけのクォリティを持っているのは、実に幸せなことだ。
    後者は、前者に関する6年後のメイキングあるいはドキュメンタリー、プラスアルファ。

    ふと見てみたら「スワロウテイル」も彼の作品だった。「式日」の主役級も彼。以前から気にはなっていたわけだ。なるほど。

    またこうして見ていると「フィルム的」映像のリアリティは何だろう?、と感じてしまう。現実のありさまにより近いのはビデオのはずなのに、映像として流れたとき、フィルム的な表現の方によりリアリティを感じるのはなぜなのだろうか。現実映像はカメラ的視点を持たないから、ビデオカメラの映像にはかえって違和感があるのか?

    Posted by sheemer at 07:24 PM

    June 21, 2004

    「17歳のカルテ」

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    監督:ジェームズ・マンゴールド、原作:スザンナ・ケイセン、出演:ウィノナ・ライダー、アンジェリーナ・ジョリー、ウーピー・ゴールドバーグ他

    実話に基づくという。1960年代の雰囲気の中で精神病院に入院することになった17歳の女性の物語。
    群像、という捉え方もできるのだろう。彼女たちの誰もが、また誰でもあり得る。ある年代の精神科診療のあり方、というポイントも影響するし、またベトナム戦争に対する知的な若者の反対闘争の時代、公民権運動、というポイントも当然ながら影響する。しかし映画は残念ながら1960年代の雰囲気そのものを上手く描き出していない。多分当時を知らない若い人にはわからない背景要素があるのだと思う。

    とても興味深い映画であるし、映像も音楽もよく撮れていて、役者も皆素晴らしい演技をしているのだが、それでもなにか少し遠い物語、現代の少なくとも日本の若い人のあり方とは違うような気がする。
    たぶん登場人物らの共感とその表現、というレベルの違いか?

    面白い映画。アンジェリーナ・ジョリーもウィノナ・ライダーも、はまり役。観る価値がある。主人公の原作者スザンナ・ケイソンによる本「思春期病棟の少女たち」も翻訳出版されている。

    Posted by sheemer at 12:01 AM

    June 05, 2004

    「シンドラーのリスト」

    「シンドラーのリスト」:監督:スティーヴン・スピルバーグ、原作:トーマス・キニーリー、
    出演:リーアム・ニーソン、ベン・キングズレー、レイフ・ファインズ他。:ドイツ人実業家オスカー・シンドラーがクラコウからアウシュビッツに送られるはずのユダヤ人約1200人を、工場労働者として救出した実話に基づく物語。

    監督がスピルバーグだというこの映画を、私はなぜかずっと忌避して来た。理由はどうもよくわからないのだが、スピルバーグの夢物語めいた作法が、物語を「お涙ちょうだい」にしてしまっているのではないかと勝手に想像していた。シンドラーという男がユダヤ人を救った。そのことだけ知っておけば十分ではないか、と。
    それを今回はBSシアターでやるところに出くわした。やれやれ、見るしかないか…

    物語は私が思っていたものとはだいぶ異なっていた。これはビジネス目的で賃金の安いユダヤ人労働者を使って工場を開いた男の話だった。それにややキレ気味のドイツ軍将校としてレイフ・ファインズがからむ。
    彼はこの事業で大成功するが、ある時から工場従業員として働くユダヤ人たちを救うための活動を行うようになる。何が彼をそのように変えたかはあまり明確には描かれない。現実にあれだけの虐殺が行われているところに出くわせば、そういう変化もあるのだろうか。それ暗示する赤いコートの少女。
    結局のところ、シンドラーの変節の理由ははっきり見えないが、彼のなしたことの結果は胸を打つ。彼に助けられた生存者と、演じた俳優が彼の墓を訪れる。最後のその映像には、涙をこらえきれない。
    映画の役柄としてはレイフ・ファインズがぎらぎらと光っている。

    そしてまた、私は杉原千畝を思い出す。この日本人外交官は、本国の命令に反して難民に対してビザを発給し続け、数字の上ではシンドラーを上回る数のユダヤ人を助けているのだ。

    シンドラーの「戦後」は振わなかった。杉原は戦後収容所生活の後に帰国したが、2ヶ月後には外務省を罷免された。

    彼らの勇気と偉業に敬意を。

    Posted by sheemer at 01:18 AM

    June 03, 2004

    「深呼吸の必要」

    shinkokyu.jpg

    深呼吸の必要」:香里奈、谷原章介、成宮寛貴、金子さやか、久遠さやか、長澤まさみ、大森南朋、監督:篠原哲雄、脚本:長谷川康夫:とある沖縄の離島に「キビ刈り隊」としてやって来た7人の男女の物語。彼らのうちの何人かは、それぞれトラウマを抱えている。35日間、7万本のサトウキビの刈り取りのあとに彼らが得たものは…

