日本橋三越新館7Fで開催されいる。
展示されている衣裳はどれもみなきらびやかで、とても面白い。江戸の粋が表現されていると思う。
これらは衣裳であって、普通の着物ではない。舞台のための道具だ。だからあちこちこすれていたり、しかけがしてあったりするが、それもまた面白い。道具として経て来た苦労の歴史や、それを繕い、補修し、道具として完動させる裏方の工夫や着想がいろいろとみえて感心した。
伝統文化を支える舞台テクノロジーと心意気を見た気がした。面白い展観である。
三井記念美術館一周年記念で開かれている展覧会である。初期の楽がまとまってみられそうなので行って来た。
よい展覧であった。行く価値があった。長次郎を中心とした初期楽のよいものがたくさん集まっていた。無一物も、大黒も、今回初めて観た。
それらの茶碗は、どれも、それぞれの形の中で、究極まで形を追求されていて、緊張感がある。極められている、という感じがする。造形の世界で形にどこまでもこだわるのはとても重要なことだと、再認識した。
そして村雲があった。つい昨日、樂美術館で雨雲を観たのだった。続けて観られるとは、なんと贅沢なことよ。
村雲は雨雲より少し大きい。そして雨雲よりカセて、わびた感じがする。
雨雲、村雲の好きな私は、会場のソファに座って、ずっと村雲を眺めていた。
次はまたいつ目にできるやら。しばしの別れ。。
学生時代には日本史などあまり気にしたことがなかった。しかしこういうものを見ると、その周辺だけはリサーチして詳しくなるものである。
国宝「伴大納言絵巻(あるいは絵詞)」は866年に起きた応天門の変を題材とした絵巻物である。事件についてはwikipediaの関連項目にリンクしておく。
三巻ある絵巻は、会期中にそれぞれの巻のオリジナルと、複製が時期をずらして展観されることになっている。現在は下巻が展示され、それ以外は複製である(といっても、ガラス越しに見ている分にはオリジナルと見分けはつかない)。
私はモノキュラーを持って行ったが、正解だった。拡大するとそれぞれの人物の細かい表情がわかる。それがとてもビビッドなのだ。表情の雰囲気は少し鳥獣戯画図に似ているかもしれない。昔人たちの絵画センスの洗練がまざまざと表れている。細密な筆の運びで描き表された、様々に描き分けられた人物の表情がとても面白い。
前回の風神雷神図の時と同じく、今回の展観も啓蒙的な解説が詳しくなされており、とてもわかりやすい展観であった。お薦めである。
「京焼 - みやこの意匠と技 - 」という展覧会を観て来た。開催は京都国立博物館。
京焼を、私は必ずしも好きではないのだが、歴史を追って包括的に展示しているようだったので、知識の整理といった感じで観て来た。
ざくっと言ってしまえば、京焼は古いものを観ておけばよい、といった感じがした。つまるところ仁清と乾山である。江戸時代(の京都)の、粋とけれんをたっぷりと表現したクリエイティビティを感じる。仁清のほうがより絢爛としていて、乾山のほうは、より粋を感じる。遊び人の兄貴、光琳の影響かもしれない。(「お兄ちゃんもっとしっかりしてよ!」と諭したらしい。それで光琳は本気で絵を描き始めた。。)
残念なことに今物は、時代を下ってその粋やけれんが京都から失われて行くにつれて、突き抜けた美しさを失って行ったように見えた。
昔の日本人の美意識は西欧がなんじゃい、という、若冲を観たときと同じような感覚を持った。
(日本語になってないね、この一文は。。)
「昔の」だ。
樂三代目である道入(ノンコウ)と、彼と親交の深かった本阿弥光悦の作品の展覧であった。開催は樂美術館
本阿弥光悦が好きである。刀の目利きであり研ぎ師であり、日本三隻と呼ばれる能書家であり、江戸に来いという家康の招き(か命令か)をやんわりと断り、それにより洛北の荒れ地、鷹峯に住まうことを命じられた。彼はそこで仕事を続け、その余儀として茶碗を作った。それが型破り、掟破りの自由闊達さである。そこに惹かれる。
光悦はわずか五碗しかない国宝茶碗(うち3つは中国製の天目、残り二つのうちもう一方は利休所持の志野茶碗「卯花墻」)の一つ、「不二山」を作っている。以前それを観に上諏訪のサンリツ服部美術館へ行った。割れを大胆に金継ぎし、それがデザイン意匠にまで昇華している「雪峯」は畠山記念館で観た。「村雲」は、以前に樂美術館で観た。観たい観たいと思いながら果たせないでいた「乙御前(おとごぜ)」を、今回樂美術館で観ることができた。不定形でアバンギャルドな形。高台はほとんど接地していない。意外に小さい。
彼はとにかく、思い切りがいい。思った形のままに作り、それをどうせ思い通りにはならぬ火の気まぐれにまかせ、あがったものの善し悪しを、目利きの感性で取捨選択したのだろう。観ること、作ること、思い切ることなどが絶妙にバランスしている。陶工ではない、現代から見ればプロのアーティストだ。それを彼が意識していたかどうかは知らないが。
そして「雨雲」も観ることができた。これは「村雲」とペアのような茶碗である。これも意外に小さい。
実は「雨雲」には個人的な思い入れがある。考えてみれば、今回ここには雨雲と、乙御前を観に来たようなものだ。その目的は果たされた。ただじっと眺めて来た。
このイベントを知ったのはmixiの知人を通じてで、2004年のことだった。それから2年、ようやく参加のチャンスが訪れた。
会場では予定の20分前のチームに組み入れられた。8人で一グループとなる。薄暗い部屋に連れて行かれ、そこで白い杖を渡され、アテンドのスタッフに使い方を教えられる。先端から拳二つくらい下の部分を鉛筆のように持って、自分の前をsweepするように使うことで、自分の歩くところがどうなっているかがわかる、と。そして、心の準備をしてから、我々はアテンドに先導されて闇の中へ入っていった。
このイベントは闇を体験するイベントなのだ。真っ暗闇。そこを杖や視覚以外の自分の五感をたよりに進んでいく。そして我々を先導してくれる「アテンド」さんは、視覚障害者なのだ。
イベントの詳細に触れるのは「ネタバレ」的なので、行わないことにする。自分がそこで感じたことを書く。
闇に入ってほどなく、グループのメンバーは親密感、共同感をもつようになる。助け合うようになる。そうしないとうまく進めないのだ。我々のチームではさほどでもなかったと思うが、誰か「仕切り」をするリーダーが自然発生するのかもしれない。
現代の若者の「ノリ」を肌で感じた気がする。現場でさくっと関係性を作る。我々は一種「善意の集団」となって、その感覚を持続させていく。
暗闇だと、なにか音のする方に人は歩くようだ。そうしてグループが一まとまりになって進む。
そして音を聞く。近くの人の言葉や、環境からの音。においを嗅ぐ。空気のにおいや土のにおい。手触りを感じる。手すりの竹や、杖から伝わってくる床や地面の感触。手に触れる水や顔にかかる風の感触。最後には味を確かめることもできる。飲み物を飲むことができるが、その味は? 自分は何を飲んでいるのか?
闇から、少しだけ明るい世界にでてくる。そこでメンバーで語り合う。
暗闇で、私は視覚障害のありさまを、ごくわずかながら実感したのだ。もちろん日々自分の生活の問題として闇と向き合っている視覚障害者の方々の真の視点とは差があるのだと思う。まずはこれを楽しんでいるのだから。この世界は善意?で構成されていると言ってもよい。しかし世間の波はそういうわけではないのだから。
当たり前のことかもしれないが、他人との距離感のダイナミックな変化も感じた。暗闇の中、薄明のミーティングルーム、外の光の世界では、メンバー間の距離感も変わってくる。これは視覚の実験だけでなく人間関係の実験の意味もあるかもしれないと思った。災害時などの人間関係の変化もこれに似たようなものなのかもしれない。
会場を出ると、私は自然に外部の生の音を聴くようになったらしい。まずは、walkman(というかiPod)をイヤフォンで歩きながら聞かなくなった。身の回りの音を聞いていたい、と思ったのだ。それが自動車の騒音であれ、地下鉄のノイズであれ。エレクトロニックなサウンドへの、わずかな忌避感が生まれたかもしれない。
またガラスの向こうの音のない世界が変に感じる。レストランで食事をしながら、周りの会話のノイズは聞こえるのに、ガラス越しに見える木立のとてもきれいな景色から、風の音が聞こえてこない(木々は風に揺れているのに)。そのことがとても奇異に感じられた。
いつまでこの感覚が持続するのかはわからないが、バーチャルからはなれ、五感に戻っている、という実感がある
そして、直接感覚で感じたい、と思う。言葉をなくしてしまいたい。しかし我々は人間であり、そこにあるもの、感覚をすべて言語化するのが人間の性(さが)だ。頭の中が言葉に満ちている。
その状態から抜け出したい、と強く思う。直接感じるようになりたい、と思う。
本稿は、いったんアップロードした後に、真贋問題について最後に追加した。
伊藤若冲などの収集で知られるカリフォルニアのプライス・コレクションを中心とした江戸絵画の展観である。コレクションのキュレイターである(エツコ&)ジョー・プライスは「自分は日本の文字がわからない。だから落款などに影響されず、絵のできのみで判断してきた」と語っている。それが、日本では2000年頃まであまり注目されていなかった「異端」、若冲などを先入観にとらわれず集めることになったらしい。
私は、日本画にはあまり詳しくはない。一番身近に感じるのは、紅白梅図屏風の科学分析などで話題になった尾形光琳で、次は出光美術館あたり?で見た長谷川等伯、芸術新潮の特集で目にして、展覧会は行きそびれてしまった曾我蕭白、それにどこかで見た牧渓の猿くらいだ。円山応挙、狩野派などはほとんど名前を知るのみで、意識にない。
そういう状態で見に行ったのだが…
まあとにかく観ることをお薦めする。すばらしい展観である。
若冲の動植綵絵。どうやったらここまで描けるんですか、という感じの微細・緻密な描写。かつそれはグラフィカルなデザイン的センスとしては、とてもダイナミックである。現代の眼からみると「恐ろしくセンスがいい」のだ。
それに加えて、水墨画では、息をこらえたような気合を感じる。ぐっ、ぐっ、と描いて行ったような楕円が鶴になっている。コンテンポラリーに見てもトんでいる水墨たち。
樹花鳥獣図屏風の「枡目書き」に至っては「ほ、本気ですか?、若冲さん」という感じなのだが、とにかく圧倒的である。
(今回私は持って行くのを忘れたのだが、日本画を詳細に見るには、モノキュラーを持っているとよいと思う。)
その他にも江戸期の日本絵画が数多く展観されている。それらを見て思うのは、日本の絵画は、やはり花鳥風月なのだな、ということ。それがいちばんしっくりする。
また江戸時代中期の、絵画のテイストが吹っ飛んだ粋・けれん、さらには洒落、ユーモアのセンスに満ちていることだ。この時期の西欧写実絵画は、ロココの時期だが、作家の意気込みはそれを凌駕しているか、すくなくとも「こちとらも負けちゃいねえぜ」という勢いを感じる。
(とはいうものの、若冲本人は、生地である京都をほとんど出たことはないそうである。)
また、ものをただきちんと描けば、それは美しい、ということが、特に酒井抱一や鈴木其一などの作品からは感じられる。現代の作品からは感じることが難しいことかもしれない。こういう、まっとうに描かれた美しさを観ると、いったいオリジナリティなんてものに何の価値があるのか、とさえ感じてしまう。
展観のしかたに、光のダイナミズムを感じさせるものがあったのも興味深かった。特に金銀の箔を使った作品を、昼光色の蛍光灯と、やや赤みのある電灯で交互に照明し、日中と、夜のろうそくでの屏風や軸の見え方の変化を表現しているわけだが、明かりだけでこれほどに絵の表情が変わるのかと感心した。
会期中にチャンスがあれば何度も行きたい展覧会である。お薦めである。ここを終わると京都、九州、愛知へと回るそうだ。
今回はこの場所に、ある程度長時間居たのだが、さすがに国立博物館。モノがたくさんあることを再認識した。同時に国宝室で展観されている「和歌体十種」を観るために本館へ行ったのだが、通りすがりの部屋に尾形光琳の孔雀立葵図屏風があった。どこかで見たなと思い出すと、燕子花図屏風を見に行った根津美術館で特別展観されていたのだった。あの絵の孔雀は好きなので、まるで旧友に会ったようないい気分だった。
おそらくは、見直すと膨大なものたちがここにはあるのだろう。
関連リンクは「見学に行って来た」というページに詳しいので、ここにリンクしておく。
●真贋問題について加筆
さて、以下に真贋問題について追加することにする。発端はmixiで「プライス・コレクション 鳥獣花木図屏風について」というアンケートが行われているのを目にした時だ。そこでは、枡目がきで展覧会の目玉の一つになっている鳥獣花木図屏風の真贋が問題にされていた。そしてその真贋を問題にしている研究者が書いた一冊の本が紹介されていたのだが、私は今回、偶然にその本を購入していたのだった。
私は展覧会の図録のできがあまり気に入らなかったので買わず、代わりに問題の屏風を葉書のようにしたものを買った。そして東大の生協書籍部で、伊藤若冲の生涯がコンサイスにまとめられていたこの本をたまたま見つけ、買ったのだ。
書籍の言う通りによくよく本の中の絵(静岡県立美術館蔵)と買った葉書(プライス・コレクションの屏風のレプリカ)を見比べると、遠目にも書籍にある静岡県立美術館の同じ図案の屏風の方が詳細に描き込まれているように見える。少なくとも、両者を比較してみたいな、という気になるできである。
そう言う観点で後からこの情報を知ると、展覧会ではこれら両方が紹介されていてもよかったのではないかと思った。
とはいえ、枡目書きをみた瞬間は、その真贋情報以前に、つよいインパクトは受けた。枡目の微細さについて、これ以上に微細かもしれないものがあるとは、思いつかなかったのだ。
ぜひ静岡県立美術館の作品も観てみたいものだと思った。
これは4月半ばにみたもののことである。あまりに未消化なので記事にせずに済まそうかとも思ったが、それにしてはいろいろとノートに書き込んでいる。区切りを付けるためにも形にしてみることにした。
表題「皆に伝えよ!ソイレント・グリーンは人肉だと」は、演劇のタイトルである。2006/3/29-4/16の間、東京は森下にあるベニサン・ピットで公演された。原作・演出はドイツ人のルネ・ポレシュ、出演は「M/木内みどり、A/中川安奈、Y/池田有希子、H/長谷川博己、カメラ/河内崇」ということになる。
もともとはpodcast「i-morley」で知った。あまりに気になるので上京のチャンスを利用して観に行ったのだ。
森下は古い静かな下町の元工場街、といった感じだ。そこにあるベニサン・ピットは茶色くすすけた、元工場の一つ、という雰囲気の場所だった。
入場し、定刻になると、会場は締め切られた空間になる。出入り口は一つしかなく、開演前にドアが閉められる。もう誰も逃げられない。
セットは、100席ほどのL字型のスタジアム風観客席、そばに祠とその中のベッド、鹿の置物とかこい、背後にはブルーシートでカバーされた裏にいくつかの部屋がある。客席からは中をよく見ることができないそこでも劇は進行し、その様子はハンドビデオカメラで撮影され、リアルタイムに観客席前の巨大なスクリーンに投影される。
全体の場の周りを巡る回廊があり、客席の一番高いところに「お立ち台」があり、ステージにも席がある。
さてこういうところでどういう出し物が行われたのか?
「何かよくわからないものをみた」というのが正直な感想である。よくわからないものは「インパクト」ではない。そんなテレビ的なものではない。
「Discrepancy」という言葉が近いか。そこにいる自分と、行われていることの間の乖離。これは何?、私はここでなにをしているのか?、逃げ帰りたい、という感覚に突き動かされる。でもドアは客席からステージを挟んだ対角線上にあり、扉は閉まっている。役者たちは相互に脈絡なく「ファックしたい!」と大声で叫んでいる。。
しかしそれも一時のこと。だんだんに状況を客観視するようになる。ひょっとしてこれは都会なら現実に目にする光景なのかも。あるいは泥酔した場末の酒場ならば。
引用された映画「ソイレントグリーン(1973、チャールトン・ヘストン、エドワード・G・ロビンソン他)」で、 人口爆発し環境破壊された世界で人間が死ぬとソイレントグリーンとよばれる食物に加工される。それは同じ形、大きさをした「兌換ユニット」であり、現代においてそのアナロジーは薄緑色のドル紙幣である。
ポルノは、その紙幣によって可換な愛欲のファンタジーである売春「でさえ、ないもの」である。
そして、ここで行われていることの全ては現実のパロディであり、全てはポルノである。あらゆる現実は、人の命も含めて、ドル可換の経済価値に基づくファンタジー、ポルノである。
私の思考はここで止まっている。白状するがポルノにあまりタッチしたことがないので、ここから先の現実感が、よくわからないのだ。
劇を何度も見るとわかるのかもしれない。何度もみたモーリー君たちはいいなあ、というのが率直な感想。
TPTのブログがあり、4/17以前の近辺の記事が本作に関連するものである。
i-moorleyの関連音源が、監督や出演者のインタビューなどで構成(なんかあるのか?)で、とても面白い。
観た人は幸運な人たちだと思う。
ステージ席に須藤理彩さんがいたような気がします。

「よみがえる源氏物語絵巻」という展覧会が五島美術館で行われているので行って来た。
美術館は上野毛の閑静な住宅街の中にあった。駅から美術館までの経路が道案内されている。食堂とクリーニング店の間の歩行者しか通れない細い道などを含んだジグザグのルートで、道すがら出会う人はほとんど美術館の客のようだった。
行ってみると入り口に「1時間30分待ちです」といった案内が出ている。いったん引き返して近くの飯屋で昼を食べてから入館した。
実際は、おそらくは60分以内の待ちで済んだように思う。その間はiPodで音楽(Chick CoreaのReturn to Foreverが鳴っていた)を聴き、小説「銀の匙」を読みながら過ごした。
館内では一度に15人以内くらいの人を展示室に入れ、混雑をコントロールしていた。人によって見る時間が違うので、速い人はどうぞ追い越してください、また館内を半時計回りに進んでください、という案内がなされ、人の流れのコントロールは、展観を十分に見られるようになされていたと思う。
また、佐々木蔵之介にちょっと似た感じの案内の方が「中央の復元模写のための習作も技術の粋ですのでどうぞごらんになってください」という。
展示は江戸時代のオリジナルの絵巻をデジタルプリントしたものと、2000年から2005年にかけて制作された加藤純子、富澤千砂子、宮崎いず美、馬場弥生氏らによる「平成復元模写」と呼ばれるシリーズ(これが今回の目玉)と、昭和30年代に櫻井清香氏により描かれた「昭和復元模写」と呼ばれるシリーズ、その他平成復元模写のための下絵等であった。
複製模写は、昭和のものも、また今回の平成のものはさらに華やかであり、軽やかである。その雰囲気は、江戸期のオリジナルの絵巻の保存状態からは、残念ながら伺い知ることが難しいものである。オリジナルに残るわずかな色の具合と、今回の科学的分析の結果からすると、平安の時代、この絵巻はこのように華麗で生き生きとしたものであったのだろうなと想像される。源氏物語のイメージが格段に華やかなものに思えるようになる。そのイメージを感じることができただけでも見に来てよかったと思う。
ところで昭和30年代の櫻井清香氏の複製と今回の平成版ものを比べると、描く人の男女差?のようなものを感じる。
平成版は、今回の科学調査技術による紫外線撮影などの方法で、これまでは見つからなかった絵画意匠の繊細な表現が発見されたことにより、櫻井版よりも細部まで細かく念入りに表現されている。
しかし、繊細さは見方を変えればある種の弱さでもある。昭和30年頃の櫻井版はアウトラインの線がすべて描かれ、細いがくっきりとした隈取りによる力強さがあり、男性的?な感じがする。その対比も面白かった。(一方、櫻井版の細部は平面的である。)
櫻井清香氏は男性だったのか女性だったのか? Webで調べてもなかなかわからない。いずれは氏が館員をしておられたという徳川美術館に聞いてみるしかないかもしれない、と思っている。
(→ということで徳川美術館に聞いてみたところ、櫻井清香氏は男性であった。また、本記事を読んだ、櫻井氏の関係者の方からも情報をいただきました。どうもありがとうございました。)
源氏物語を理解し直すことができる、美しい展観である。
東京都美術館で開催されているプーシキン美術館展を観て来た。印象派絵画の一大コレクション、シチューキン・モロゾフ・コレクションなどを主体とした展覧会である。
こうして印象派からそれに連なる時代の絵画をまとめて見ていると、1890年代から1910年代頃のファインアートの世界が、時代の雰囲気を映した混乱と変革の中にあったことがわかる気がする。
混乱の時代には様々な技法や主張が花開いた。玉石混淆的なのだが、それらの中には、とりわけ際立った才能もあった。
印象派とはすこし違った流れの中にあり、南欧で幸福な色たちの洪水に出会ったマチスは、色を絵画的デザインの一部と見ている。ゴッホは異才か狂気か、極端に鋭利な感覚と表現を観客に突きつける。
そしてピカソ。彼のキュビスムは具象と抽象の間の微妙な領域でゆらゆらと遊んでいる。それは余裕か、遊び心か、天真爛漫なのか。ダントツのバランス感覚だ。
ふっくらとした心持ちで美術館の外に出たら、そこに手作りのパーカッションセットでパフォーマンスを行う大道芸人、立松正宏さんがいた。こちらは別に書くが、とても楽しい気分になることができた。
いい日だった。
根津美術館所有の国宝「燕子花図屏風」が展観されていたので観て来た。
作者、尾形光琳は大店の長男坊だが遊び好きで、父親の死後も散財し続け、身代を潰した。その間30代から絵を始め、経済的に困窮して弟に諭されて後、一念発起?して本格的に絵を仕事とした。本阿弥光悦の縁戚で画才あり、これも国宝である「紅白梅図屏風」などを遺した。MOA美術館所有の紅白梅図屏風は一昨年修復と研究調査がなされ、金箔と考えられていた一面の背景の金地がすべて手書きであることや、銀彩と思われていたところから全く銀が検出されず、植物染料であるらしいことなど、驚天動地の事実が明らかとなり話題となった。
本作「燕子花図屏風」も昨年来?の修復ののち、しばらくぶりの展観である。
このひと月で、この作品を2回観に来た。最初は展観開始翌日で、今回は終了前日となる。どちらも平日だが観客多数であった。そのせいか館内はすこしうるさい。しかしものが見えないほどの人数ではない。
燕子花図は下地の金箔(と、いわれているが、この作品もまたすこし「箔にしては金がが薄い」らしい?)、花の藍色(濃淡二色あり)、葉の緑色だけの、わずか3色で描かれた絵画である。
筆跡はあるが平板なポスターカラーのようなイラストレーションで、仕上がりはシンプルにして大胆そのもの。特に葉の筆書きによる形がゆったりおおらか、のびやか、すらりとしていて美しい。
六曲一双(6曲りの屏風が左右一つづつ)のうちの向かって左(左隻)は、やや上から見たような感じの視点で、花が集蔟している。こちらは2.5mくらいか、やや離れてみると美しい。
向かって右(右隻)は水平にみたような感じの横並び的構成で、近づいてみても美しい。しばらくは近づいたり離れたりしながら、1時間くらいをこの前で過ごした。
そして、後になって気づいた。この屏風は、両方を、10mくらい離れてみるともっと美しいのだった。
展示室の真ん中あたりまでちょっと離れてみる。もともと実物の1.3倍くらいの大きさに描かれている花たちが、これくらい離れるとリアリティに近いサイズとなる。
遠くから見ると、元のポスター的なイメージがリアリティに近くなり、しかも現実から華麗な美だけを抽出したような感じになる。静かなところに置いて、このくらいの距離から、カジュアルに眺めることができたらどんなに幸福だろうと思った。
他の作品もすばらしいものであった。特に孔雀立葵図の孔雀はデザイン的筆致だが、絵を通り越したリアリティと生命力を感じる作品で、西欧絵画のリアリスムがどうした、という迫力である。この力強さは田中一村の絵にも感じられるものだ。
ほかにもかきつばたの線画のスケッチや、それを薄く着色した図があり、屏風絵に結びつく筆致の緊張感、気迫、矯めた力を感じた。皿絵は簡潔にしてリアルであり、まるで現代のイラストレーションの如きものであった。
幸せな時間であった。
子どもと、知人と、親戚一家で行った。
雨の日であった。みなとみらい線の元町・中華街駅を出ると案内板があり、山下公園へと導かれて行った。まずはコンテナを溶接したゲートに迎えられる。入場料を払うと、販売口の女性が「パキスタンでM7.6」という。「え?」と聞き直すと同じことを言う。これはいったいなに? 地震があったのは知っていたが、でもなぜここで棒読みで? 謎のままにシャトルバスに乗った。
バスで移動した先の会場にはクロークがちゃんとあった。いろいろと見て回った。
見て回りながら、とまどいを感じていた。もともとコンテナスペースというチープな環境に、チープな素材のアートたちが設置されている。それらはユニークなアイデアをもつ、鮮烈なインスタレーションである。しかしそれへの、自分の対応方法が浮かばない。私自身のコンテンポラリーアートへのとまどいなのか? 若い人たちのしていることへの戸惑いか?(それはユニークさなのか?、未熟さにつらなる単なる若さなのか? それらを評価している自己の判断の正しさ・あやうさはどうか?…)
それはともかく、こういうものを見ていると、自分でモノを作る意欲をかき立てられる。「こういう感じでもいいんだ」というところから出発して。
見回っていたら、ハッピを着た人にモノポリーゲームに誘われた。4人一組、16人のトーナメントで、1時間で決着し、勝者はトップ決定戦を行う。勝者はチープなメダルとトップはブロンズ像がもらえ、さらに彼らは記念に撮影され、自らの姿の絵を画家に描いてもらえる。トップオブトップはチェンマイまでのペアチケットがもらえるらしい。
我々はチームのメンバーがブロンズ像を穫った。ゲームは金網デスマッチ風の檻の中で開催され、我々自身がパフォーマンスアートの一部としてロールプレイングしていることになるのだろう。
戻ってくると親戚一家はサッカーゲームに興じていた。きらきらとした光の中を通ってみたり、奈良未智さんのインスタレーションを体験してみたり、その他いろいろ。
あちこちにデジタルディスプレイがあり、あたり中にディスプレイにつながったPowerBookやiBookがごろごろしていた。「ここはJobs教の集会所か?」などと笑いながら過ごす。
雨だったせいか、ガイド役になるというふんどし男達には遭わず。使われている場所が普段は閉鎖されているとかで、ここからランドマークタワー方面の眺めは普段見られない視点からの風景だそうだ。皆でそこに並んで記念撮影をした。すぐそこでは禁漁区で漁をする男と、警備員がなにか言い争っている。これもパフォーマンスか??
時代はfine artではなくなったのだと思う。ではfine artあのnobleさはどこへ去ってしまったのか? いまあのようなnobleさを持つのは千住博くらいなのか?
それはもうアートの世界には必要ないものなのか?
などと思いながらの帰り道、ふと思い出した。あのキーワードは何だったのか? 「パキスタンでマグニチュード7.6」。。。
山下公園に戻ると広場が大変なことになっていた。世界各国のブースができてお国料理が売られている。中華街に行く予定だったが、面白いのでここで食事することにした。雨上がりの芝に座れなくてちょっと残念だったが、立ち食いで楽しんだ。小龍包、上海肉まん、ピタパンとケバブ、ナンにカレー、タンドーリチキン、トルティーヤ、クスクスなどなど。
予定を2時間くらいオーバーして山下公園を後にした。仮設ステージでは韓国のドラム音楽が演奏されていた。
楽しい半日となった。
大丸ミュージアム東京は百貨店のスペースながら、落ち着いたいいところだった。
そこにジョルジュ・デ・キリコの絵画、彫刻110点ほどが展示されていた。
キリコの絵には永遠がある。形而上的な主観的時間であり、それは「永遠」という形をしている。緑色で、遠く地平線に向けて黄色くなっていく、均一な空。一方向からの光。静謐な心の中の風景だ。その舞台は、様々な暗号を持つオブジェクトたちで満ちている。
これは彼独自のものであり、たとえば燃えるフリーダ・カーロの表現とはまったく違う。
まるでどこかにある、あこがれの空間のようで、強く惹かれる。この具体的なオブジェクトに組合わさった非現実性はシド・ミード的なのかも?知れない。
記念に好きな絵の絵はがきを買った
森アーツセンターで観た。ビル・ゲイツ夫妻所有のレスター手稿の展観で「人類の至宝」と称されていた。手稿に書かれたアイデアのイメージ紹介と、一部は体験できるようなものが作られており、それらを見たり触ったりした後に実物の手稿のオリジナルが展示されていた。
500年前の紙の手稿は、光を嫌う。したがって保護的観点から、闇に近い部屋でぼんやりと当たる光の下で短時間だけそれぞれのページが見られるようになっていた。(ページごとに短時間で明かりが明滅し、それが各ページに渡ってランダムに?繰り返される。)
ダヴィンチについては学生時代から興味があり、いくらか調べているので、彼の業績については知識がある。その意味では、私にとってこの展覧会は聖地詣でのようなものだ。(NHKが放送したイタリアのテレビ作品「レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯」を覚えておられる方もいるかもしれない。)
そういう立場からすると、入り口の紹介的プレゼンはややじゃまだが、一般的には必要なものだろう。その中にあったレゴブロックのような汎用建設用ブロックの模型はなかなか面白かった。
手稿そのものは、薄暗い明かりの中ではっきりとは見えないので「モノ」としての手稿に対する感想がわかない。(別のサンプルを使って、手稿の色、テクスチャー、製造のあり方などについて前もって別展示があった理由がここでわかる。)
実体についての感想が浮かばないまま、モノキュラーで書かれたものの部分を拡大しながら観察していく。すると、逆版に見える文字はとりあえず措くとしてして、3センチ四方くらいに描かれた、簡潔で均整のとれた細密なイラストの方に目がいく。そしてその描写力に驚く。ペン画によって陰影をつけられた様々のものが描かれているが、線一本の太さ、細さが意味を持って描かれている。
メモという随時簡便な記録様式に描いている間、どうやってこの集中を得るのか、と感心した。画力のある人の絵だと思う。以前エルミタージュで見た聖母子像(「ブノワの聖母」)を連想し、筆跡の見えない細密画のような画面を思った。このペン画とあの聖母の絵とのつながりは何か?
出張の調整時間を利用してタイトルの二つの場所を訪れた。そのうちの一つが池上本門寺境内に吊るされた「500個の風鈴の音を聴く」ことだったからか、この日は音を意識し、こだわり続けて考えることになった。
自宅からモノレールに向かう車の中でシャッフルモードにしたiPodから最初に出てきた曲はAl Jarreauの「10k High」だった。駅に上がるとArt Garfunkelの「Scissors Cut」が鳴り、気分が盛りあがる。そしてモノレールの中で、日の出とともにMichael Hedgesの「Aerial Boundaries」が鳴りだした!