    と書いてしまうと、それでストーリーが終わってしまうかもしれない。ストーリーはそれぞれの登場人物のトラウマを深くは追わない。「等身大」と解説に書かれているが、実際に短期間つき合ったらそのくらいしか相手を知ることができない程度の深さまでしか細かい話を追わない。それぞれ手首に傷があるのを見つけたり、「いっぱい返すものがある」と言ったり、そういうレベル。またそこから生まれるつながりも、極端に強いとはいえない。彼らがこの島を離れたら、二度と再び会うとも、会おうとするかもわからない。そもそも現実とはそんなものかもしれない。それが現代的リアリティなのだと考えれば、よく撮れていると言えるだろう。

    それより何よりパワフルなのは、目の前に広がる7万本のサトウキビで、それを刈り取ってしまうという行為自体が十分にアートとして成り立っている。マジに登場人物にこのサトウキビ畑を全部刈り取らせるドキュメンタリーを作っても、十分に説得力のある映像が撮れたかもしれない。
    キビ刈りは「うーじーとぅーしー」あるいは「キビ倒し」として沖縄に住むものには知られているが、それがこんなに大変な作業だとは知らなかった。

    こちらに公式サイトがある、というが、私のSafariでは見えないので、ヘラルドにある公式ページにリンクしておく。
    公式サイトにあるプロダクションノートが面白い。
    長田弘の詩集「深呼吸の必要」も読んでみたい気分になった。

    Posted by sheemer at 06:21 PM

    May 23, 2004

    「ロスト・イン・トランスレーション」

    「ロスト・イン・トランスレーション」(Lost in Translation):監督:ソフィア・コッポラ Sofia Coppola:ビル・マーレイ Bill Murray、スカーレット・ヨハンソン Scarlett Johansson他:

    CM撮影のために東京を訪れたアメリカの映画俳優ボブ・ハリス(ビル・マーレイ)が、言葉のわからない異国で知り合ったシャーロット(スカーレット・ヨハンソン)と体験する出来事。
    主人公二人はどちらも異国で家族と離れ、一個人となって孤独感を感じると共に、自己の内面への再認識を行っている。

    ここには、言葉のわからない異国での二人の外国人の体験が描かれる。彼らを取り巻く、言葉の通じない人たちの世界の印象が、シンボリックなハリウッド調でない、手持ちカメラの、むしろ日本映画にありそうな撮影手法と描画法で描かれる。それは我々日本人が東京に持っている印象とは異なり、よりずっとアジア的であり、雑然と混沌としているようだ。これが、ごく普通の外国人から見た日本の印象なのかもしれない。
    不思議なことに、それは私自身の東京の観察の結果と不思議に符合していて、見ていて違和感がない。私自身が東京に住んだことはなく、旅人として東京にいるからだろうか。その意味ではあまり外国人と変わりがないのかもしれない。

    しかし、この映画で私がもっている印象が、仮に外国人が東京を見ている印象と相似しているとして、この作品のどこが、アカデミー候補に挙がり、ゴールデングローブ賞をとるほど注目されるべきのものなのか?
    その答えは映画の最後に立ち現われる。日本を去るボブがタクシーに乗ってからシャーロットを再発見する、そして最後の一時だけ、それぞれが、人生の全てのしがらみから解き放たれた一人の人間、一個人になって互いに心を通わせる。この一瞬で、ただの異国旅行の出来事が、美しく、優しいヒューマンドラマに変身する。この心の機微が描かれているところが凡百のハリウッド映画とは異なると言えるだろうし、おそらくはそれが評価されたのだろう。

    最後にボブがシャーロットをハグしながら耳に何かをささやく、それがなんと言っているかがよくわからずにorkutで質問しようとしたら、すでにその話題はでていて、結論は「なんだかわからない。わからなくてもよいこともある」とのことだった。結局のところそれは誰も知らない、美しい言葉であるらしい。:)

    見た映画館は桜坂シネコン琉映。再整備されたとはいえ、小さな裏町の映画館である。出てから旧グランドオリオン前の「青島食堂」で餃子を食べ、しばらくは夜の街を一人でぶらついた。そういうことをしたくなる映画だった。

    Posted by sheemer at 09:08 PM

    May 16, 2004

    「ブリット」

    「ブリット」ピーター・イエーツ監督、撮影:ウィリアム・A・フレイカー、音楽:ラロ・シフリン、出演:スティーヴ・マックィーン、ジャクリーン・ビセット、ロバート・ヴォーン、ドン・ゴードン他。証人殺害事件を追う刑事ブリットの物語。

    ストーリーは刑事物にはありがちな話で、これといった特徴はない、というより典型的なのだと思う。そこを掘り下げてもしかたがないわけだが、あえて言うならロバート・ボーンの役柄が単なる狂言回しになっているところが残念と言えるか、もっとストーリーに絡んでもよいかもしれないと思った。マックィーンの「男は黙ってやることをやる」というスタイルが決まっている。

    映像はクールで美しく、かっこいい。1968年公開作品だが、こういう美しさを映画はいつの間に失ったか、という気がする。似ているのは、「エリン・ブロコビッチ」「アメリカン・ビューティー」あたりか。典型的なカリフォルニア・ジャズのサウンドトラックもばっちり決まっている。
    カースタントで有名な作品でもあるが、スタントなしのカーチェイス、ラロ・シフリンのジャズサウンドと美しい映像とともにすぐ思い出すアナロジーが「栄光のル・マン」だが、オールシネマオンラインあたりでチェックしてみると、監督も撮影も、音楽もまったく別だった。それでも雰囲気はかなり似ている感じだ。「…ル・マン」を含めてマックィーン自体のコンセプト、ということなのか。「…ル・マン」も「男は黙ってやることをやる」という点では変わらない。画面のリアリティを含め私の大好きな映画の一つ。

    Posted by sheemer at 11:23 PM

    April 26, 2004

    映画「アップルシード」

    appleseed_screen.jpg

    「アップルシード」を全く先入知識なしで観たのだが、非常に面白い映画だった。一見の価値がある。
    ストーリーのネタばらしはなるべく避けることにして書くと;

    まずは、CGのできが素晴らしい。非常に素晴らしい。
    非常に素晴らしいことを前提にした上で「あと一歩、惜しかったねえ100点満点の2点減点」というレベルでいうと、これほどのCG作り込みでも、微妙な「重量感」を出すのがCGではまだ難しいのだ、ということがわかった。
    微妙とはどんなレベルかと言うと、たとえば靴のゴム底が歩く時にわずかに変形して体全体が沈む、とか、キャラクター同士が抱き合ったときの最後の、肉体がやや変形しながら弾力的にぶつかり合うフェーズとか、体がベッドの上に投げ出された時の身体全体の最後のバウンドと沈み方、といったレベルだ。それより大きなモジュール単位、たとえば腕とか体とかのレベルではほぼ穴がないにもかかわらず、より小さい単位の微妙な違和感が人間の目にははやり認知できる、ということだ。それ以外のCGは非常によくできている。「イノセンス」の予告編でバトーとだれかがこちらに向かって走ってくるところのアニメ表現などに比べれば、ずっとリアルだ。

    もう一つ不思議だったのは、あれだけ精緻にバーチャルカメラのピントや被写界深度や空気感などを微妙に調整しているにもかかわらず、巨大な建物全体がウルトラマンの風景的な「箱庭」にみえたことだ。おそらくはあれだけのスケールの建造物の間を、たとえばヘリコプターのフライバイカメラが通ったら、あのスピードでは移動できない。またカメラがパンしたり方向を変えたりするときの動きが、ヘリコプター的でなく、クレーンカメラ的なのかもしれない。そこのところの現実とのギャップが、建物の巨大性の視覚イメージをスポイルしているのではないかと思った。これも微妙なことなのだが、やはり視覚効果への影響は大きい。

    キャラクターの動きにも興味深いことがあった。一つは女性キャラクターがいかにもアニメアニメな表情をすること。能面のような「ファイナルファンタジー」よりは格段に進歩しているが、人間ではない動作。もっともこれは半分意図的(アーティスティックないしは作り手の「アニメキャラ」への思い入れ)かもしれないが。:)
    しかしそれよりもさらに妙に(かなり妙に)リアルなのがサイボーグであるブリアレオスの「人間的な」動作だ。主人公デュナン・ナッツに兵舎やヘリコプター(かSTOL機)の中でなじられた時に、頭部が微妙に動く、その動作が、めちゃめちゃ「人くさい」感じがする。なぜそう感じるかがよくわからなかったが、とても興味深かった。(ましかし「ごほごほ」って咳するのはさすがにサイボーグとしてはいかがなものかと思ったが。こういうところはむしろ押井がうまいかも。)