Appleのジェームス比嘉氏は「シャッフルモードは単純なランダム選曲で、レーティングなどによる再生頻度の重みづけは何もしていない」と言っていたが、こうしてみているとiPlodは、実は宇宙の何かをモニタしているように思える。
機内では先日買ったRoxy Musicのアルバム「Avalon」をよく知るためにずっとリピートで聴いていた。羽田の到着ゲートで、いっとき千住博の絵「LAKESIDE IN THE MORNIHG」を眺めてから京急線に乗った。Avalonが鳴り続けている。京急蒲田で降り間違えた。どうも京急線のこのあたりはわかりにくい。気をとり直して一つ後ろの列車に乗り、Avalonのリピートを抜けるとEearth Wind and Fireの「All'n All」が鳴り出す。そのまま泉岳寺からがらがらの浅草線に乗り換える。この車両には乗客が私一人しかいない。音楽は村治佳織の「Cavatina」になった。「Calling You」が鳴る頃、西馬込駅に着いた。
駅の南出口で見つけた周辺地図で池上本門寺を目指す。最初の曲がり角で地図のスケールと実環境のスケールが頭の中でぱっ、と一致し、だいたいの距離と時間がイメージできる。Lee Ritenourの「Latin Lovers」が鳴り始めた。裏道から梅田小学校前を通り、坂を登って行く。曲はChick Coreaの「Friends」に変わった。「Walts for Dave」が鳴る頃、裏側の会館方面から池上本門寺に入った。音楽は一時ストップ。
境内では蝉がうるさいほどに鳴いている。風鈴の音が聞こえないくらいだと聞いていたが、確かにそんな感じだった。表の仁王門の方に歩いて行った。観光客なのか、結構人は多い。門に出ると長い石段が下に続いていた。
仁王門のあたりでは、10分に1回くらいの間隔で石段の下から門の方に向けて結構強い風が吹いて来て、その時にはたくさんの風鈴の音に囲まれる。長く響く音も、短く止まる音も聞こえ、これらが風と木々のざわめきと一緒にいい感じで響く。不思議なことに風が吹くと蝉の声が小さくなるようだ。
風が吹く門のところでも方向によって風鈴への風のあたり方が変わるようで、坂から仁王門に向かって並べた風鈴と、それを横切るように並べたものでは鳴り方が全く違っていた。仁王門を入り右に折れたところの五重塔近辺はあまり風がないようだった。
現場にいる間に3回くらい風が吹き、そのたびに目を閉じると風鈴の音が空間の感じを変えた。30分くらいで現場を離れ、会館のレストランで食事をして西馬込に戻った。mixiの人らしい何人かを目にしたが、言葉は交わさなかった。興味深いイベントをありがとうございました>主催者の方々。
西馬込から五反田を経て原宿まではずっとAl Jarreauの「Heart's Horizon」の曲が鳴っていた。駅を出て表参道の浮世絵太田記念美術館に入った。現在ここでは葛飾北斎の富岳三十六景の全揃いが展示されている。
200年くらい前の紙を展示している関係上、展示照明がかなり暗く、作品保護のためとはいえ、紙に描かれた絵を見るにはちょっと暗すぎるか?、という感じもした。元の絵はもっと明るいメージのものではないかと思う。
北斎の版画は、西欧絵画のリアリスムとは違うが、描写が細かく的確で、リアリティレベルという観点ではなんら遜色ないものだった。ダークで美しいモノトーンな感じの風景。省略された絵画表現が、リアリスムからは生まれない、新鮮なイメージを観客に想像させる。今回はZeissのモノキュラーを持って行ったのだが、風景の中の微細な人物を拡大してみると、橋の欄干に肘をついてたそがれていたりして、なかなかにユーモラスで生活感も感じられたりした。
「山下白雨」という絵が特に気に入って、その絵はがきを買った。
美術館を出たら気分一転、Weather Reportの「Heavy Weather」が鳴りだした。千代田線から大手町経由、丸ノ内線で本郷でのミーティングへ向かった。
最初から最後まで、音楽がぴたりと風景に合っていた。とはいえ、それはシャッフルでもなく、ランダムでもなく、またはじめからプランして曲順を決めていたわけでもなかった。なりゆきまかせだったが、結局のところ人の心理が音楽を風景にうまく合うように、適応しているのかも知れないと思った。
人間とはなんとフレキシブルであることよ。
いくらか前に、NHKのBS放送で観た。それ自体が再放送だったはずだ。2時間番組で、たぶん最初を15分くらいを私は観ていないと思う。
ストーリーは、イタリアのカロッツェリア「ピニンファリーナ」に勤める日本人男性、奥山清行氏の話だ。彼のポジションは同社のカーデザインのチーフの様なものらしい。(見過ごした部分に正確な情報があるのかもしれない。)
彼は2002年にフェラーリ社の「ENZO」をデザインした人である。過去に「ディノ」以外には創業者一族の名前がついたことのないフェラーリ(その「ディノ」は特別で、これには「フェラーリ」の呼称がない。単に「ディノ」。)が、創業者で偉大なレーサーであったエンゾの名を冠した車は日本人がデザインしていたのだ。
その奥山氏がチーフとなって、2005年3月のジュネーブモーターショウ用の、マセラティ社のコンセプトカーのデザインを行うことになった。ショウまでの期限は6ヶ月。その間に4人のスタッフデザイナーにデザインさせ、最終的には一人に選考する。その過程を追ったドキュメンタリーだ。
最初の部分を見落としているのだが、スタッフデザイナーたちは最終的にダメだし3度の後に、一人が最終完成形を生み出した。
この仕事にあたり、奥山氏は考えた。現在のカーデザインは環境問題その他で各社のベクトルが似通っているため、画一的である。そこで再びカーデザインの原点に戻り、見る者がクルマというものについての夢を抱くようなデザインを試したい。テーマは「巨大なタイヤと低いボディ」。クルマはそれがデザインとして一番美しい。車高は1メートル、タイヤはプロダクトラインの一番でかいやつを使え。環境問題など、とりあえず今の車の持つ問題は考えないで作る。3年以内にプロダクトとして作られるようなデザインはダメ。先進的であること。美しくあることが要求された。
帰省し、山形の実家近くの廃棄自動車置き場を訪れる奥山氏。彼はそこでスクラップになったあまたの車を見て涙する。「感動のないデザインはスクラップになったら残らない。古いフェラーリなど、作り手自身がが感動して作っているデザインは、スクラップになって田舎の納屋にあっても、見た者を感動させる」という。車のデザインという仕事に対する強いこだわりがある。
今回の仕事は、4人のスタッフデザイナーのうち、当初は一番できが「よくない」とされたジェイソンの作品が最終的には選ばれた。彼は、当初自身のオリジナリティとしてこだわっていたフロント部分のデザインコンセプトを、奥山氏がいうように根本的に改めたのだった。後に現われた、デザイナー本人ににも似たようなマッチョでダイナミックなデザインが採用された。
デザイン画はその後、発泡スチロールの実物大モックアップとして整形され、それを元に微調整が行われる。ところがここでジェイソンが「ビビ」る。自分のデザインの過激さに恐れをなしてしまって、より穏便に済ませようとする。そのデザイナーの心のぶれを、今度は奥山氏が励まし、立て直す。「自分を信じろ」「やりたかったものは何かを思い出せ」。
モックアップはオリジナルデザインの過激さのままに、専門の職人チームによりボディの細部を手で撫でられながら削られリファインされ、V12らしいエンジン、シャーシと組み合わされたアルミボディ(のようだ)となり、ショウにデビューする。そして先進性と斬新さにより高い評価を得、その年のベストデザインとなった。
とにかく「たった一枚のイラスト」ができればいい。それで全てが分かる。また全てが伝わらなくてはいけない。その一枚が出るまでは絶対に妥協しないという強い強いこだわりが、奥山氏のプロのデザイナーのあり方として(当たり前だが)印象的だった。
そしてまたイタリアデザインの曲線、美しさに対するこだわりも非常に面白かった。科学的空力はとりあえず後から考える。なによりデザインが一目見て美しくなくてはダメ。その美しさの確認のために、大の男たちがデザインルームの反対側の隅においたモックアップを、遠くから、眼を皿のようにして、穴があくほど見つめ、美しさを考えている姿は、とても興味深く、愉快で、親密さを感じた。
また、一度はひどくダメだしされたスタッフデザイナー、ジェイソン君が、ストレス解消のようにびんびんと車を走らせる。それが自分の車と同じ車だとわかった時、彼にも親近感が沸いた。わかるよ、それ…:)
そして部屋に帰った彼は、銀色のPowerBookを取り出してデザインを描き直し始める。。わかるよ…:)
出張の帰りの時間調整に、東京都庭園美術館で開催されている八木一夫展を観に行った。
東京都庭園美術館は「旧朝香邸」で、アールデコ様式の建物である。建物自体がすばらしい。様々なものの具象的な形が工業的に、かつとても美しくデザインされ、はめこまれた空間。そこで現代陶芸の嚆矢たる八木一夫の、具象とも抽象ともつかない過激でユーモラスな陶芸作品の展覧会が開かれている。そのこと自体がアートと言ってもいい。
素晴らしいアートを観るといつも思うことを、ここでも再確認することが出来た。アートは何をしてもいいのだ。何にこだわる必要もない。好きなように好きなものを作る。重要なのは、技法の完成度へのこだわりだ。まじめで、くっきりとした作法で、思うままの創作が行われている。
現代アート陶はほとんど彼によってやり尽くされているといってもいいのではないか。「オブジェ陶」という言葉を作ったのは彼だったか。他のよいものを見たときとまったく同じ。勇気とインスピレーションが沸いてくる。
彼の作品について、そのこと以外にとやかく言うべきことはない。だたみて、ただ勇気づけられる。本物の力とはそういうものだ。
出張で上京し、会議までの時間調整で観た。会場は六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリーである。
この建物は動線が妙にわかりにくい感じがする。看板の位置などが適切でないのか? 黒地に白の花柄がプリントされた薄手のスカートと生成りの麻のトップを着た、少し大柄の見知らぬ女性と、つかず離れずにうろうろとしながら道を探した。直感的にこの人も同じところに行こうとしているのだと思った。その通りだった。アート仲間の以心伝心、といったところか…
建物の内部装飾や雰囲気などが、ブランドイメージである「一級の商業施設」からするとややエレンガンスに欠ける。特に52階のスカイビューくらい無料で開放したらいいのに、とも思うが、これはタダだとわかると美術館の周りの環境で客が騒ぐからか? 全体としてざわざわ感がすこし気になる美術館環境だった。
フィリップス・コレクションはアメリカの資産家ダンカン・フィリップスの個人コレクションを、自宅をそのまま美術館にして公開したものである。今回展観されたものをみると、まるで教科書のように、各時代の一級品・典型的作品が揃っている。こんなに「まんま」あっていいのか?、という感じの素晴らしいセレクションだ。アメリカの財力と、良くも悪くも(悪いわけはないのかもしれないが)アメリカ人の美的センスがイメージされる。
まずは入り口をくぐってすぐ、観衆を迎えるエル・グレコの「悔悛の聖ペテロ」にひれ伏す。いきなりがつんとやられてわくわくする。そしてすぐアングルそのものであるアングルの作品が出てくる。
モネは「ヴェトゥイユへの道」が展示されている。まさしくモネらしい不思議な明るさの点描的技法で描かれている。絵は1.5mくらい離れるとその空間的イメージがとても明確になる。画家も恐らくはそれくらいの距離からみた感じで描いたのだろう。その為には、すこし絵筆を長く持つための道具を使っていたのではないだろうか、と思う。
バルト・モリゾの「二人の少女」は、身体の線などがいかにも女性らしい表現になっていると思う。
次の部屋には絵が一つしかない。ルノアールの「船遊びの昼食」である。誰もが教科書でみた絵ではないか。その明るさと、友好的で楽しげな雰囲気に、一目見たとたんに幸せな気分になる。もうそれだけでいいのだ。解釈など必要ない。
進んで次の部屋に行くとゴッホの作品がいくつか並んでいる。とくに「アルルの公園の入り口」がよい。
彼の絵からは情熱を通り越した狂気の力強さと、冷静な観察眼・感性の鋭さを感じる。その二つの対比から画家ゴッホという存在そのものの哀しさを想う。彼もモーツァルトや田中一村のような、芸術の神に魅入られ、芸術のみに生きろと命じられたいけにえだったのだろうか。
近くにあるセザンヌとゴーギャンの不思議な類似を感じる。また未完のような、現代絵画のような面白さを持つセザンヌの「ローヴの庭」。
壁の反対側にオディロン・ルドン作の「神秘」があった。これは初めて見たのだが、自分がよく知る厚塗りのルドンではない。ラファエル前派的明るさ、ちょっとミーハーな感じの神々しさがあり、また見方によっては青池保子の「エロイカより愛をこめて」を連想するような、意外なフェミニスティックさを持つ。ルドンてこんな人だったんだ、という感じ。
会場を行ったり来たりしながらなんども観た。何度か目に、最初のエル・グレコの作品の画面の状態の素晴らしさに気づいた。1600年代の絵画なのだが、まったく絵の具のひび割れがない。100年以上下ったアングルの作品のほうがまだダメージが大きい。
あまりにきれいだったので、近くでいろいろと解説をしておられたキュレイターの様な方に、そのことを質問してみた。もちろんそれは修復作業によるのだそうだが、もともとエル・グレコの絵はひびが起きにくいものらしい。それにしても修復とはここまでひっそりと完璧な作業ができるのかと驚いた。フジタ偉い。:)
もはやお定まりのエピソードだが、バイブで着信した携帯メールを読んでいたら、若い男性の館員が近づいて来て、いくらか緊張した声で私に言うのだ:
「Sir, you are not allowed to use it」
「OK」と答えた。
私は日本語のメールをみているのに。。:)
五泉工房のryosenさんに芸大ガムランサークルのガムランと影絵芝居の会があるのを教えてもらったので行ってきた。場所は中村家住宅となりの大城区広場(公民館?)だった。ryosenさんに「分かりにくい場所」と聞いていたが、とりあえず中村家住宅(観光地となっている)まで行くと、ガムランの演奏会でよく見かける、布の垂れ幕がかかっている。少しわくわくし始める。中村家の観光駐車場に車を駐め、壁の張り紙と遠くから聞こえてくる音を頼りに進んで行くと、中村家の壁を少し左に登ったあたりに目的地の広場があった。
公民館の広場のようなところの芝の上にござなどが敷いてあり、真ん中に2m四方くらいのスクリーンが準備されている。縁は木製、土台がバナナの幹でできていて、これが鉄骨の支柱に支えられて立っている。メンバーはその一方側に座り、音楽と影絵のリハーサルをしていた。あとでryosenさんが教えてくれたが、土台のバナナの木は、公民館の方でどこからか切り倒してきてくれたようで、普段の発泡スチロールの疑似バナナを使っていない。またココナッツオイルの灯りでやるので、今日は非常に道具立てがいい感じになっているとのことであった。本番の1時間前にリハーサルが終わった。
広場の裏手の運動場で子どもと遊んでいた村のオバーに尋ねると近くのマチヤーを教えてくれたので、そこでパンとサンピン茶と蚊取り線香とライターを買って会場へ戻り、腹ごしらえをしたた。ここはとても静かな場所である。昔から沖縄はこれくらい静かだったんだろう、という感じの場所。会場の裏手のバスケット場でいい感じの兄弟(?)3人がいて、バスケの上手な中学生くらいの兄が、小学生以下の子ども二人を相手をしていた。とてもナチュラルで楽しそう。静かであることと平和であることの意味を感じた。
三々五々と人が集まり始め、1930に開演となった。
まず最初に解説があった。物語はインドの叙事詩ラーマヤーナがインドネシアに伝わり、何百年かを経てアダプテーションされ古典化した物語からで、ラーマ王子の妃シータを盗んだランダ(?)王とその弟クンバカルナと、ラーマ王子軍の猿軍団との戦いであった。勧善懲悪でランダ王側が負けることはバリでは誰でも知っているのだが、ほぼ主役となる将軍クンバカルナの、本人は戦いを望んでいないが、国の為に闘う姿と、その武人としての死と尊厳が語られる。敵は右から、味方は左から現われること、ヒトはしっぽがなく、猿はしっぽがあり、敵には頭に毛がついていること、うちわのようなものが、木・森・風・世界の移り変わり・魂など、あらゆるものを表すこと、演奏中の言葉は「古代バリ語」で、実は聴衆のバリ人も理解してはおらず、そのために物語の中に現地語に翻訳する「語り手」がいてストーリーを解説しながら進むことなどが話された。
演奏が始まった。最初の20分は人形を目覚めさせる、などの儀式的な部分があり、全く音楽のみで進む。聴衆はスクリーンの前でも後ろでも、好きなところから好きに見てもいいのだ、という事だった。その後に切れ目なく2時間の演奏と影絵芝居が行われた。
スクリーンのバックプロジェクション用のココナッツオイルの灯り一灯だけで行われた。会場の部屋の灯り、街路灯の灯りも消され、徐々に暗くなってくると満天の星空を小さな雲が流れて行く。時に大きく、また静かな語りのシーンでも、小さく、さりげなく鳴り続けるガムランの音。そこでスクリーンに映る立った一つの蝋燭のような炎を頼りに進む影絵演劇はとてもファンタスティックだった。
だんだん盛り上がりつつ、最後は一気にクライマックスから大団円につながり、退屈することなく終わった。
終り近くに後ろ側に回ってみたが、ほぼ真っ暗な中で影絵と演奏が行われている。演奏が10人くらい。一灯のみの灯りのサポートが二人ほど、そして影絵そのものはほ、声を含めてほとんど一人のパフォーマンスだった。すごい。猫のケンカのような「猿の声」はどうやってだすのか、語りのどこまでがアドリブかを知りたいと思った。
スクリーンの裏のパフォーマー側から見た影絵人形の見え方と、表の影絵は全く違ったインプレッションをもたらす。裏側の人は、おそらくは表側の効果を完全には知らないものと思う。ただ一人の影絵演劇家のイマジネーション(向こう)とスクリーンのこちらの効果とイマジネーションの差をとても興味深く思った。
非常に充実した時間だった。教えてくれたryosenさん、どうもありがとうございました。
出張の移動日に裏千家茶道資料館で観た。作陶5年記念だそうで、茶道資料館の展示室は全て氏の作品だけに置き換わっていた。
この人の作品をみると、「形から入る人」だな、という印象が強い。
氏の書は一見、魯山人に似ている。しかしよくみると「芯」というか中心線ががない感じがする。ひょっとしたら魯山人本人もそうなのかも知れないが、まだよく調べていない。とにかく字体ないしは「フォント的」にはそんな感じがする。
焼き物はいろいろ・さまざまに「本歌」を感じる。つまり何か過去のオリジナルの名品のイメージを展開している感じだ。ここは裏千家茶道資料館であるから、本歌であるオリジナルが幾つもあるはずだが、今回は館内の展示がすべて細川氏の作品だけになっていて、本歌となるべきものと見比べることはできなかった。残念なことではあるが、主催者側からいればある種の配慮と言えるのかもしれない。
とにかくそういう感じで「ありものの形から入る人だ」という感じがする。もちろんその「ありもの」は「とてもよいもの」である。
そして、ありものから「まねぶ」のは悪いことではない。だれでも物事は真似から始める。そうして上達していくのだ。むしろそういう態度を正直に表現しているともいえるし、まねぶ努力をしている人だということも言える。
図録に書かれていたのにあとで気づいたのだが、本人も、特に本阿弥光悦の自由な作陶をよしとし、それをまねる努力をしていると明言している。正直な人である。
そして作られたものは「形」として美しい。美しいのだから才能があるのであり、日々の努力をしていることがうかがわれる。
ではそれは「本物」か?、ということになる。
氏の作品と本歌との差はなんであろうか。色か?、形か?、テクスチャー・質感か?