    まだ観てもいない「イノセンス」と比較するのはフェアではないかもしれないし、自分はむしろ「甲殻機動隊」あたりと比較しているのだろうと思うが、本作品は押井作品よりビビッドさを感じる。おそらくは、こちらの作品においては多数のキャラクターが多彩多面的に描写されているところが、限定されたキャラクターを内面的、私小説的に描写する押井の手法よりもより活発な感じを出しているのだと思う。

    世界観がくっきりしているということも、ストーリー全体に「哲学が」あるような雰囲気を印象づけていると思う。押井はこういうところが(少なくともイノセンス以前は)からっきし下手で、世界観が私小説的雰囲気のバックグラウンドとして埋没してしまい、妙に斜に構えた「四畳半的」雰囲気が消えないので、ストーリーで行われていることの世界観的意味がリアルに理解されてこないのだ。同じ士郎正宗の原作なのにどこでこうも違うか、と驚くところでもある。
    ビビッドでくっきりとした世界観が、物語の意味を際立たせていて、面白さを増している。押井的四畳半的風情とこちらと、どちらがよりよい、というわけではなかろうが、こちらは少なくとも物語的にクラシカルな「希望」を携えた映画であるところが、映像作品を観る観客としてはうれしい。「どんなに希望のない現実世界にあっても、物語は『希望』を提示しなくてはならない」というミヒャエル・エンデの言葉を思い出す。

    一見の価値ある、面白い映画だ。帰りの車のラジオでIlmari × Salyuの「VALON」が鳴っていた。とてもいい雰囲気だった。

    観終わって帰ってきてから公式サイトをみてみたら、筑紫哲也を始めとして普段あまりこのあたりでは見かけない人たちが評価しているのが興味深かった。

    後記:ストーリー中の軍部の動きと、その中で中途半端に中枢にいる三角目玉のキれた将校近辺の描写が今ひとつだ。ストーリーを時間内にまとめあげるのに省略しすぎたか?

    Posted by sheemer at 01:13 AM

    April 23, 2004

    映画「MIND GAME」は興味深そう

    mindgame.jpg


    「MIND GAME」
    という映画がこれから公開されるらしい。実写、2D、3DCGの合成映像作品ということらしい。

    妙に惹かれた。あの手の合成といえば、ロード・オブ・ザ・リングの大昔のディズニー版があるし、全体の色のイメージでは「イノセンス」的でもあるのだが。あれよりも魅力的に見える。

    イノセンスは全て2D/3DCGと理解しているが、それより魅力のようなものを感じる。人とその人の表情を人間が演じていて、かつ全体がアニメのフレームワークの中にある、という面白さなのだろうか。
    「自分の思い通りにならない」要素を全部取り外して、全てコントローラブルにした「イノセンス」は、見方を変えれば「人がいないだけお手軽」といえなくもない。それより人と、合成映像との組み合わせに、作品世界を構築する複雑性が見えて、そこに面白みを感じているのか。その事自体はストーリーよりさらに外側の話なので、そこをおもしろがるのはジュラシックパークの特撮技術をおもしろがっているようなものなのだが、それもまた映像作品の面白さだろうし、その構成のあり方が映像イメージへの印象を変えることもある。

    ストーリーは全く知らないので映像の面白さだけにフォーカスしているのだが、それだけでも面白そう。

    Posted by sheemer at 07:19 AM

    April 12, 2004

    「四季 ユートピアノ」

    カテゴリが「Movie」になっているが、実際はテレビドラマである。

    「四季 ユートピアノ」というテレビドラマをご存知だろうか。Googleで「ユートピアノ」と検索するとたくさん出てくるが、どれも一つのところを指している、そのものである。映像系のマニアの人ならかなりの人たちはご存知であろう。
    NHKのディレクター・佐々木昭一郎氏の作品で、エミー賞を受賞している。佐々木氏はこれ以外にも印象深い、魅力的なテレビドラマを創りだす異才である。以前、別作品について記事を書いたことがある。
    「四季 ユートピアノ」はビデオとして発売されたこともあるようだが、現在は入手困難なのではないかと思う。また佐々木氏の著作「創るということ」も絶版で、どちらもtanomi.comの復活候補にされている。(ちなみにうちには「創るということ」がある。どこかに。^^;)

    ストーリーを追ってもあまり意味がないのだが、主人公・A子が、家族や彼女の世界の音の日記を綴りながら、故郷の小学校にピアノを置いてくる話だ。佐々木作品独特の詩情とマーラーの交響曲第四番、バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」が印象に残る。
    1980年の作品なので、もう見ることもできないかと思っていたら、なんと横浜の「放送番組センター」のアーカイブに見つかった。電話してみると、アーカイブは閲覧可能ということなので、横浜での用事ついでとばかりに観に行った。

    この日は東横線やらみなとみらい線やらで人身事故などがあり、電車が遅れ気味だった。センターについたのはぎりぎり1530。「ぎりぎり」というのは、番組自体が90分なので、閉館時間にぎりぎり、ということである。
    さっそく8Fに行き、端末から申し込みをし、検索し、プリントアウトされた磁気カードをカウンターに持っていって、配信ブースを決めてもらう。先にお手洗いに行ってからブースに入り、カードにプリントされている番号を端末に打ち込んで「プレイ」ボタンを押すと番組が始まる。
    作品については、20年前のことで忘れていた細部もいくつかあったが、大体は覚えていた。記憶のイメージがリビルドされ、補強されていく。不思議な佐々木昭一郎世界と、力強く、優しいマーラーの交響曲のメロディが再び心に刻まれていく。集中した89分30秒であった。

    残りの30秒はどうしたか? 時間切れだったのだ。ちょうど閉館1700になり、守衛から「もう止めろ」と言われてプレイヤーを停止した。
    時間切れだから仕方ないのだが、それだったら守衛に「止めろ」と邪魔を入れさせるのはなしにして、集中管理されているプレイヤーかデータ配信をとめたほうがずっとマシに思えた。人の邪魔の相手をしなくてはいけないのは集中している方としては非常に嫌なものだ。いきなりスイッチオフのほうが遥かにすっきりとする。
    まあ本当は、出来の悪い自動販売機じゃなくて人間が対応しているのだから、30秒のお目こぼしをしてもらえればずっといいわけだが。
    でなければそれこそ自動販売機にしてしまったほうがずっとよい。

    Posted by sheemer at 02:26 PM

    「LOTR:王の帰還」

    三部作の最後。長いストーリーなのと前作との間が空いているせいで始まってすぐはストーリーの枠組みが見えない。スメアゴルの歴史が話され、ストーリーに戻ってくる。

    私は子供の時を含めてこの原作を読んでいない。なので実際のところがわからないが、展開をかなり急いで作品化したように見える。本当はあと数十分長いか、もう一つの作品を作るだけのリソースがあったのかも?、と思うこともあった。そういう意味ではややストーリー展開が性急で、そのためやや描写が浅いのかも、と思うところもあった。それともあのCGのクォリティに慣れたので、評価に関してその影響が薄れた、から?(どちらにしてもCGのクォリティは素晴らしい。CGがこれだけ自然に見えるストーリーもないと思うくらい。)

    LOTRはアカデミー賞のノミネートを総なめにするという評価を得た。俳優の取る賞以外はほとんど取ってしまったような形だ。(まあ俳優はすでに決まったストーリーの傀儡(くぐつ)とも言えるのでそういうものかもしれない。)何がそこまで西欧人に訴えかけるのか、というところが今ひとつわからない。
    もちろんファンタジー映画としてのできは素晴らしい。同じくファンタジー系の映像作品である「ハリー・ポッター」シリーズが映像作品としては全く凡庸であるのとは対照的だ。ここを考察することで何かインスピレーションが得られるのか?

    LOTRとHPの違いは、物語の映像化の容易さが関係しているのだろうか。HPは物語のイメージが具体的なのに、魔法などファンタジー部分が、映像になる前に読者のイメージに訴えるようなものになっているのか。言語の表現がそのまま読者のイメージにつながるようなもの。しかもそのイメージは読者それぞれが違った形で持っていると考えられる。そしておそらくはディテールまでが言葉として描出されている。
    他方LOTRは、戦いは戦いであっても、そのディテールまでは指定がないのではないか。(読んだことがないのでわからない。)あるいは、描写があまりに人間の現実から遊離していて、簡単にはイメージできない。その部分をCGがうまく補完しながら提供しているのか。莫大な戦闘シーンがあり、人間を使わずにやることで何万の大群でも闘わせることができることも、イメージ戦略として成功しているのではないか。アンリアルなイメージをリアルな物量のイメージに転換できたことが成功の秘訣か。

    CGやイメージ以外のところで訴えかけるものは何か。その一つは明らかに「nobleであるということ」についてだと思う。彼らは大義のため、自らの信ずるもののためにnobleである。これはラスト・サムライにおいても言えることである。現代はかくもnobleなものが廃れてしまった世界であり、子供の時の物語などで「noble」について知っている大人たちは、エゴイズムが闊歩する現代に再び提示されたnobleさに強く惹かれているのではないか。
    映画が終わって、頭の中に流れていたのは今はやりの「jupiter」。ホルストの原曲でなく平原綾香の曲のバラード部分が頭の中にあった。