一つは、本歌取りには「まねる」という作為があるのが問題かもしれない。そこにはオリジナリティと「編集行為」の微妙な問題がからんでいる。
しかしそういう作品自体のもつ属性要素は、日を経ると変わるものかもしれない。モノは古び、色も質感も変わってくる。その時は問題も何もなくなるのかもしれない。
つまり「コンテンポラリー」でなくなったときに。
おそらくは「コンテンポラリー」なことが、今は最大の問題なのかもしれない。
それは、氏が「人としてどうか」という評価をまだ受けるフェーズにいることと関係しているのだ。
氏は現在、氏にしかできない有利な立場で仕事している。それは「元総理」というブランドであり、それに伴う様々な強烈なアドバンテージをもって、ということである。ハイソサエティに向いた巨大なマーケットがあり、その中で悠々自適の作陶生活を送っておられる。氏は日々の生活に追われる事はなく、そのようなことからは自由である。これはものを作るにはベストの環境といえる。
もちろん、日本の、昔のアーティストもそうだったといえる。彼が理想とする本阿弥光悦もそうだった。(たとえ家康に従い江戸に来ることを拒否し、鷹峯に追われたといっても、である。)そして、資本主義社会において、人がすでに存在する力学を利用するのはしごく当たり前のことだ。そこに氏の悠々自適がある。
で、氏は自らがそういう意味で特殊であることを自覚しているのだろうか?彼の如くでなく、日々をかつかつと過ごしている多くの大衆が同時代にいることを意識しているのだろうか?さらに、その時代状態へいたる道(自民党一党支配が崩れた後、自民党が絶妙につるんだ社会党が腐れ果てるように崩壊し、自民党と、後はどんな政治ポリシーがあるかもわからない野党の間で、なすべき政治がほとんどなされない現在にいたる道だ)のマイルストーンに氏自身がいた事を憶え、自覚しておられるのだろうか?
氏がコンテンポラリーな作家だからこそ、それが問われるのだ。アーティスト(というよりも、氏はおそらくは「一陶工」と呼ばれたいのかもしれないが、しかし光悦は明らかに一陶工ではなく、間違いなくアーティストである)となった氏は、そこに至る道の前にあり、早々と投げ捨てた政治家としての自分の生き様にけじめをつけているか?その上での「晴陶雨読」なのか?
それを彼の何か・どこかに見たい気がする。作陶家であるまえに「人」のあるべき姿であり、それが見えた時に、氏の全てが「本物」に見えるだろう。それが「コンテンポラリーであること」の宿命だ。
がしかし、それは逆に、彼自身がコンテンポラリーでなくなった未来には、全く意味をなさないことでもある。100年どころか50年も経てば、氏の政治家としての何に言及する人もいないだろうし、彼の作品は「平成の中興名物」として今以上に評価されるだろう。その時に問われるのは、氏のアーティストとしての才能だけだ。
ところで呈茶席のある資料館の中庭には、美しく散り始めたソメイヨシノと共に、黄色い地に節ごとに互い違いの場所に緑のストライプのでる美しい竹がある。とてもきれいなので呈茶のスタッフの方にお聞きしたところ、「金明孟宗竹」というのだそうだ。緑のストライプは枝の出るところに現われ、それで互い違いになるのだそうだ。あとで調べたら天然記念物であった。
そこでふと思い出したのだが、沖縄の「クガニダキ」と呼ばれる竹がある。これが同じく黄色の地に緑のストライプがあるのだ。「クガニダキ」は「黄金竹(こがねたけ)」である。何かのつながりを感じる。
眼の前に現代世界百科大事典がある。昭和47年の初版で、第3巻が7800円と書いてある。結構な値段だ。それが未だにうちにある。実際のところ、今見てもなかなか見飽きない、よい事典である。
その「ら」の項目の資料写真として、初めてジョルジュ・ド・ラトゥールの絵を見た。16か17の時だ。
それは「マグダラのマリア」だった。光と影の表現、描かれているマグダラのマリアの美しい横顔、美しい脚の線(おお17歳!)。それらにすっかりまいってしまって、いつかこの絵を見たいと、長いこと思っていた。(それはここに見ることができる。)
そして、ついにチャンスが来たのだ。
仕事で上京した時間調整の合間に、上野の西洋美術館へ「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール - 光と闇の世界」展を観に行った。
17世紀フランスの画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールは20世紀に再発見された作家で、その実像についてあまり知られておらず、また残っている作品の数が模作を含めて40点ほどしかない。西洋美術館が2003年にラトゥールの作品「聖トマス」を購入したのを機に、今回、彼の作品を包括的に集めた展覧会が開かれているのだ。
彼は、特に蝋燭を印象的に用いたの光と影の画家ということができる。一本の蝋燭の光を頼りに、それが生む光、影、透けて見える効果などを追求していく手法が、劇的で印象的な作品を作り出している。
全てを観て回って、最終的に、私の個人的な期待の強さからすると、全体として今回の展覧会はとてもよいものとは言えなかった、ということになる。
もちろんあくまで私の期待値とのギャップ、というわがままな視点において、だ。
まずは模作が多い。模作を沢山示すよりも、真作を数少なくでも集中的に見せられた方が、私はうれしかったのだと思う。
また、私の好きなマグダラのマリアがなかった、のだ。それはルーブルだかロスだかにあるらしい。今回来ている絵で、それに一番よく似た光の加減を描写しているのは「蚤をとる女」だと思う。ただ残念ながら、それはあの美しいマグダラのマリアではなかったのだ。
別の「マグダラのマリア」が展示されていたが、それは本当にラトゥールの真作なのだろうか?私はそれを調べる目も知識も持っていないが、彼の作品にしては、どうも未熟な感じで、テクスチャーも描き方も異なるような気がした。
展示されていた作品で良かったのは、「聖トマス」「荒野の洗礼者ヨハネ」「聖ヨセフの夢」「蚤をとる女」などであった。
結局のところこれらの絵はとても素晴らしいので、この展観は第一級の展覧会と言うべきなのであろう。私の不満は、繰り返して言うが、私が恋人のようにずっとずっと想っていたマグダラのマリアがそこにない、ということだけなのだ。
上京した帰宅日に熱海のMOA美術館で開催されている所蔵名品展に出かけた。目当ては館蔵品展と、そして先日驚愕の秘密が明らかになった紅白梅図屏風の展観だ。
コインロッカーで100円払って(戻って来ない)中に入る。えんえんと続くエスカレーターで頂上にある美術館へ導かれる。
MOA美術館は、広く、高い場所にあった。広大な風景だ。「大人の遊び場」と言ってもいいかもしれない。(でも家族連れも多い。)朝から一日いてあちこち見て歩いたり,ぼーっとしていても飽きないと思う。
国宝の「紅白梅図屏風」は思った通り、今回発見されたからくりを知らずとも美しかった。構図のバランスが斬新ですばらしくよい形をしており,また色使いのセンスもいい。
さらに発見された技法上のからくりがさらに作品を面白いものにしている。根津美術館が所有する同じ光琳の「杜若図」と同様の金箔仕立てと思われていた金地は,実は箔を似せた手描きであり、さらに銀箔と思われていたところからは全く銀が検出されなかった。我々は200年近くダマされていたのだ。それは技法として言うべきこともなく当たり前のことだったのか、それとも何らかの制約をクリアするためのものであったのか、それとも「騙し絵」としての手の込んだ遊び心だったのか。とても興味深い。
オリジナルは東北のどこかの藩に伝わるものだったというが、当初の保存状態が悪く、曲がり部分が剥がれているのが残念なことであった。(しかしそれでもとても美しい。)
工芸技術の粋を集めた美術品として、世界に誇れるものだと思う。いつも出ているものではないようだし、会期中に機会のある方は、ぜひとも観ることをお薦めする。まさしく国宝。
他にも2400年前の壷や、伝牧渓の鳥、初代長次郎の椀など見所多数の美術館であった。
なかなか上京の機会はないので、チャンスがあれば寸暇を惜しんでいろいろなものを見るようにしている。今回もミーティング後、帰路につくまでの時間調整の隙間を利用して、人形町にある辻村ジュサブローさんの「ジュサブロー館」を訪れた。
1000円の入館料を払って入ってみると、ジュサブローさんご本人が製作中であった。ご本人曰く、ここは元々仕事場である。だから誰でもするすると入って来られるのも困るので、いちおう入館料を取っている、とのこと。奥の展示室はまるでキャバレーのような極彩色にデコレートされて、洋風プロポーションの人形がステージに立っている。
ジュサブローさん曰く、パリで見たレビューのイメージが素晴らしかったので、そういうのをやってみたくて昨年秋から人形を作って、室内をフレンチバー風にデコレートした、とのこと。第二火曜日に人形のレビューショーを始めたとのこと。
パリで見つけたクリムトの絵をオブジェにしたものが飾ってあり、お気に入りの様子だった。
展示されている人形だが、大もあり小もあり。ちりめんでできた顔立ちは、昔風だが、コンテンポラリーでもある不思議な表情をしている。技法的には髪の生え際など、非常に繊細な仕事で、かつ用途耐久性が求められるわけで、デリカシーとタフさの両方が求められる仕事のようだ。唇の脇に「棘」を持っているものがいくつかあり、聞けば「よよ」と泣く時の衣のフックだそうな。なるほど。
人形自身が小型のあやつり人形を手に持っているものが展示されてあった。パラドキシカルな興味深い眺めだった。聞いてみると、もともと文楽人形はシングルオペレーターであった。それも本来は読みと謡が中心なのだが、客のアイキャッチやちょっと目を引くために人形があった。それがだんだん主役になってきて、さらに人形浄瑠璃として複数オペレーターになっていったのだそうな。
そして、シングルオペレーターであった昔には、ジャニーズ系の美形少年にこうして人形を持たせてアイキャッチもしていたのだとのこと。なるほど。
面白い時間であった。
仕事で上京し、ミーティング前の時間調整の間に観た。昼頃の便でついたので、浜松町から東銀座に出て、まず歌舞伎座の向かいの「ナイルレストラン」でムルギーカレーセットを食べた。その足で歌舞伎座へ。
一幕見のチケットは開演20分前に、当日現場にいる人にだけ販売される。みぞれ気味の寒空に仮設屋根下に並べられた椅子に座って販売を待つ。外人客が多い。一幕見は800円である。時間になり、チケットを買って、4Fの天井桟敷の席にいく。もぎり嬢に「No Video, No Camera」といわれる。「OK」と言って、コインロッカー(100円有料)に荷物を預けて中に入る。
歌舞伎座は、古びている。沖縄の古い映画館や、県庁の駐車場にすると言ってつぶされてしまった、在りし日の立法院棟のようだ。古い建物、古びた内装、煤けた緞帳。
外の飾りの取り付け方が神社の祭りのごとく、大衆芸能の雰囲気がふんだんに漂っている。我々が席入りしたあとの舞台でも、直前まで道具方がとんてんかんと大工仕事をしている。客もそこいらで幕の内を食べている。客も客あしらいも大衆的だ。
そしてこの建物、幕見の高い天井桟敷の位置からでも、ちゃんと舞台が見渡せるようにできている。すばらしい構造だ。(さすがに花道は見えないが。)
さて、演目の「義経腰越状 五斗三番叟」だが、義経を題材にした創作劇と言えるのだろう。筋を解説してもさほど意味があるとは思えない。ここばかりは能と同じく、見て楽しむものである。
実を言うと前半は寝ていた。それくらいゆるゆるとした、楽しい芝居だった。後半、主役の五斗兵衛が、奴と立ち回りを演じるあたりから目が覚めた。この立ち回りが面白い。
がなにより、この五斗兵衛盛次役の播磨屋吉右衛門が三番叟を踊る姿の実に粋で美しいこと。ときどき「げっぷ…」といいつつゆらゆらと酔っぱらいながら踊るのだが、その手つき足つき、本当にうまいものだと思った。酔っぱらってこんなに楽しげに、かつ上品に踊れたらなんと楽しかろうという雰囲気のものだ。
いわゆる「奴」の装束を始めて見たが、まさしく奴凧の絵姿そのもので、あの凧の名前の意味がようやくわかった。
面白い芝居だった。
日本橋三越でわずか5日間だけ開催されているが、たまたま出張の帰りの時間待ちで観た。今回新たに発見されたNYで発見されたカラーフィルムの国内初公開とのこと。
木曜の夕方にもかかわらず、会場の7F催事場には、「流行り」でもないはずなのになぜこんなに?、というくらい非常にたくさんの観客がいた。70過ぎくらいの方々も多い。写っているものの一部はその方々にとっては「敵方」というリアルな体験に近いのかもしれない。しかしそれらを、彼らは懐かしそうに見ているようにみえた。なくなった在りし日の文化を見ているのかもしれない。
カラー写真のどれもが美しい色なのに驚いた。特に大西洋の護送船団とイギリスの空軍基地の写真の、海と空の青色は、まるで戦争中とは思えない美しさである。戦争だろうとなんだろうと、美しい風景は美しい。(戦闘シーンは含まれていない。)
そしてのどかさがある。「空軍大戦略」という映画を思い出し、あのテーマソングを思い出していた。映像には全く写っていない、護送船団の海面下の魚雷の恐怖、空軍基地の空からの脅威は、映像の背後にゆらゆらとした気配として感じられる。
空気のせいなのか、フィルムのせいなのか、彼が撮った日本とインドシナは、大西洋側の海や陸とは色が違う。ポジフィルムとネガフィルムのような感じの差がある。
キャパの写真には、いつも人を見る優しい視線があると思う。戦闘は常に残虐である。しかし彼は敢えてその残虐を撮らない、あるいは公開していない。「それでも人生は続くのだ」と、彼はいつも言っているように見える。
ノルマンディーの海岸も、沖縄のそれも、上陸作戦が始まるまでは、同じように美しく、のどかだったのだろう。その「あったはずの美しさ」が、これらの写真から感じられる。
まさかこの写真たちを「美しい戦争」と受け取る輩はいないだろう。
先日はプライベートな京都旅行だったが、出発前日に風邪を引いてしまった。(そのせいか、帰りの機内で大まかに書いたこの文章もへろへろである。直しているが、全体として「直らない」感じ。このままで出すことにする。)
鼻閉が少しでも悪化しないようにマスクをして、風邪薬を服用しながら出かけた。那覇発の機内ではずっと寝ていた。
関空から「はるか」で京都へ。車中でもぼんやりと過ごした。今回はまだ行動スケジュールが決まっていない。それどころか、風邪のせいで予定していた自転車行動が中断されるかもしれない…
それでも、京都が近づくといつ東寺の塔が見えるかとわくわくした。山崎を過ぎ、桂川を渡り、ワコールの工場を過ぎるとそれはいきなり見える。「ああ、京都に来た」と感じる瞬間だ。
改札を出ると友人たちが待っていた。「自転車で行動」と言うと、風邪ならやめとけというので率直に従うことにした。結果、九条の京都第一ホテルまで10分ほどを歩くことになった。やれやれ。

荷物を預けて食事に出かけた。丸太町京阪の「京のつくね屋」という親子丼のうまい店。昼の営業時間〜14:30にぎりぎりで間に合った。親子丼を食す。山椒が効いていてうまかった。…が、何がどううまいのかを記述できる体調ではなかった。鼻はぐすぐすである。
店を出て出町まで歩き、出町ふたばの豆餅、田舎餅(草餅)、季節の丹波栗の栗餅を買う。
そこからタクシーで裏千家茶道資料館へ。
茶道資料館では「茶の湯の用と美」という展覧会が行われていた。時間の関係で先に呈茶を受けることに。
呈茶の菓子の銘は「焼き芋」だったか(?)芋を焼いたような形の和菓子であった。菓子をもらい、さっさと配られてきた茶を服した。上手な方がものも言わずにきちんと点前をしてくださるのを見たいのだが、なかなかそういう機会には恵まれない。
展観されてあったものは、なかなかによいものであった。風邪でぼんやりしていて銘がそれぞれなんだったか忘れてしまったのだが、長次郎が様々なバリエーションの茶碗を作っており、単に黒い匿名的な茶碗だけを焼いていたのではないことがここでもわかって興味深かった。
資料館を出て中立売まで歩いて下ることにした。堀川通の特にこのあたりはかなり「さびれて」いる感じがした。目立つ観光の対象としてはせいぜい安倍晴明をまつった晴明神社があるだけで、商店街はそれを何とか取り込んで活性化しようとしている。そして嵐山辺りの土産物屋のように化けつつある、どこにでもありがちなシナリオに見えた。
近くに休めるような場所を探し、なんとか中立売辺りの府庁寄りに喫茶店を見つけて入った。しばらく友人たちと話をしてから1800頃に別れた。
そこからは歩いて近くのライブハウス拾得へ。すぐに生方さんと会うことができた。一緒にホソイさんもいた。そのうちお二人のお友達が家族連れで現われ、まるでファミリーパーティのような雰囲気でライブが始まった。

(上の写真は「コウサカシノブの日常」より許諾を得て使用)
生方ユニットの名前は「チルドレンズ・クーデター」。一言で言うと、今時誰もやらないような、前衛的でアングラでインテリジェントな音楽であった。すかっと「美しげな」音楽はやらないのだそうで、かなりアバンギャルドでトンがった音楽を、「かなり」を通り越したテクニックで演奏した。6曲くらいやっただろうか。生方さん作の6弦チェロが非常に面白い効果を出していた。彼のキーボードもまるでキース・エマーソンの様な音質で、いまどきなかなか聞かないタイプの音だった。
演奏につれてベースのホソイさんの身体がいい具合に暖まってきていて、あと二曲くらい聞きたい、というところで終わった感じだった。もう何曲か聴きたかった。
次のバンドは「アマゾンズ・サライバ(amazon's saliva)」で、こちらはもうほとんど絶滅したんじゃないかというくらいストレートなロックだった。あとで生方さんに聞いたら、リーダーの人はアメリカでずっとそういうハードロックをやっていたのだとのこと。最初から最後までフルパワーの全開、ドラムの人は最後には倒れる寸前。自分の好みかどうかは別として(実はあまりに音が大きいのが風邪の頭にがんがん響くので、ティシューで耳栓を作って耳に入れていた)、ああいう音楽もありだなんだろうと思った。
京都ジモティの皆さんのライブの楽しみ方に触れて、もう一段なにやら京都という世界が身近になった気がした。後で聞いたら、ここは京都でも一番古いクラスの、30年くらいやっているライブハウスとのこと。
明日のことを考え2200頃に辞去した。そのままホテルに帰り、風邪の体調と明日の行動を考えながらおとなしく寝た。
翌土曜日は、まだ風邪体調だったが、まず京都駅近くのレンタサイクルデポに自転車を借りに行った。なんと20人くらいが並んでいて盛況である。予約の通りMiniVeloのハイクラス、7段変速のバイクを借りた。これはなかなか乗りやすい。
まず、昨日見えた塔のある東寺に出かけた。九条に出て東寺駅を過ぎるとそれはまたもやいきなり現われる。京都では意外に珍しい、端正な五重塔。境内に入って「いつも京都に着いたことを知らせてくれてありがとうございます」と挨拶してからそこを離れた。
九条通を東へ行き、鴨川を越えて七条へ上り、三十三間堂へ行った。コピー&ペーストではない、リアルな1000体の仏像が並んでいる。風神・雷神、二十八部衆などの守護神も並んでいる(雷神は修復中)が、その中の婆藪仙人という老人の修行者の像は、他とは全く異なった趣があり、異質で驚いた。筋肉表現などもリアルで、12世紀頃の作ながら、ルネサンスの彫像にも伍することができる作品だと思った。他の二十八部衆を見て思い出すのは…やはり萩尾望都の「百億の昼と千億の夜」だなあ。:)
三十三間堂を出て五条に上がり、少し探してから河井寛次郎記念館に入った。
ここは自転車デポがなくて路駐が少し気になったのと、風邪が絶不調の状態にあり、あまりきちんと見た気がしない。それでも京の町中に穴窯と登窯があるのを見て驚いた。またここにある、寛次郎作以外の、様々な昔のモノたちがみな美しいのにも感心した。日本のそういう美しいものたちは一体いつどういうふうになくなってしまったのか。
記念館を出て四条川端で生方さんらと合流した。みな自転車である。
南座の向かいの「菊水」という昔からある洋食屋に入った。それぞれにビーフシチュー、タンシチュー、ポークカツなどを注文。おいしい洋食だった。
そこから知恩院に行くことに。四条通りを八坂神社方面へ自転車を押しながら歩いていると、くるとん川森さんから電話が来た。円山公園あたりで合流することにした。
知恩院に入り、映画「ラスト・サムライ」で使われた男坂を登り、御影堂の前に来る。その巨大さに驚く。これが木造建築か?、という大きさである。その建造技術、その権勢に想いを馳せる。中では念仏読経が行われている。大梵鐘、勢至堂を見てから方丈庭園に向かった。歩き歩いて頂上に来ると、そこから京都が一望できた。いつの間にこんな景色になってしまったのか、と生方さんが嘆く。確かにビルしか見えない。今ホテルオークラとなっている、あの大きなビルも見える。
下って円山公園の長楽館という喫茶店でくるとん川森さんと合流した。自転車フリークの彼はSTRIDAの三角形の自転車で来ていた。
長楽館は、女性専用のホテルであるとともに、喫茶も開いている。たまたまこの日は貸し切りの結婚式が行われていたが、喫茶は営業中とのことで、アイスクリームをもらった。中を少し見て歩いたが、非常に美しい建物であった。何度も来たくなる場所の一つだ。
そこから樂美術館まで行くことにした。平安神宮方面へ上り、三条あたりから御苑に入った。梨木神社のおいしいわき水を飲み、御苑の砂利の上の「自転車獣道」(あれは本当にうまいところにできている。砂利が再整地されるとまた同じところに自然にできるらしい。乗りやすい!)を走りながら反対側に抜け、中立売あたりから樂美術館へ向かった。
1600ぎりぎりに着いたのだが、快く受け入れていただいた。
またもや初代長次郎に嬉しい形で裏切られた。今回ここでは「三輪」という茶碗が出ていた。赤楽と言うが、色はマット調の白で、それに焦げた茶色い模様がまるで森の木立のように写っている。これを三輪の森の木になぞらえた銘とのこと。初代長次郎は真のアーティストである。
今回は「能と茶」という組み合わせで、出されていた中将の面も非常によかった。
ここで生方さんらと別れて、くるとんさんと二人で自転車を返しに堀川通とその近辺の道を京都駅まで下った。
京都駅近くのサイクルショップ銀輪で自転車を返したのだが、中に入ったくるとんさんと店長の雨森無我さんが話が合い、そのまま長話となった。なかなかに面白い出会いだった。京都駅でくるとんさんと別れた。
夜はイナンナの会の懇親会であった。「テルサ」という施設だったが、ホテルから見ると施設前にある広い駐車場に見えるところは実はバス会社のデポスペースで、そこをだいぶ奥に入ってから通り抜けできないのだとわかり、また戻ってから会場へ。やれやれ。
懇親会場では以前から親しくさせてもらっている方々にお会いすることができた。二次会三次会が面白くなりそうなのは見えていたが、風邪の体調のせいで残念ながら欠席し、おとなしくホテルに帰った。寝る前に木星と金星の最接近の話を聞き、stellariumで翌日の惑星の位置も確認したが、この体調では見るのは無理そうだと断念。
翌朝は0800少し前に京都駅発ののぞみで東京へ。自由席はほぼ満杯状態で名古屋でようやく席に座ることができ、あとは東京までずーっとぼんやりしていた。1000頃に東京駅着。荷物をデポして1045頃に有楽町へ向かった。
丸の内のヨーガンレールの前についたのは1055頃。まだ開店していない。少しそれたところの壁に寄りかかり、1100を待つ。東京でも意外に静かなこの場所。遠くで工事の音がするだけ。風邪の頭が、次第にアートな頭に切り替わってきた。よしよし。
1100にヨーガンレールに入りスタッフの方に挨拶し、展覧されている茶箱などを見せてもらった。店内は草木染め的な色でぼんやりと色付けされていて、部屋ごとに紺だったり緑だったり黄色だったりピンクだったりオレンジだったりする、面白い壁の色。色の切り替えのグラデーションを出すのに、デザイナーさんが自分の手でこすって塗ったらしい。面白い。
茶箱とその中の道具たちはなかなか興味深いものだった。どれもスーパーミニマルな小ささ。茶を点てることができる最小の大きさと思えた。これらの道具の製作者たちはみな茶のたしなみがあり、自分が鞄にポンと入れて持って行ける最小限の大きさの茶箱を作ったとのこと。なるほど。ここまで小さくしても茶は成り立つのか、と感心するとともに、利休茶箱の大きさは、一般的な観点ではかなりよくできた大きさなのだと再認識した。とはいえ、自分が持つならこれくらいの小ささの茶箱がハンディでいいのかもしれない。(高いから買えない…自分で作るか…)
もう一つ感心したのはジュエリーで、とんでもなく高品質の素材で、とんでもない手間をかけて作っている。使う人か、よくよく目が肥えた人でなければその意味が分からないようなものもある。たとえば青いネックレス。石はラピスラズリで、それも全部アンティークのものを、とても小さいビーズ状に加工し、さらに間に同じくらい小さな24金の金のビーズを挟みながら織って(?)ある。その他24金の、ぷよぷよとした金の卵や同じくらいの純度の銀の卵などなど。面白いモノたち。
1240頃に辞去。
有楽町線、半蔵門線と乗り継いで渋谷に出た。duo Music Exchangeで知人の結婚披露宴。梅が丘マリアージュの穴田さんが開会の挨拶。ビールやカクテルは飲み放題、立食のメニューは下北沢リーベロから。友人だけの会で、アルファロメオ、ポルシェ、フェラーリ、ワイン、その他、などとカテゴリに分けられて来場者の紹介があった。東京のワイン友だちやしゅんさんご夫妻に会うことができた。
1600頃にお開き。「よし、今夜は俺んとこに来いー」という穴田さんのうらやましい声を背に、帰路についた。
帰りの機内では、今回初めて取ってみた34Hというスチュワーデスと向かいの足元が広い席。そこの窓側2列にはでかい外人が二人。スチュワーデスは「magazine?」とわたしに聞く。「いえ、どうもありがとう。それに日本語でよいです」と答える。当惑する彼女。。黒人、白人、何人かわからない、どれもでかいのが並んで小さな椅子にはまり込んでいる。。
離陸前になると、真ん中に居た外人は前の空いた席へ移動した。少しは楽になった。あとはヨーガンレールの茶箱の本などをみながらぼんやりとしたまま那覇についた。那覇では着陸前に前の機体?かなにかが部品を落としたとかで、その清掃のために着陸が30分ばかり遅れた。着陸後はモノレールとタクシーで自宅へ。
今回の旅行で何を得たのだろうか。なにか、京都がやや日常的な世界になった気がする。ジモティの皆さんをいくらか知ったのと、自転車で移動することを覚えたせいだと思う。しかしさらに深い(例えば「一見さんお断り」の様な)世界が、まだまだあそこには存在するのだろうと思う。次回はそこまで踏み込めるのか?、というあたりが興味の対象だ。また今回知り合った人たちともさらに交友を深めることも。
お相手くださった皆様、どうもありがとうございました。
(実はこれも風邪のせいか、デジカメを忘れてきたので、わずかな写真は全部携帯のものである。。まあ「見たもの感じたものは心に留めなさい」ということだと思うことにする。:)
さて、これは何かというとメイクマンで買ってきたモップである。先端の黒いキャップのようなところを柄の上の方に引くとモップの「糸」の部分が出て来る。
で、こちらはご覧の通りの絵の具と絵筆である。これらでなにをしようとしているかといういうと;
こういうことをしている。100均で買ってきたビニールシートと新聞紙を広げ、木炭スケッチ用の画用紙を準備して(和紙が欲しかったのだが近くの画材店では入手できなかった)、モップをでかい筆代わりにして書(?)を書き、さらに絵の具で彩色してみた。こういうことをするの初めてである。突然やりたくなったのは秋という季節ゆえか?
これに合わせて切った「書」を、障子張りの糊でコンパネに貼り付ける。
さらに縁のところをマスキングして、書の上下の色と同じ色で板の左右も彩色する。
ペイントはトールペイント用のゴールドと、黄色の水彩絵の具を混合したものである。
で、出来上がり。裏に穴を刳って、その周りを金属板で補強してから、壁にかけることにする。
最初なので字があまりいい出来ではない。もう一度やってみてもいいが、こういうモノは最初のものが勢いがあってよかったりする。なのでもう一度書くかどうかは考え中。
全く別のものを作るかもしれない。
仕事の移動日にいろいろと見て回った。
起きて食事はせず、時間を見計らって100円循環バスで小倉城第二のバス停へ。ここには松本清張記念館がある。チケットは小倉城と小倉城庭園と合わせて700円。
記念館の内容は、まあありふれた作家の業績に関する展覧。面白いのは松本の世田谷の家の創作に関連したエリアが記念館内部に移築されていること。書籍が山のようにあることは当たり前として、作家の創作スペースである10畳程度?のスペースが、誰の書斎でもあるような当たり前のものであったこと。また、集めた骨董などのうち仏像などが狭いスペースながらギャラリーのようにして飾られていたこと。そこは書斎の隣であった。彼はなにかあるとそのスペースで仏像を見ていたのであろうか。
小倉城庭園は世界各国の楽器が展示されているとのことで見に行った。それに加えて常設として日本の礼式に関する展示があった。これもなかなか面白かった。
楽器を見ていたら、きゃぴきゃぴギャルがいきなり「どちらからいらっしゃいましたか〜」と聞く。もう一人が騒がしく館員からいろいろ聞いている。どうも何かのタレント取材らしかった。「悪いけど取材はやめてね」と言って追い払った。あとで外に出ると「RBC MUSE snappy」と書かれた白とピンクのラジオ取材車のようなものが停めてあった。これだな。挨拶もなしにいきなり質問してくるような礼儀知らずはお断り。顔洗って出直して来なさい。
庭園を出るとすぐ右手がリバーウォーク北九州である。遅い朝食のために歩いていって、Freshness Burgerで期間限定復活というハモンセラーノサンドとライムジュースとオニオンリングを食べた。670円。おいしい。
こちらでは5Fの北九州美術館分館で「北大路魯山人展」が開催されていた。篆刻・書画・陶芸の巨人、魯山人の展覧会で、よいものであった。彼の異様異質な野蛮さがよく見え、また彼自身が陶芸家としては究極のアマチュアの一人だと再認識させられた。
昨日会ったSさんに挨拶のメールを送り、博多へ向かった。
博多駅で荷物をデポし、大濠公園へ向かった。
福岡市美術館で彫刻に関する展覧会が行われている。ナム=ジュン・パイクなどいくつかがあったが、素晴らしかったのは山崎朝雲による「見参」という作品だった。烏帽子をかぶったサムライらしい人物が、嬰児を何かに乗せて運んでいる。何に載せているかと思えば、大袖(鎧の肩から上腕を覆う部分)だった。これは昔の風習だったのだろうか。その姿自体が興味深いものであったし、木像なのだがその彫りが素晴らしかった。木彫の表現力とはこんなに精緻なものかと初めて思い知った。
ついでに常設展も見た。ここのダリはいつ見ても素晴らしい。彼がシュールレアリスムの作家であるが、同時に古典的な絵画の技法をきっちりと押さえた表現者であることを再認識した。