    Posted by sheemer at 12:24 PM

    March 08, 2004

    「恋に落ちたシェイクスピア」

    2001年 8月17日(金) に、DVDで観た感想を自分のメモに書いているが、webのページにはしていないようだ。(たぶん)
    今回アカデミー受賞作特集でテレビでやっているのを再び観たので感想を書いておく。

    市井の貧乏劇作家シェイクスピアと貴族の娘ヴァイオラの隠れた恋の現実が作品「ロミオとジュリエット」に形を変えながら進んで行く。その中で、女が社会的に男の所有物であった時代に、その立場の鎖を破り、つかの間ながら役者として立った芯のある女性としてヴァイオラが描かれる。「男の中で生きる女もいる」と、自らの立場も顧みながら、女王エリザベスが彼女の立場(当時は舞台に女性が立つのは禁制)を擁護する。
    他の貴族に嫁ぐことが決められているジュリエット役のヴァイオラと、ロミオ役を自演するシェイクスピアの切ない悲恋が、劇中劇として上演されるロミオとジュリエットの悲劇に重なり、それらが美しいシェイクスピアの英語台詞の響きで語られる。複合的に重層的に、魔法のように、劇と作品を観る我々観客に共感の感情が生まれ、突き動かされる。
    ストーリーの土壇場でステージに現われ、舞台正面を見ているヴァイオラ役のグウィネス・パルトロウを舞台袖の視点から撮った映像が、本当に、本当に美しい。そのヴァイオラは、その名のままでシェイクスピアの別のラブストーリーの主人公になり、それによってシェイクスピアの「永遠の恋人」になる。筋立ての最後の希望。物語の、切なくも美しく、ハッピーな終わり方。

    まるでネタばれに見えますが、ここで言わなくったってストーリーの流れはかなり初期にすんなりと見えます。そういうことには無関係に、シェイクスピアのセリフ回しと脚本の魔術で引き込まれてしまいます。それはよい舞台演劇には、ストーリーがわかりきっていても感動するのと同じ。

    Posted by sheemer at 02:02 AM

    January 29, 2004

    「ラスト・サムライ」

    エドワード・ズヴィック監督。トム・クルーズ演じる兵士ネイサン・オルグレンは、本国でのインディアン掃討戦で、心ならずも女・子供の非戦闘員部落を襲撃することになり、戦士としての名誉を失い、深く傷ついていたが、当時の上官に誘われ、明治維新直後の日本での新兵器と新兵訓練の職を紹介され、引き受ける。スポンサーは天皇の側近の実業家、大村。赴任してすぐ、天皇の師にして「最後の侍」勝元との戦いで捕虜となった彼は、勝元の郷で虜囚として過ごす間に、武士道を身につけ、戦士として再生していく。一方勝元のような「侍」は、西欧化する日本の政治論理のなかでは厄介者となり、廃刀令や髷を切ることなどに象徴されるように、排除されていく。そして天皇を命を受けた政治家大村の軍と、反乱軍と看做された勝元そしてオルグレンらは決戦の時を迎える。

    素晴らしい映画であった。外国映画なのだが、外国人の視点からみた日本の文化・精神の姿に、日本人である自分が感動している。すでに失われたものかもしれないものたちを外国人に指摘されてしまっている。そんなことをされたらもう日本映画は終わりじゃないのか?、という気さえしてくる。
    映像もすばらしくよく撮れていてこれは現在の日本で撮ったのか?と思う。吉野のあたりだとまだこんな風景が撮れる?それとも外国?と思ったらどうやらニュージーランドらしい。わかる人にはあらゆる風景の穴が見えるようだが、イメージとしては過ぎ去った昔の日本の風景そのもの。
    テーマが深くなると黙してくる侍たち、しかし目がすべてを物語る。意味を伝えるのは言葉ではない、ということが実感される。どこをどう切り取っても、人も背景も美しく印象的。
    テーマはクラシカルでありながら、同時にコンテンポラリーである。失われつつある清らかで美しいものたちや精神。それは西欧文明の侵入であると共に、近代化でもある。そしてさらに、忠も義も、なんの精神も持たないハイテク戦争・武器の導入でもある。ガトリング銃(大量破壊兵器とも言えるだろう)がそれを象徴している。
    全くの戦いの映画でありながら、文明や戦いに関する視点のせいか、痛烈な反戦映画にも見える。映像がそれをどこにも主張しないにもかかわらず、である。
    これらのものが、西欧人にどう理解されるのかにも興味がある。天皇は人間として描かれている。
    男の映画、か? 少なくとも日本男児は観るべし、だ。名誉や義、ということについて、振り返り内省する契機になるだろう。ラストに暗い時間があり、涙を拭くことができる。
    帰りの車で、たまたま流れていたNHK-FMは「海外クラシックコンサート、ミラノ・スカラ座、ムーティ指揮、ロッシーニ“モーゼとファラオ”」であった。聞こえてくる人間の声がなんと美しかったことか。人が生きていることはなんと美しいことか。

    この映画に対する評価として、史実に忠実でないことを挙げる人もいるようだ。確かに銃そのものは桃山の時代から日本にあり、幕末にまったく鉄砲を持たない侍の軍団、というのはあまり考えられないのかもしれない。実際は木枯し紋次郎みたいな武士もいたことだろう(とはいうものの、あれはあれできっちりサムライだ)。
    しかし、この映画は史実を描くために作られたものではない。そもそも描かれた事実は存在しない。制作者は、彼らのとらえた「サムライ・スピリッツ」をくっきりと表現し、伝えるためにこの物語を創りだした。その表現が、非常に優れていることを、私は評価したい。映像が提示したかったのは、ピュアな形の「侍」の本質であり、それはまったく見事に伝わっていると思う。そのことが私を感動させている。

    Posted by sheemer at 10:57 PM

    December 24, 2003

    映画「バリー・リンドン」

    スタンリー・キューブリック監督、ライアン・オニール他。19世紀の作家サッカレーの原作を元に、18世紀イギリスからヨーロッパを舞台に、賭博師バリー・リンドンの生涯を描く作品。
    キューブリックらしい、ねっとり、ゆったりとしたノリ。ハリウッド的スキットにならされていると非常に不自然に感じるテンポだが、よく考えてみると現実世界の物事の運びのノリは、実はこのようなものじゃないかと思う。テンポにハマると自然な感じになる。写されている現実の積み重ねでストーリーが描かれるような感じがする。
    映像のきれいさは特筆できる。元はスパイ衛星用としてNASAに納入されたという50mm f0.7のレンズを持つカメラを使い、自然光とロウソクだけで撮影された18世紀の宮廷や室内の映像が印象的でリアルだ。屋外もほとんど曇天的に撮影されており、不思議な綺麗さと現実感を生んでいる。とにかく綺麗な映像。
    ストーリーテリングはややユーモラスあるいはシニカルである。これは作家のせいか、それとも監督のせいかは知らない。
    ストーリー自体は淡々としていて、全体としては人生のはかなさのようなもの(「美しいものも醜いものもみな死ぬ」)がバックボーンに感じられるが、それ以外はこれといったテーマもなく、その意味ではまるで撮影のためにあるような映画と言えなくもないが、これだけ美しい映像で18世紀をたっぷりと提示してくれれば、それだけでも十分に満足。観るに値する。

    いわゆる「CG」のない時代に撮られた「2001年..」やこの「バリー・リンドン」をみると、つくづくこの監督の映像に対する厳しいこだわりがわかる気がする。

    Posted by sheemer at 12:54 PM

    September 08, 2003

    「生きてこそ」

    movie:「生きてこそ」フランク・マーシャル監督、イーサン・ホーク、他。1972年に起きたウルグアイの航空機墜落事故で冬のアンデス山中に取り残された29人のうち16人が72日を生存し生還した実話にもとづく映画化。実際の生存者たたちがアドバイザリーしているとのこと。

    死亡した犠牲者の死体の肉を食べながら72日間を生き残ったことが新聞などで取り沙汰された。雪中で冷凍状態の死体の生肉を喰うことには、当然ながら葛藤があっただろう。それに関し、生物学的・現実的観点から是とする意見と、宗教的・倫理的観点からの抵抗の間で議論があったように表現されている。現実にその身にならなければどう判断してよいかわからないことであろうが、私は映画を観る限りでは「是」の立場を取りたい。彼らは生存の可能性のないところを、生き残ったのだ。そうして生きて帰った彼らを非難することはできない。

    雪中のロケーションで撮影されたという映像は説得力がある。救出されるシーンの上空俯瞰に、飛行機の残骸と、生き残り手を振る人々と、雪に埋まり散在している死体が一度に写されている。サバイバルの現実を一時に理解させる、効果的で公平なシーンに見えた。
    全編、その臨場感に釘付けの映画であった。悲劇の物語であっても自然は冷徹に美しいものだった。