観終わってまた地下鉄の駅へ戻り、天神に出た。
その天神では、博多祇園山笠で披露される「飾り山」を作るという、興味深い場面に居合わせた。
血が騒ぐのか、お巡りさんも嬉しそうに作業を見ている。ふと見ると結界(?)なのか四方に笹の枝のようなものが立ててあった。
天神から長浜方面に歩いたところの福岡県立美術館では「大(oh)水木しげる展」が開かれていた。あの「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげるだが、こうして彼の履歴を見ると、あらためて漫画界の異能の巨人であったのだと認識した。見れば誰も彼のオリジナリティをまねることはできない。
半日歩いてくたびれ気味だったので、30分ほど美術館で休憩し、出がけにインフォメーションの人に道を尋ねて外に出た。
天神方面へと思ったが、歩いて出て来た川沿いの道からホテルオークラが見え、あそこまで行けばいいのだな、と歩いていった。
川沿いの道には、夜になると開店するらしい屋台が端正に畳まれて並んでいた。以前に知人と芸者さんと遊んだ場所だと思う、古い店が川向こうに見えた。
オークラの向こうに博多リバレインビルがあり、ここの7Fに次の目当ての福岡アジア美術館がある。入る前に1FのSeattle's Bestでストロベリーパイとアイスバニララテを食べた。これが昼ご飯。
アジア美術館では「水中散歩 水・海をめぐる作品」や「あじび動物園」などいろいろな催しが行われていた。目当てにしていたのは「新世紀写真展」だった。こちらで目立ったのは植本一子の「18才だった」という作品だった。うまい、というわけではないが、写真から若いエネルギーが満ちあふれている。こういう写真はいま自分に撮れるだろうか、と思った。うらやましい。
「水中散歩 水・海をめぐる作品」は、全体としてはあまり印象はないが、プロジェクタで水滴の有様を拡大しながら壁に投影している作品を見て、20年も前に似たようなことを大学の知人がライブで試したことを思い出した。あの時に比べれば投影技術が格段に進歩しているが、やっていることは同じようなものだ。
ここに入る時に「8階に勉強に来ている人?」と聞かれた。上には毎年招聘しているらしいアジア人のアーティストのレジデンスワークショップがある。やれやれ。
しばらくギャラリー外で休憩し、博多駅でデポした荷物をとってから空港に向かい、帰沖した。
大阪からの列車で桂川を渡り、右手に現われる大きなワコールの建物を過ぎると、いきなり向こう側に東寺の五重塔が見えてくる。ああ京都にやってきた、と思う。
仕事のミーティングに(プレセッションを含め)5/27〜29はみっちりと参加している。それ以外の自由な晩と移動日にいろいろと見て回った。
5/28夜にHさんたちと会うことになった。セッションが終わるとすぐに歩いて鴨川ベリに出た。近衛通りの一つ上の路地を歩くのだが、途中「ばかっ」と頭の上で音が下ので上を見ると、電線がゆれている。さらに直後に背後で「ぼたっ」という音がして、振り向いてみると、路上に鳥が落ちていた。雁か何かのように見える。その後ろに自転車に乗った学生風の青年がいて、こちらを見ながら眼が点になって凍っている。後で聞いた所によると、鳥は種類によっては目が悪く、時々電線にぶつかって落ちるらしい。どうもそれを目撃したようだ。
時間がないので急いで歩いて、結局三条京阪から東西線で烏丸御池経由でホテルに帰った。
ちょうどHさんがホテルに来たところだった。部屋からお土産を持って来て食事会場へでかけた。場所はホテルから室町をすこし上がったところの「野あそび」という店。Nさんがセッティングしてくださったとのこと。Nさんには前日にお土産だけをお渡しした。またの機会を楽しみに。少し遅れてもうお一方。
食事はこちらもとてもおいしく、感心した。京都の料理は、なにやら出汁からしてひとひねりあるような、全てに亘って神経がもう一段行き届いているような感じ。後で来られた方が非常に楽しい上海の話。お土産を皆に差し上げ、上海帰りの方から土産の月餅をもらい、楽しんだ。酒は京都と滋賀のものを。
野あそびを出て、タクシーで四条のさらに南の辺りのとあるバーへ。入ると日本建築関係の人が盛り上がっている。何となく話をしているうちに会話に潜り込んでしまい、さらに盛り上がりつつ楽しんだ。
23:00頃に店を出て、歩いて八坂神社のところのバー「アンバサダー」へ。ここで別動隊と合流。しばらく待っているとmixiのオーマエさん出現。彼女は軽く挨拶をするといきなりピアノを弾き始めた。ビートルズやバート・バカラックその他。ピアノが終りこちらに合流。カクテルやワイン、葉巻を楽しみ、またピアノを聞く。Oさんの友人の芸伎さんが加わり、さらにまた楽しむ。0200頃に店を出てタクシーでホテルへ。
翌日は朝からフルタイムで仕事。終了後にミーティング関係者と打ち上げ会に参加。そのまま帰着。
そして本日、移動日。移動まではタイトな美術館ツアー。
今日5/30は、約束が0930である。チェックアウトして案内役チームを待つ。投宿していた三条烏丸ホテル京都の1階ロビー横の中庭は、平安時代の邸宅の遺構に残存していた遣水庭園(やりみずていえん)の石の一部を使った日本庭園になっている。よく見ると庭の中に茶室があるようだ。四畳半もないように見える。庭の見えるロビーでATC経由の帰りの経路を携帯のメモ帳に記録した。
0930頃に本日の行動チームが来られた。行程を相談し、一番近くだが1000からしか開かない茶釜の美術館を後回しにしてまず野村美術館へ向かった。
野村美術館に到着したのは0955くらい。まだ館内には入れても展示室には入れないので、開館まで外を散策した。
隣はあの「碧雲荘」である。外からはそのスケールは十分にはわからないが、思ったよりは広くなさそうだと感じられた。それを借景を含めてあのスケールにまで見せる設計は大したものだと感心した。
野村美術館は茶入れの特集展覧会をしていた。利休大棗があったが、これは黒棗と言われるが、実際は漆黒ではなく、漆にベンガラなどが混ぜられた、黒に近いバーガンディ色をしている。この微妙な色のあるあたりに「侘び茶」と言われる利休の、隠れた美意識を見た気がした。
そこから北上し、北村美術館へ向かった。こちらは「黄昏どきの茶会」というテーマの展覧を行っている。前に立つといきなり開く錆鉄色の扉の向こうには、ほっそりと上品な女性が案内としておられた。彼女からチケットを買う。窓から施設の一部である「四君子苑」の入り口が見えた。二階から見る茶室の風情というのは珍しいものであった。展示室は3Fで、夏の頃の、気負わない茶会のためのしつらいや道具が展示してあった。
受付に戻り、今回の展示を解説したページのある「茶道雑誌」の本年4月号と、河原書店の「茶人手帳」を買った。後者は様々な茶の約束事、知識が書いてあり、便利そうだ。
出しなの戸口付近に白い鳩型の入れ物が無造作に置かれてあった。「ピカソ風ですね」というと「ピカソでございます」という返事が返って来た。
次は茶道資料館であった。裏千家淡交会のオフィスでもある。鴨川ベリを北上して、北からぐるっと回って入る。こちらは「裏千家蔵 茶の湯の名品」展をおこなっていた。現在はその中の「中期」のシリーズを展示中。チケットを買うと呈茶のチケットもついてくる。
第一展示室をまず入ったところに、初代楽長次郎の茶碗、白鷺があった。林屋晴三氏によれば、これは一番古いタイプの楽茶碗ではないかとのことである。作法のせいか過ぎた時間のせいか、全体にマットな仕上がりになった、やや筒高な感じの楽茶碗である。美しい姿。その他茶入れの名品などが多数あった。資料室は本日は閉館であった。2Fの展示室には製茶の様子を描いた屏風があり、同行メンバーのNさんが「庶民は楽しそうに仕事しとるなあ、為政者がなんぼ変わっても一緒やったんやろうなあ、この頃は…」と言う。まさしくそんな風情のある絵柄。
展示室を出ると呈茶のホールに入った。お菓子は銘を聞いたが忘れてしまった。金箔と餡の入った水ようかんのようなもの。多分「NHK趣味悠々・6月・茶の湯・薮内流」の目次のページのものと同じではないかと思う。おいしいお菓子であった。楊子と懐紙と、弁当箱の薄板くらい(たくさんの懐紙の代わりだろう)のものがついてきて、それで茶菓子として扱って食べる。ゴミ箱は。。ない。お茶の作法のごとくきれいにたたんで自分のポケットに納める。おいしい薄茶が出された。
ここでは椅子に座って、椅子と同じ高さの畳のテーブルを使って、若い人に呈茶と客の作法を教えているようだった。私には中学生くらいに見えたが、Nさんが言うには今時の大学生ではないか、とのこと。化粧がケバくないので、高校生ではなかろうとのことであった。
午前はこれで終り、1130頃であったので近くの烏丸丸太町の「十二段家」で食事した。「菜の花」定食で、突き出し、刺身、大きな出汁巻き卵、かもなす、万願寺唐辛子、トマトの煮浸し、漬け物、ご飯である。とてもおいしい。でっかい出汁巻き卵は名物とのこと。
食事が終わったらmixiで知り合ったホソイさんに連絡した。樂美術館にお誘いしようかと思ったが、すぐ近くの仕事場に来てくれというので、携帯でロケーションをあわせながら行ってみた。短時間ながらいろいろと歓談。その後別れて樂美術館へ行った。
樂美術館はどうしたことだろうか、本日は我々以外に客がまったくいなかった。静かな環境で初代長次郎から各代の作品の特別展を観ることができた。
さらに1.5Fの展示室に行くと、初代長次郎作という飾りの獅子瓦があった。これが沖縄のシーサーそっくりの文法で作られている。かなりの驚き。
さらに2Fの展示室へ。初代長次郎がいくつかと、そして、まことに幸福なことに本阿弥光悦の「村雲」が展示されていた。以前に写真で見て想像していたよりはかなり大きなものだった。削りの具合もさらに知ることができた。茶碗の上の壁には、思った通り同じ光悦書の掛け軸。彼の書は前と同じくユニセックスな感じ。今日、一番の幸福な時間であった。
樂美術館を終わると宮脇賣扇庵へ行った。自分用に裏千家の茶会扇を、つれあいに美しい朝顔の絵の入った扇を買った。
時間を見ると1400頃である。1453に京都駅に着くには、これ以上行動をタイトにするのはよくないと判断し、茶釜美術館へ行くのはあきらめた。そのまま京都駅へ向かい、ここで同行チームとお別れした。ありがとうございました。
駅地下の書店で、今朝テレビの読書番組で紹介されていた小説を買い、チケットを買って列車に乗った。京都→大阪→弁天町→大阪港→トレードセンターと移動した。ATCミュージアムでの「ピカソ展」を観るためだ。
駅からホールへの道を確認して通路に入ったのだが…
驚いた。こういう場所だとは推測していなかった。駅からホール/ミュージアムまでの間は、まるで北谷のアメリカ村のような、あらゆるジャンクグッズを売っている店が多数入ったコンプレックスだった。ゲーセンもある。それが北谷の3倍くらい、全長500mのスケールで並んでいる。しかも店の間の通路がジグザグになっていて、右を見たり左を見たり、ぶらぶらしている家族連れで充満していた。美術館までにこういう経路があるとは思っていなかったので、クロークに預けるつもりの旅行鞄をもったまま、うろうろとそこをすり抜けていった。いいかげんうんざりしてきたあたりでようやく美術館エリアになり、ロッカーに荷物を預けて展覧会場に入った。
ピカソ展の内容は素晴らしいものであった。なんといってもこれまでにほとんど紹介されていない作品群である。それぞれの作品から、フレッシュで強烈なエネルギーが吹き出している。あきらめた。これを短時間で、全部見尽くすことはできないと思った。可能な限り時間を使ったが、全てを見尽くせないと思ったので、もっと詳しく知る手がかりを得るために図録を買った。もちろんオリジナルから得られるものほどのものはないわけだが。
初日のせいか、まだ周りから建築物の接着剤の臭いがする。しばらくすると消えるのかも。展覧会は7月ころまでやっているとのこと。一見の価値がある。
そのまま駅まで戻ってハイアットへの経路をたどると、なんのことはない、道路を隔ててさきほど美術館まで行った道を歩いているだけだった。つまり美術館から道を横切ればそこはハイアット、という場所。やれやれ。もう少し道案内がしっかりしているといいなあ。
ハイアットから関空行きのリムジンバスに乗り、沖縄に帰った。
いろいろとおもしろい場所やモノについて京都の友人やmixiの友人の皆さんのお世話になりました。どうもありがとうございました。
裏千家淡交会沖縄支部おもろ青年部主催による文化講演会が開催され、釜師・六代釜彦・佐々木彦兵衛氏が講演された。
会場は「沖縄県女性総合センター てぃるる」で、講演前に立礼の呈茶があり、その時に配布された資料に彦兵衛氏本人の写真があった。公演が行われるホールに入ると、資料の写真と同じ顔をしたワイシャツ姿の人がステージ前に展示された様々の釜作りの道具をいろいろとチェックしていた。彦兵衛氏ご本人である。その姿から彼がプラクティカルであることを重要視する、根っからの職人さんであることがよくわかった。
その後いったん引っ込んだ彦兵衛氏はダブルのスーツと、真ん中にきちんとディンプルの入った赤いタイというダンディな姿で現われ、こてこての京都弁で、白板を使いながら身振り手振りで、華々しく、筋はあるが、あちこちに寄り道しながら釜作りに関することを解説された。
初代釜彦は1650年、徳川三代の頃の人で、以後釜作りの代で彼が6代目とのこと。初代、二代は全ての宗家へ、3代目より裏千家へ仕えるようになったとのこと。
これまで工場の外へ出ることはなかったという木型(実際は金属製)、型紙、鐶付の粘土型等を実際に客席の聴衆に回しながら、釜の作り方を解説された。
彼の釜は鋳型から取り出す時に素焼きの粘土型を割ってしまうので、全てワンアンドオンリーのワンオフであるとのこと。
その後に続けて釜の見所、釜の扱い方を解説された。また釜はどんどん使いまくって、自分の釜にしてください、と話された。最後に座右の銘として「驥足新(きそくしん)」ということを言われた。
ビビッドで得るものが多く、また京都の職人さんの姿がどんなものかを体現した、非常に面白い講演会であった。
ニューヨーカーマガジンをたしか1982年以来20年ほど購読していた。(数年前からwebで記事がいくらか読めるようになったのと、多忙のために購読をやめた。)
ニューヨーカーマガジンについては別に書いたが、ニューヨークの「ぴあ」であり文藝春秋であり、またアメリカの至誠のジャーナリズムがここにあると思う。広島に原爆が落ちたあと、非常に早期に特派員を送り取材し、それを「ヒロシマ」というタイトルで、2週間にわたって他の定常記事をすべて取りやめ、全記事スペースを使って報道したのもこの雑誌だったそうだが、今回、自国軍の捕虜虐待を真っ先に報道したのもこの雑誌だった。
私はアーウィン・ショウの「夏服を着た女たち」の文庫版を読んだ時にこの本を知った。同書を翻訳された常盤新平さんが、あとがきでショウがよく書いていたニューヨーカーマガジンのことを詳しく書いていたからである。あるとき熊本で用事があり、紀伊国屋に入ったら、たまたま洋書のところに「The New Yorker」と「ARTnews」があり、どちらも買ってその後定期購読することになった。
以前はこの雑誌には目次がなかったそうである。面白いものは自分で探しなさい、ということだったのか。その後目次ができた時には「ニューヨーカーに目次がついた」と、ニューズウィークが記事にしたらしい。私が読み始めた時にはすでに目次はあったが、まだ本文には写真がなく、イラストだけだった。土星観測がテーマの記事が載った時も、しっかりと土星のスケッチが紙面を飾っていた。初めて本文の写真を見たのはたしか宇野千代の特集が載った時だったか?