    イーサン・ホークがサバイバルのためにまっしぐらに進む青年を好演している。一途で少しエキセントリックな感じのキャラクターが、ぴったりとはまっている。導入部分だけ見逃しているのだが、そこにもいたのか、最後に生存者の語り手としてほとんどシルエットだけでジョン・マルコビッチがでている。クレジットには名前がなかったようだが、彼らしい気がする。すでに無名の時代ではなかったと思うのだが。(2003年 9月 7日 日曜日 04:47:28 JST)

    Posted by sheemer at 04:10 PM

    August 21, 2003

    宮崎さんのお薦め

    宮崎駿氏のインタビュー本「風の帰る場所 - ナウシカから千尋までの軌跡」を読んだ。「ロッキンオン」の渋谷陽一が1990年から2001年の12年間にかけて宮崎駿に対して行った5回のインタビューの全記録である。本書の最初の二つのインタビューは「黒澤明・宮崎駿・北野武 - 日本の三人の演出家」にも収録されている。

    その宮崎氏がお薦めのもの二つ:

    movie:「ダーク・ブルー」
    宮崎駿さんとスタジオジブリが薦めていたので観る気になった。いわゆる「戦争映画」である。
    第二次大戦で自由のために国を逃れ、英国空軍に参加しドイツと戦ったチェコスロバキアの兵士達は、共産化した祖国に帰るとなんと強制収容所に送られてしまった。収容所で主人公のフランタという兵士が回想するかたちで物語が始まる。それはフランタと親友の兵士の愛と友情の物語だった。

    この映画は、監督の父が、彼の父親世代になる実際の兵士たちへのインタビューから脚本を書き、それを息子の監督が映画化したものだそうだ。映画化されたのは2001年。戦争映画であるから当然空戦シーンがあるのだが、そのリアリティが抜群である。これに匹敵するのは「空軍大戦略」しか思い浮かばない。というよりも時を経て技術が進歩し、こちらの作品の方が「空軍大戦略」よりも上を行っていると思う。とにかく空撮が美しい。宮崎が「紅の豚」で描いたようなシーンが実写ですらすらと出てくる。
    驚くべき(あるいは当然の)ことに、それらの特撮の殆んどは「実物」を使って行われている。特撮を最大限にリアルにするには実物を使え、ということだ。CGは煙の表現や、なんと「回想部分の記録映画」シーンの、その「記録映画」を作るために使われている。

    飛行機もの好きの宮崎が、そういう単純な視点で薦めた映像作品という意味でも抜群のできである。押井守の「アヴァロン」を評し「ハインド一機飛ばして何喜んでるんだ」と言う宮崎の気分がわかる気がする。
    主人公が体験したほとんどパラドキシカルな強制収容所の運命、という視点にも、宮崎がなんらかの意味を見出していたのか、そこはわからない。実際のところ、空撮の素晴しい映画という点では、強制収容所の現在から昔を振り返るという枠組は必要ないのだ。
    がしかし、過酷な収容所を背景として描写し、その事自体にはなんら言及しない、という監督の態度は、そのような状況を以てしても主人公らの戦時の友情の気高さは曇らないのだ、という衿持を表現しているのかもしれない。
    少なくとも空戦ものとしても、観ておくべき映画の一つ。

    book:「わら一本の革命」福岡正信著

    これも同じ本で彼が言及していたので読む気になった本である。著者は「自然農法」を推進して来たもと農業試験場の技士さんだそうである。
    単純に言うと「なにもしない農業」を提唱し、実践している。春と秋に、鍬き返さない、まだ麦と稲が(それぞれ春秋に)生えている土に、籾団子や麦の種を捲き、その後に刈り取った麦や稲の藁をそのまま撒く。藁の下で保護された米籾や麦が発芽し育ち、収穫を迎える、という農法。雑草は撒いた藁でコントロールされ、撒いた藁と土中微生物で養分が生まれ、肥料は必要なく、田の鍬き返しも農薬も必要ない、ということだ。ようするに「何もしないでいるといちばんよい結果を生む」ということだ。彼はそのために「科学的知識」に強い反発をもつ。それは必要のないところに何かを行い、その結果必要性が生まれてその科学が必要になる、というようなことだ、と語る。分別知としての科学は必要なく、無分別の状態がよい、ということだ。
    同様の思想で「食」についても語っている。
    作者のいう根本的な無分別・無為の思想は非常に魅力あるものだが、長いこと科学の世界に身を置いて来た自分には、体内にある「科学的視点」という邪魔者を排除できない。その意味では根本的にこれを受け入れ兼ねているところがある。がしかし、思想としてこれに耳を傾け続けることは重要なことではないかと直観している。
    季節感・旬のものの大切さに関しての記述もうまそうでうれしい。「そういえばそんな食もあったな」という気がする。

    Posted by sheemer at 10:58 PM