本文に写真がないのと同じく、この雑誌の表紙も毎回イラストである。(毎年2月の創刊記念号の表紙は創刊誌のイラストと同じものが載る。)イラストは何人かの画家が持ち回り担当のようにして描いている。ページの綴じてある側に幅1.5cmくらいの「縦線領域」を入れるが、その部分のデザインを含めて全部がイラストレーターの仕事となる。表紙面には「The New Yorker」の文字と発行日以外にはタイポグラフィはない。
この表紙イラストに大変きれいなものが多く、私はそれらの一部をコレクションしている。 私のwebページにある「花」の絵を見て「自分で描いたのか?」と聞く人がいて(そうなのだが)、その流れで当時よく見ていたこれらの表紙絵イラストのコレクションをまた見渡してみた。
C.E.M, Gretchen Dow Simpson, Joseph Harris, Saul Steinberg, A Queiadaなどの画家の描く作品が好みだが、特に好きなのはJJ.Sempeというフランス人の画家の描くイラストだ。(彼の描いたフランス語の絵本を見つけて買ったことがある。ふと思い出したが、「プチ・ニコラ」シリーズの挿絵を描いているのだ。彼は。)
Sempeの絵は特に音楽に関連したテーマが多く、ニューヨークをイメージさせる風景の中に、心温まる、ビビッドな人間の姿が描かれている。彼の絵は人間愛にあふれていると思う。
そういう絵を日常的に表紙にしている雑誌がまた、ハードなジャーナリズムを担っている。
最近のニューヨーカーの表紙イラストはテーマの扱い方が以前からの明るくストレートなものから、一種社会性を帯びたようなものになって来て、それに呼応するようにどんどん色調が暗くなって来ていた。そうなったあとの表紙はあまり集めていないが、以前のものを見るとその差が明瞭に感じられる。世界の明るさを反映しているのかもしれない。
(実は「ARTnews」の方もその間に扱われているアートがどんどんトーンが暗いものに変わっていった。こちらも購読をやめたのはそういう理由によるのかもしれない。)
永青文庫は少しわかりにくいところにある。ざっと地図を見て「ああ早稲田から神田川方面ね」などわかったような気分になって地下鉄東西線の早稲田で降りた。
永青文庫のwebページによる推奨アクセスはJR目白駅からバスか、有楽町線江戸川橋で降りて歩きだ。早稲田からでもまあそういう風にみえないわけではない。駅の地図で江戸川の方面を見定めて、とりあえずリーガロイヤルホテルあたりに出て考えよう、と歩き出す。ついたところで、周りを見渡す。よくわからない。ホテルの隣りの古くからやっていそうな喫茶店に入り、食事をしてからマックを取り出し、ネットにつないで再確認。なんだ。正面の道を入っていったところの橋を渡ればいいじゃん。などといってその通りに進んで「駒塚橋」を渡った。
そこにはとんでもない急坂が待っていた。
あっぷあっぷしながら上り詰めると、ややうら寂れた公園のようなところがあり、そこが永青文庫だった。
細川家伝来の宝物を展示するこの建物は昭和初期にできたものとのこと。自分が通った小学校をさらに一段古くしたような建物であった。詳しくはwebにあるが、旧細川家の事務所だった建物だそうである。全てが公開されているわけではなく、展示室は二つほどである。それいがはロープが張られていて通れないところもあり、そこには古びた本棚に古びた書籍が詰め込まれていたりする。整理が大変なのだろう。
こちらも古びた展示室では茶道具名品展が開催中で、よいものがいくつもあった。利休所持であった「尻ふくら」と呼ばれる茶入れ、利休筆の掛け軸、義堂周信筆七言絶句、利休作竹二重切花入、柄杓、竹蓋置、茶杓、楽長次郎作黒楽茶碗銘「乙御前」、染付孔雀香合などなど。
よいものは黙って見るに限る、ということでただただ見ていた。
帰りは館員の方に伺って、目白台三丁目あたりから練馬車庫行きのバスで目白駅へと出た。
これも先にメールをくれた知人から「素晴らしい」と言われたので観てきた。
確かに素晴らしい展覧会であった。古唐津の名品はかなりが揃っていたと思われる。図録を買ってきた。その価値はある。
見学中、ここ(あるいは展覧会の開催元)の学芸員らしいひとが、明らかに特別なゲストらしい夫妻に対して懇切丁寧に展観品の解説をしているのに行き当たった。ホストとゲストの特別な関係(つまりだれにでもしている解説作業ではなさそう)が感じられたので、質問などのお邪魔はしないことにして、耳学問しながらついて回った。なかなか勉強になる解説が聴けた。最後にお礼の一言もと思ったが、別件らしく呼ばれて早々に立ち去られたのでその機会を失った。どうもありがとうございました。
先に書いた畠山記念館のものにしろ、こちらの美術館のものにしろ、和物の面白みが西欧人に理解できるかどうかは、見るものが写実やリアリティの限界を超えられるかどうかにかかっていると思ってよいのだろう。瑕が瑕にしか見えない人にはそれは瑕だが、「見立て」によりそれを「景色」と見なすことができれば価値が逆転する。それを実感するようなものがたくさんあった。面白いものだ。
根津美術館はよい茶碗を数多く所蔵し、またいくつもの茶室と庭があり、表参道という場所にあってなかなかによい場所である。
しかし、ここはいつ来ても騒がしい。大抵は茶会が開かれており、そこに集まってから美術館に乗り込んでくる「お茶おばさん」たちが騒がしいのである。和服で着飾った彼女たちは一塊になってずかずかと突入してくる。そしてあちこちに聞こえよがしになんだかんだと蘊蓄をのたまうのだ。おばさまたち、お願いですから静かにしてください。ここは美術館で、私は静かにものとの対話をしたいのです。
今回の展観品は、京焼きの始祖にして大成者・野々村仁清の茶碗のシリーズと、それに並行した館蔵品の名碗である。
仁清にはさほど興味があったわけではないが、古いものとして、ぎりぎり見られる境界の内側にあるのか、とも思える。これをすぎて江戸を下ると、あとはけれんとデザイン意識が前面に出てきて、侘びたよいモノは見られなくなると思っている。
釉がけの「間」の部分にデザイン化された意匠を描いた仁清はなかなかのアイデアマンだったと言えるだろう。かつその方式の初期にあるせいか、手法がプリミティブで、まだ桃山期の茶碗の意識(?)を受け継いでいる気がする。
彼が写した呉器茶碗とそのオリジナルがでていたが、オリジナルに対して写しはかくもおおらかさを失い、端正さを装い、力強さが失われるものかと感じた。ものが「端正である」ことは、必ずしもよいことだけではないのかもしれないと気持ちが敷衍していく。
並行して展示されていた館蔵品の茶碗は素晴らしいものが多かった。多くの高麗・井戸茶碗、などなど。
美術館を出たところにある喫茶室「ガゼボ」でジンジャーエールを飲んだ。こちらも騒がしい。店を出て人のいないところを探しながら庭を下っていき、道ばたの腰掛け石に座って今これを書いている。ここは静かでよい感じだ。
仕事で品川プリンスホテルに投宿していたら知人からメールが入った。いわく先日あちこちを見て回ったが、畠山記念館は時間がなくてみることができず残念であった、と。ふむそれはどこだろう、とwebで住所を調べmapfanでみてみると、ん? 地図に品川プリンスがみえる。。すぐそばじゃないか。^^;
ということで歩いて観に行ってきた。:) ホテルを出て高輪プリンスとの間の道を上り、議員宿舎の警備員の方に高輪台駅への道を訪ね、駅そばの交番でさらに道を訪ねて車の通れない細い道を入っていくと、児童公園を抜けた先にそれはあった。終わりかけの桜があちこちに散っていて美しい風景であった。
記念館の由来概要は記念館のwebページにあるが、実業家畠山一清氏が蒐集した茶道具を中心とした日本の美術品を、戦災や近代化で軽んじられ失われていく現代においてその価値を再提示するために展観したところだそうだ。
中に入るとお茶席が催されているらしく、和服姿の女性がたくさんいられる。脇を抜けて本館へ入る。500円の入館料。頼めば展示室で抹茶も振舞われるとのこと。(今回は所望せず。)
館蔵品の茶道具の季節の組み合わせとのことであったが、どれも素晴らしいものであった。
一番の眼の幸福は本阿弥光悦の茶碗「雪峯」だった。丸っこい大振りの茶碗だが、ばりばりに割れているのを金継ぎでつないである。 口の周りの半分くらいに白い釉薬がなだれかかり、サーモンピンクからオレンジに近い楽の釉薬とコントラストを作っているが、金継ぎされた太い溝が間にあるので、まるでそれを幹や枝にした満開の桜のように見える。白い釉薬は細かく貫入し、いつからあるのか合間に黒い点が見え、これが桜の花の顎のようにみえる。その意外なデザインの面白さに驚嘆する。
窯から割れて出たこれを見て、光悦は金継ぎで復活する時のイメージまで見たのだろうか。そうなのだろうが、彼のデザインの洞察にただただ「すごい」と思う。料紙に俵屋宗達が絵を描きそれに光悦が文を書いたものがあるが、そのようなデザインのバランス感覚が、割れ茶碗をこのような驚嘆すべき芸術品にするのだろう。そのこだわりのない、かつ芸術性をとことんまで追求する姿勢を「すごい」と思う。
→と思いつつ、あとでふと思ったが、ひょっとして出てきたのをわざと割って金で継いだ?? その可能性もなくもないのかもしれない。
→それとも、釉を生掛けして割れたのをそのまま焼いたか??
あのものができた由来には興味が尽きない。
楽長次郎の赤楽「早船」があった。こちらは手捏ねの、一個づつ焼いた茶碗であるはずだが、見込みに井戸茶碗に見るような「目土」の跡のようなものが見えた。重ねて焼いたのだろうか? 窯から出す時の挟み道具の後なのだろうか。不思議なことである。腰の高い、気品のある茶碗。
その他、俵屋宗達の軸、宗達と先の本阿弥光悦による書き物、紀貫之の書き物(重文 名家家集切 伝 紀貫之筆)などがあった。光悦の書は自由であり、ゆらゆらとしていてユニセックスな感じがした。紀貫之の方はほっそりとして形が揃っていて、ある意味で男性的か。
今年に入って二つの印象派展を観る機会があった。
いまさら「印象派美術」について蘊蓄を語るものでもあるまい。それは教科書からwebページまで、あらゆるリソースに紹介されている。それは私を幸せな気分にする。そのことについて書く。
東京都美術館・マルモッタン美術館展
ルアール・コレクションなどによるモネとバルト・モリゾを中心とした展覧会。
今回観ていて気づいたのは、絵画に進歩はなく、ただ才能あるのみ、ということだった。19世紀の画家の作品であっても現代のものよりも美しく、技法も優れている。絵画の世界の表現形式は歴史的にある種の進歩を遂げたのかもしれないが、結局はその中においても優れた才能のみが光っているのだ、ということ。モネもモリゾ(こちらは特にスケッチが)もそのことを気づかせてくれた。振り返ってみる現代絵画の凋落は何なのかと思う。
印象派近辺の作品を見ていて思うのは、我々はいったいその絵に何を見て幸せに微笑んでいるのか?、という疑問だ。フランスに行ったことがあるわけではないが、その風景にはなにか憧憬を感じる。我々の頭の中に文学やなにかでインプットされた、その時代への憧憬を絵から感じるのか。
モネ、ルノワールと印象派展・Bunkamura
美しく面白い展覧会であった。点描しないジョルジュ・スーラ、点描するカミーユ・ピサロなど、自分がこれまで知らなかったものを見ることができた。図録を買うか買うまいか迷ったが、結局は幸せな気分は頭の中にだけある、本を見ても思い出すものでもないと、買わなかった。代わりにモネの描いた「アルジャントゥイユの鉄橋」の絵のついたフラワーティーの缶をひとつ。
それにしても自分がモネの睡蓮をみて感じるのは一体なんだろうと、あらためて思う。あのペールグレーの水面の色あいと、さほどアイキャッチのない、パステルカラー的色合いの蓮の葉花。自分が子供の頃から好きだったシド・ミードの背景的イメージの色合い(それはSF世界とも通底する)と関係があるのかもしれない。自分その向こうにブルーグレーにけむった未来を見ているのか。
今年に入ってからいくつかの能を見る機会があった。
国立能楽堂、狂言「千鳥」、能「藤戸」
「千鳥」の方は、あの太郎冠者が主に言いつけられ、すでに何度も掛けで買っている酒屋からあの手この手で酒樽をもうひとつとってくる話である。奏楽もなくいきなり始まった狂言の音声(おんじょう)の強さ、色気に驚く。筋や仕草の面白さとともに、話される言葉の美しさも狂言の大きな魅力の一つだと気づいた。魅力の半分くらいはこれかもしれない。
終わると20分の休憩。コーヒーを飲みに喫茶室に行く。この喫茶室ではカレーがたくさん出るようだ。演目の間にさっと出せてさっと食べられるから。コーヒーを済ませてから併設の展示室を見学。狂言の面や装束が展示してあった。
それから能だ。
「藤戸」は正式には五番行われる能の四番目に行われる雑能の一つである。備前の国、藤戸での源平合戦で馬で海を渡り平家に勝利した佐々木盛綱が、褒美に拝領したその藤戸の土地に行き、民に戦後の訴訟の有無を問う。すると老女が一人現われ、わが息子は戦の折、盛綱に海渡りできる場所を教えたが、そのことが他に広がらぬよう、口封じのため盛綱に刺されて海に沈められたと訴えにくる、その恨みの場面が前半である。シテの老女は渋めの金襴の衣装(摺箔?、縫い箔?)で美しい。恨みを語りながら、クライマックスで「息子のようにわしも殺せっ」と盛綱ににじり寄る場面をのぞけばほとんど動きがない。語り・謡いが主体の能である。こちらは見せ場の場面まではうつらうつらと謡曲に揺られながら観ていた。今回は特別な演出か、老女は年増女の面をかぶり、童女役を連れていた。その意図はよくわからなかった。
後半は非を認め、自身が殺めた老女の息子を盛綱が供養をしているところに、当の息子の亡霊が現われ、殺された有様を語りながら盛綱に祟ろうとするが、盛綱の供養により成仏する姿を描く。亡霊の姿のシテは髪を振り乱し、黒に近いブルーの装束に白か薄い生成りの麻のような羽織着を身につけ、その裾は濡れた海藻のようにすだれ状になっている。亡霊は刀に見立てた杖を胸に刺し刺し、海に沈められながら殺されていく有様を再現する。鬱とした痩男の面が鬼気迫る。しかし盛綱の供養で成仏すると、唐突に手に持った杖を舞台に取り落とし、合掌するとそのまま橋懸かりを去っていく。続いてワキの佐々木盛綱も、謡曲も下がり、能が終わったことがわかる。そのまま何の案内もなく、観客は席を立つことになる。そもそも四番能で本来は次があるせいなのか、それとも能全般にこうして唐突に終わるのか、印象的で興味深い。
終わった後も謡曲は耳に残り、そのまま電車で出た秋葉のパソコンショップで様々な音楽にさらされるまで心に響き続けていた。これを日々聞いていると、ずっと心に残るようになるのだろうか、とふと思った。
能楽堂を出る前に観客が立て看板を見てしきりにメモしていた。なにかと見てみると、毛筆で「前シテ 深曲(ふかしゃく、と書いてあったと思ったのだが、ネットでは見つからない。間違いでしたらご指摘ください)、後シテ 痩男 日永作」とあった。今日使われた能面の名前であった。
また、この国立能楽堂で私が座ったのは正面席4列目2番であったが、ここは役者がシテ柱近辺の立ち位置に立つと、目付柱が邪魔して姿が見えない。正面席なら6番から右側よりの席がよいようだ。橋懸かりの後ろが見えにくいのを除けば、脇正面もなかなか良いのかもしれない。
宝生能楽堂・銕仙会公演「能:浮舟、善界(ぜがい)、狂言:千鳥」
まずは「浮舟」が演じられた。源氏物語・宇治十帖の一つ「浮舟」を元にした演目である。女性「浮舟」は薫中将と匂宮の両方に懸想され、自らの行く末を決めきれずに悩むうちにもののけに取り憑かれ、宇治川に入水自殺を図る。能はこの語の後日談として描かれ、前半は浮舟について語る女(実は浮舟の亡霊)の話であり、後半は浮舟の霊が現われ、舞を舞いながら、僧の弔いにより成仏する。
こちらは前回観た国立能楽堂のものと目立って違ったのは謡曲師の音声の質だった。今回は前回の謡曲師たちより年上の方々で、声も渋く枯れた雰囲気だった。それが能の全体の姿にだいぶ影響していた。能はシテの「中入り」までの前半は前回と同じく動きが少なめで、ややだるい。中入りでは解説者にあたるものがでてきてこれまでのいきさつといった形で前半の内容を語る。シテはその間に衣装替えしている。後半は登場したシテが演じる浮舟の衣装が美しかった。もみあげ(?)部分の髪のたらし方が現代的な感じ。後シテの能面は谷口明子氏による現代作。女性的なのか、今風なのか、辻村ジュサブロー的表現を感じる面だった。ちなみに前シテの面は甫閑作「増女」。
その後に10分ほどの休憩を挟み、狂言は図らずも前回見たものと同じ「千鳥」だった。それが終わると合間を開けずにつぎの能「善界」が演じられた。
こちらは中国の天狗善界坊とと日本の天狗太郎坊が日本の仏教を滅ぼそうと集まって相談するのが前半、中入りの後は善界坊が日本の仏法師と闘うが、最終的には折伏される姿を描く。
この「善界」はなぜかよくわからないが、ひどくだるかった。途中で席を立ちたいくらいだった。周りの観客も集中力が途切れているように見受けられた。一つは囃子の乱れがあったのだろうか。囃子の合い方はよくわかっていないのだが、なにやら外れているように思えるところが多々あった。
しかしそれよりも堪えたのは 笛の音だった。笛の吹き手は比較的若い方であったが、音が大きすぎるのか、吹き方が荒いのか、能楽堂と言う室内空間の音響とマッチしないのか、耳に非常にきつく反響する、体に馴染まない音だった。スピーカーから割れた音が聞こえてくるような感じ。しかも笛のパートがかなりたくさんあり、この状態がだいぶ多かった。その音が頭の中で回っていて、気分が悪くなり、演目を全部観ずに外に出たいくらいだった。終わると早々に会場を抜け出した。
能は本来、一日かけて五番(と狂言)を舞うものだと言うが、以前は今より所作がてきぱきしていて短かったらしいとも聞く。五番もあったらさもありなんか、とも思った。
昨日は「南方茶会」であった。沖縄の裏千家支部が、秀吉の北野大茶会を本歌に大寄席の茶会を行う、といった趣向だ。3000円で濃茶一服、薄茶二服、点心のチケットが入手できる。
場所はコンベンションセンターの大展示棟である。その中央部に茶室・野点・立礼など6個ほどの仮設の茶席ブースが作られ、それぞれ支部のメンバーにより茶が立てられる。正客など数人程度の客席があり、あとはテーブルと椅子が並んでいて、ブースの点前に合わせて菓子と別立ての茶が出される。
そもそもが秀吉の北野大茶会とはどんなものであったか。このあたりなどに記載があるが、菅原道真をまつる北野天満宮の境内に数多くのブース(茶屋1500といわれる)を作り、秀吉を始め様々な人たちが呈茶したとのこと。数寄者は誰でもよい、己の道具を持ち込め、茶がない者は「こがし」でもよい、と2ヶ月前から市中に高札を立てて参加者を募ったと言うから、上下を問わずの茶会であったようである。これは「侘び茶」とは違う、一種のプロモーションであるが、そこまで呑み込んでいればこういうものもありか、という理解もできないわけではない。その精神に則るものということであれば、この南方茶会のようなものがあってもよいのだろう。
ということで、茶会の内容は、各社中のお弟子さんによる呈茶と、先生によるさまざまな解説が行われている。これを「侘び茶」と思って期待してはいけないが、プロモーションだと言えばそれでよいのだと思う。見る側としては、一番の上手の方にお手前をしてもらって、それを見て所作を勉強したいものだが、呈茶する方からすれば弟子の発表会的なものでもあるので、そこはままならない。
面白かったことは二つだった。一つは、そのような「発表会」のなかに、アシスタントとして茶運びをしていた紋付袴の男性の一人が、きわめて美しい立ち居振る舞いをしていたこと。茶を運ぶ足の運び方、客に向かって礼をする姿、どれをとっても非常にかっこ良く決まっていた。一朝一夕のものではない感じ。人づてに聞けば三歳の頃からお茶を教わっていたとかで、さすがに年季が入っていると違うものだと感心した。
もう一つは、ととや茶碗が出ていたことで、手に取って見せていただいたこれは形も色も、釉薬の具合も美しく素晴らしいものであった。
じつはさらにもう一つ驚いたのは、その会場に目立たぬようにこっそりと来ていた陶芸家T君のことだ。彼は会場の一番上の観客席から全体を見ていて言うのだ。「あれはととや茶碗ですよね。色とか雰囲気とかでそうだと思いました。あれだけはお願いしてみせてもらってもいいかなと思いました。」
その場所に立って下のフロアをみると、茶碗はそれこそマッチ棒の先ほどにしか見えない。それを見て「なんだかわかった」というのには、普段からものを見ている人にはわかるものなのだ、とかなり驚いた。
ここしばらくの間に行ったいくつかの美術館などについて述べておく:
東京現代美術館「ガウディ かたちの探求」展:
地下鉄大江戸線・清澄白河で降りて歩くのだが、この距離が結構ある。地図を見るとルート沿いに1km位は歩くようだ。途中の道路案内もあまり適切ではなく、最初は間違えて清澄庭園沿いに川まで出てしまい、引返した。やれやれ。まずはこのへんで意欲をそがれる。(おそらく関東の方々はもっと便利なアクセス方法を心得ていらっしゃるのだろう。)
展覧会の方は、本物の家具などを除くと、全体としてはガウディのコンセプトをCGなどで展示する部分が多く、あまりリアリティがなかった。一部、サグラダファミリアの石膏模型などがあったが、ああいうものがごろごろとある方がより現実味があったかも知れない。そういう意味ではいまひとつの展覧会であった。図録も買わず。
建築も現物を見よ、ということか。
西洋美術館「レンブラントとレンブラント派:聖書・神話・物語」展と常設展:
レンブラント展は、本人より工房の弟子の作品が多かった。興味深かったのは、レンブラント自身はあるいは弟子よりもデッサンで劣るかも知れないのに、力強さと絵画的表現力は明らかに優っていたことだ。「表現力」というものの本質を考えさせられてしまった。図録買わず。
西洋美術館の常設展にはここ10年位かそれ以上、入っていなかったが、今回同行者につられて入って、あらためて収蔵品の充実に驚いた。オランダ絵画の牧歌的表現に癒され、印象派の明るさに慰められ、ピカソやミロに元気づけられて出てきた。オランダ風景画のあの表現は、現代においてはどうなってしまったのか。もはやその様な風景が存在しないのか。我々は何を失ったのか。視力を失いつつあったモネは水蓮を描いているときに幸せだったのか(そうだったのだろうと思う)。そういうことをいろいろと感じされられる展覧会であった。常設展のよさを再認識できた。いつきてもよいところかもしれない。
サンリツ服部美術館「国宝『不二山』と桃山・江戸時代の茶陶」展:
長野県の上諏訪にある、こぢんまりとした美術館である。スタッフも数人ではなかろうか。守衛さんが展示ケースのガラスにはーっと息を吐きかけ、拭いているような、のんびりとした好ましい美術館である。入口に懐中電灯が用意してある。ご自由に御使い下さいとのこと。
本阿弥光悦の国宝の茶碗・銘「不二山」は、意外に小さかった。高台もややオフセットして付いている。色は素晴らしい。薄いグレーがかった白釉と、焦げてガンメタリック調に窯変した下半部。境界部分にネイビーに近い青い色もある。内部もその様に焼けている。形の削り様は、だいたい思った通りであった。口縁も箆削りされているが、水平にすっぱりと切り取られた部分もある。よほどに鋭い刃物でも使ったような感じに見えた。
その他の展観品もなかなかよかったが、不二山を何度も観ることになった。
併設の喫茶店は「先着何名」かは飲物がサービスされる。コーヒーをもらい、ふたたび不二山をみてから退出した。
北澤美術館:常設展
エミーユ・ガレなどアールヌーヴォーのガラスのコレクションである。どれも素晴らしい出来で、感心した。50点ほどあったか。2Fは日本画のコレクション。30点ほどか。佐藤大清「旅の朝」と題された作品が一番気に入った。昼食は併設の2Fの喫茶店で、辛口のカレー。ここからは晴れるとくっきりと富士山が見えるとのこと。
展示品はとても美しかったので図録を買おうとしたが、驚いたことに図録の写真はあまり写りがよくなかった。ガラスという作品の性格上、光の当たり方が見た目の印象にだいぶ影響するようだ。展示の状態と撮影の光は当て方が違う。そのために印象が全然違って見えるのだ。結局それで図録は買わず。つれあいにガラスと金箔のアクセサリーを一つ。
東郷青児美術館:「ゴッホと花 ―‘ひまわり’をめぐって―」展:
新宿・損保ジャパンビルのこちらはゴッホの3枚の絵と、それに関連した絵画の展覧会。ひまわり二葉の絵画と、ある女性のポートレイト。それらを並べて展示することがゴッホのメモにあり、今回その組合せを同館のもつひまわりと、オランダのゴッホ美術館から取り寄せた絵画で成し遂げている。
ひまわりの絵は、本来、ゴッホが芸術家との共同生活のための各部屋に飾るために描いたものであった。その共同生活はゴーギャンとのわずか2ヶ月で破綻し、以後顧みられることはなかった。ひまわりなどの3枚を並べて飾ることは、その後のゴッホの、いわば「変容した希望」であった。それを思いながらみると、やや切ない絵画たちであった。
いつみてもゴッホが「よきもの」であるのは、なぜなのか、再考したい。
東京国立博物館「国宝・大徳寺聚光院の襖絵」展、「伊能忠敬と日本図」展:
聚光院の襖絵の展覧会を観に行った。目当てのひとつは、三好粉引の茶碗であった。小刀の形のような火間があり、それがさらに二つに分割されている。分割は釉の垂れで起こったようだ。口縁も全体の姿も美しい茶碗であった。その他、利休の書がいくつか、また利休使用の釜があった。こちらはシンプルそのもの。これ以上デザイン上も機能上もそぎ落とすところはなかろう、といった感じのもの。大変好ましい。
もう一つの目当ては千住博氏の描いた聚光院伊伊東別院の襖絵であった。こちらは「砂漠」と「水の森」が来ていた。これらの制作過程はNHKがドキュメンタリーにしており、先日みたがなかなか興味深いものであった。また観るチャンスがあればよいのだが。これらはどちらも大変美しかった。思った通りのもので「ああやっと会えた」という感じであった。
同時に行われていた「伊能忠敬と日本図」展の地図は、非常に印象的だった。あれだけの仕事を成し遂げているとは、と感心した。図録を買おうかと思ったが、もとの地図のサイズが大きい(どれも二畳くらいはある)のをコンパクトに印刷したため、ディテールがあまりわからず、力強く微細な印象が伝わらないので、買わず。
陶芸メッセ益子「加守田章二・回顧展」、益子参考館、益子の「民芸」:
宇都宮からバスで益子へ行ったが、ここの陶芸関連エリアを通過するバスは徐行運転しており、合図するとどこでも乗り降りできるらしい。
「加守田章二展」は素晴らしくインスピレーションに満ちた展覧会だった。今年を通じて行われている加守田の回顧展の、今は最終期であり、1973年以降の作品を展示してある。しかし全体を通して把握できるように、それ以前の第1期、第2期の代表的な作品も数点づつ最初の方に展示してある。
たくさんのことを学んだ。
ここ陶芸メッセ益子に移築されている浜田庄司の旧宅(の一部)を見てから、益子参考館に行こうと坂道を下った。途中の窯の専門店を少し見た。どう評価するかは後に譲るとして、ほとんどの作品は互いに似たようなものであった。最初に入った店に少し変わったデザインの花入れと水指があった。後で買うかもと記憶してからさらに下ると、途中に「共販センター」があり、益子の様々な陶芸家の作品がまとめて売られていた。
「民芸」というのは、ある種の讃と否が両方言われているである。讃は「用の中に美がある(べきだ)」とされ、事実そうであったことであり、否は、時代が下るとともにその「用の美」という言葉だけが独り歩きし、本来の意図にあった(らしい)「美」が失われがちになっていることであろうか。
益子には沢山の窯元と、沢山の販売店があり、沢山の「民芸作品」がある。「用の美」を「用こそが美」と大言しているのかもしれないが、それにしても美しくないものが多すぎる。95%くらいはそのような「有象無象」に見えた。中には「よくもこんなものを作ってしかもしゃあしゃあと売っているな」というようなものもあり、全体としてはげんなりとするものだった。げんなりしながら歩いているうちに少し道に迷い、それでもようやく益子参考館にたどりついた。
益子参考館は、ここ自体がもともと浜田庄司の住いであったそうで、旧宅・工房・窯があり、さらに彼が世界で収集し「参考としたものたち」が、後続の者達へのためにと展示されている。
それらをみるとやはり思う。民の工芸であっても、やはり美は求められていたのだ、と。美しい形、美しい色、美しい意匠がそこにはあった。確かに用を満たすが、同時に美しくあることを明らかに意図されていた。(ひょっとするとそこに感じる「美」の姿自体は、過去のその時代と現代の私が感じるものでは違うのかも知れないが。- たとえば展示品の一つにとても美しい朱からローズ色の卓があり、その脚の部分に、切りぬかれたチャーミングな「ハート型」があった。しかし過去においてはそれは「ハート」とは意図されなかったのかもしれない。)
とにかく、ここにあるものはみな美しかった。明らかに意図された美であり、「用と共に美」、「用の美」ではなく「用で美」であった。その思想が、いつのまにか誤解され、用のものであればなんでもよいような風潮になっていったのであろうか。それが今の益子の全体的な姿を表しているのかもしれない。
ひょっとしたら、それは沖縄の陶芸についても言えるのかも知れない。素朴に用であることはよいことだが、それだけで美しいわけではない。作者の美意識はやはりできあがるものに影響するのだ。
そのような積極的な美を求めずに、過去の伝統(と、特に益子においては浜田庄司という巨人の強い影響と)を守るだけのものを作り続けるのは、たとえば文様だけがランダムに異なる以外は、同じ流し掛けのスタンダードピースをさまざまな製作者が大量生産しているに過ぎない。それはある意味では正しい戦略であり思想であるとは思うが、そういう人達は「作家」ではなくむしろ「職人」であるはずだ。職人であることは悪いわけではなく、むしろよいことなのだが、では本当に職人として技術を究めつくしているか?、というとそれはまた少し違うのかもしれない。そのあたりのどっちつかずのところが、益子の陶芸作品全体をなにかくすんだ、全体として迫力のないものにしている。
とある店で、あまり見たことがない色の、変な形の香炉をみつけ、買い求めた。普段は香も焚かないのだが、自分のインスピレーションが「買え」といっているので、買うことにした。自宅でこれがどう見えるかはまた興味のあるところだ。その店が別に営業する喫茶店でキノコや山菜のパスタを食べ(250円まけてくれる)、来たときと同じ路線バスに乗り益子を後にした。
10/11日〜13日の間、京都にいた。
最近は茶陶に興味がある。茶陶は周辺のアートへの関係が深く、そこから茶道・お花・墨跡・骨董・青山二郎などとつながって、白洲正子の著作をいろいろ読んんだりしている。「日本のたくみ」や「西行」などを読んで意識が京都とつながっているとき、偶然に京都行きの話があり、これは縁だと思って行くことにした。
10/11、1030に空港に集合。京都観光のサポートをしてくださるHさんへ泡盛ととうふようを買う。機内ではずっとiPodでスティングの「Shape of My Heart」を聴いていた。関空から「はるか」で京都に向かう。
京都駅ホームにはイッセイ・ミヤケの服を美しく着こなしたHさんが待っておられた。そのまま手配のレンタカーで「買いものツアー」とあいなった。市原平兵衛箸店、 宮脇賣扇庵、松屋常磐、一保堂茶舗、清課堂、鴨川(「賀茂川」?)を渡って染司よしおか、近辺の骨董屋さんを少し見てから象彦へ。それぞれの店で品物の解説を聞くことができて、なかなかに面白いショッピングであった。市原箸店で神立箸、栗の箸、ミーハーして白洲正子さんが御使いであったという赤松の利休箸、それと漆箸を買った。Hさんお薦めのこの細い漆箸は、ものを挟むと箸の弾力が感じられるほどに繊細で、京都の人はこんなにデリケートなもので毎日食事しているのだろうかと感心した。夕食は府庁近辺の京風居酒屋で。
12日は朝から信楽へ向かった。京都駅からJR線で貴生川へ。そこから信楽高原鐵道に乗り換え。貴生川のホームには、柵も何もないところに地下鉄の切符を通す器械のようなものが二つ設置してあって、とてもシュールな眺めであった。以前はちゃんと柵があって通行料を取るようにしてあったようだが、現在では「ワンマン」と書いた、路線バスのような二両編成の列車に乗り、終点信楽の駅出口でお金をはらうことになっている。途中、車窓からのほっくりとした景色に「勅旨」などという駅名がみえる。王府へ来たなあ、という実感。
駅を出ると「信楽陶芸まつり」の最中で、人でごった返している。祭りの期間中でているという無料シャトルバスで、10分ほどで陶芸の森に着いた。
陶芸館は、中に入るとクロークはないが無料ロッカーのあるちゃんとした美術館である。外人と間違えられないうちに「こんにちは」と声をかけて日本語でチケットを買う。
陶芸館では「桃山陶に魅せられた七人の陶芸家」を観た。桃山陶を再評価した近代の陶人の作品と、彼らが範とした桃山陶残欠の展覧会。
約1時間ほどをそこで過ごし、お昼に松茸そばを食べてから帰りの高原鐵道に乗った。貴生川→草津と戻り、山科から京阪に乗って三条へ。そこからタクシーで野村美術館に向かった。
野村美術館では高麗茶碗の展覧会を開催中であった。場所は南禅寺の境内近く(?)で、人だらけ。そこをタクシーで抜けて行ってたどり着き、観賞した。こちらは簡易な茶席もあった。30分くらいで出た。
帰り道がよくわからず、ただ歩いて行くと東二条についた。そこからバスで丸太町通りを西へ向かい、樂美術館に到着。たまたま先代と当代の「二人展」をを開催中であった。現代陶の展覧会。
樂焼は、初代長次郎による「大黒」を始めとする利休好みの佗び茶碗に始まるが、その後各代がそれぞれに自分の個性を出すため努力している。その意味では各代それぞれの現代アートとも言えるであろう。
こちらでも30分くらい過ごしてから、バスで河原町丸太町の宿、KKRくに荘に戻った。
翌日は法然院の見学であった。あいにくの雨であったが、手配してくださったNさんのてきぱきとした采配で、タクシー5台を連ねて通用門近くまで入った。入口で雨宿りしながらしばし景色を眺める。静かな空気と、高い木々の佇い。京都に来たなあ、という実感がわく。
中に入るとまずは本堂でご住職から法然院開闢の話などをうかがう。その後にご住職の案内で館内の展観があり、本殿から講堂、樹齢350年を経るという椿などを見せて戴いた。特に美しかったのは桃山時代の皇女御殿を移築した方丈の脇の庭であった。紅葉にはまだすこし間があったが、鹿威し(ししおどし)の音が気配を引き締める、美しい空間であった。
前日は一日せわしなく移動していてその余裕がなかったが、この法然院見学でようやく京都らしい京都の風景を見、雰囲気をたのしむという目的が達せられた。特別の見学の御手配をいただいたとのこと、どうもありがとうございました>Nさん。
そこからそのまま帰路に着き、帰りはずっとスティングの「Desert Rose」を聞いていた。
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2001年より記念館として公開されている白洲次郎・正子の旧宅。小田急線鶴川にある。1030頃には現地についたが、次から次と「カルチャー系マダム」の集団が大挙してやってくる。「あれはああだ、これはこうだ」とかまびすしい。それを避けながら、一人になれるチャンスを見計らって廊下の柱によりかかったりして、静かな時間を楽しむ。ここにある「モノ」に関してはすでに書籍などでいろいろと知らされている。私が知りたかった、というより感じたかったのは、この屋敷の「雰囲気」であった。いったいどういう所に住んでどういう環境にあれば、ああいう文章を書くことができるのか?、という疑問への答えであった。
戦災をまぬがれたところにみかける高い木々と、あとここには竹が多い。それらが常にさらさら、さらさらと音を立てている。すでに庭のちょっと下には住宅が広がっているが、ここも元は田んぼか畑が線路のほうまで連なっていたのだろう。この静かな環境はものを書くにはうってつけに思われた。
故白洲正子の書斎の周辺には本がぎっしりと詰められている。人の本棚を見るのはその人の考えのバックボーンに触れることでもある。国内外の古典文献が数多くあったり、小林秀雄の本がたくさんあったりするのは当り前だが、南方熊楠の全集があったのと、またライアル・ワトソンの本がけっこういくつもあったのも興味深いことであった。