i-morley
アヴァンティ
うるまpotcastingにある「インターネットでE〜まちぐゎー」
http://tbs954.cocolog-nifty.com/st/の「コラムの花道」「ニュースさかさメガネ」「ストリーム・ブックレビュー」
ぽっどきゃすてぃんぐ落語
お台場寄せフジポッド
ききみみ名作文庫
東大オープンコースウェアpodcast
PodWalker
その他東京ゆんたくpodcast、などなど不定期版もあり。
エリーゼのオーディオヘッドユニットを交換した。
これまで装着していたのはAzzestのDRB4455という機種だった。1DINサイズで、シングルのCDプレイヤーとラジオだけのシンプル、ミニマルのユニットだった。
私はそもそもオープン2シーターのオーディオ空間を過大視していない。オープンエアーで、おまけにミッドシップのエンジン音がばりばり聞こえてくる空間だ。何が鳴っているかわかるだけでもうけものといった感じ。バンドもやっていたし、聴く曲にはそこそこのこだわりがあるのだが、しかし聴く時はCD1枚かその中の1曲リピートで聞きっぱなし、ということが多い。ぐるぐる何度も聴いていると曲を深く深く知ることになり、新しい発見があることも多いのでこの方法は気に入っている。(だから何度も聴くことで深くまで探れないような音楽には興味がわかない。)
そういう感じのリスニングスタイルだと、プレイヤーはシンプルミニマルで全然不都合はない。それにドライバーという立場からいえば、車内で音楽に集中し切ってしまうことはあり得ない。特にほとんどドライビングのことしか考慮されていないこの車はそうだ。これもオーディオに深くはこだわらない理由の一つである。
そこに今回はiPodが加わった。1年くらいはFMトランスミッターを使っていたのだが、やはりダイナミックレンジが狭いのと、ラジオの受信状態によって目立って音が悪くなる。しかも送信周波数の微調整を指先でやっているとそちらに意識を取られ、運転に集中できない。これはまずい。
ということで、有線でiPodを接続できるミニマルな手段として前面AUXつきのシングルCDプレイヤー、パイオニアDEH-P510を選んだ。シングルのCDプレイヤー、ラジオにAUXでiPodが加わった形になる。オーディオユニット側からiPodをコントロールできるアダプタもあるのだが、そこまでやる必要も感じない。コントロールはiPod本体でやればいいや、ということにした。
気になったのは現機種と新機種でケーブルの整合性はあるか、ということだった。今のオーディオは99年くらいに知人のカーオーディオショップで欧州車ハーネスでインストールされている。ユニバーサルな方法に依存しているのだから多分大丈夫だろう、と思ったが、意見を聴くためにmixiで質問し、いろいろと教えていただいた。
いざ作業となると、まずは機器の着脱方法がわからない。これもmixiに聞いてみたが、答えが返る前に自分の試行錯誤で解決した。ユニットを外し、背面のコネクタの状態を確認した。
そこでいよいよオーディオショップでDEH-P510を買って来た。その時聞いたのは、ユニット側のコネクタが現機種と新機種では互換性がないということだった! 驚き!
mixiやショップの人に教えてもらったように、新ユニットに付属のコネクタとハーネスの間を、ケーブルのカラーとマニュアルを見ながら再接合した。正味4時間程で作業が終了し、エリーゼで再びiPodの音楽やpodcastが鳴り始めた。
こういう作業も、やってみるとできるものだ。うまく行ったことでとりあえずこの方面もミニマルレベルでは自信がついた。
iPodを鳴らすと音がすこし小さい。ケーブルのインピーダンスのせいか?
いずれにせよ運転に集中できるのはとてもうれしいことだ。
それにしても各メーカー間で、コネクタが非互換だというのにはショックを受けた。こういうところは早く業界標準を設定してもらって、ユーザーの負担を減らして欲しいものだ。
Apple CEOスティーブ・ジョブスのスピーチが再び話題になっている。音声はStanford on iTunesで聞く事ができ、かなりできのいいトランスクリプトもある。
再び、とは、2005年6月14日にスタンフォード大学の卒業式典でジョブスが行ったスピーチとして公開時に話題になったこれが、今回スラッシュドットによるStanford on iTunesの紹介で再び注目を集めているらしいからである。
これはすばらしいスピーチである。また希代のプレゼンターであるジョブスの語り口を聞いてみるためにも、音声で聞いてみる事をお薦めする。
ステージに立ったスティーブは、最初にわずかな緊張?、か気恥ずかしさ?のようなものを見せていたが、すぐにいつものように簡潔で、力強いスピーチを始める。めずらしく(?)、書いた原稿を読んでいるようだ。
詳細はトランスクリプトか翻訳を見ていただく事にして、彼はここで3つの事を話している。それらは;
自分の行いは点と点として将来かならずつながる。だから自分を信じて事を行え。
本当に愛せるものを探せ。見つかるまで探し続けろ。
明日はもうないものと思って、自分の内なる声に耳を傾け、本当に大事な事をやれ。
であり、最後は「Stay Hungry, Stay Foolish」(Whole Earth Catalog最終号からの引用)と結んでいる。
ここにある彼は、若い人への手向けの言葉を伝える、ヒューマンな存在だ。
これに触発されて、ついに分厚い「iCon」を読んだ。こちらは非公式なJobsの伝記である。
この本に書かれているジョブスは、起業することと世界を変えることを強く願うエンスージアストであるとともに、自分についてファナティックな、ややエキセントリックで、おもいやりや暖かみに欠けるエゴイストでもある。
彼は、自身のアーティスティックなポリシーを基準にした、デザインに対する徹底的なこだわりがある。これがアップルにおける彼の本質だと思う。そして彼はそのことをきわめて効果的に伝えるプレゼンターでもある。
危険で魅力的な人物だ。
MacWorldTokyoでプレゼンをした時に、ゲストシートから彼のプレゼンを見たが、一見にこやかそうだが、ある種の不思議な落ち着きがある人だった。それは装った鷹揚さ?なのか?、それともなにか禅的?なものなのか。
ちょっと複雑な生い立ちのせいか、60年代のカルチャーで育ったせいか、禅を学びインドを放浪したりしているせいか、典型的アメリカ人ではなさそうな雰囲気がある。
彼がスピーチの中で何度か「follow your heart」と言っている。おそらくそれには、普通のアメリカ人のものではない意味が含まれているのだろう。
初期型ユーノスロードスターである。今の車に乗るまで、11年間乗っていた、110000kmくらいは走っただろうか。
ユニークなデザインだ。
たまごの丸みのような美しさ加えて、ドア周りの微妙な絞りなどさらに有機的な曲線を持っている。力を矯めてぐっとうずくまった生物のような形で、コンパクトでありながら敏捷さを感じる。繊細かつダイナミックな動物の雰囲気がある。
本当に美しい車だと思う。視界の隅をかすめて行ってもすぐわかる。
エリーゼに乗っていても、前を走っているのを見るとああ美しいな、と思う。そのまま後ろ姿を眺めながらいつまでもついて行きたい気分になる。
時代の流れに沿ってデザインも変わる、というつもりなのか、7年くらいでこの形は変更された。後の世代の走りは常にその前のものよりよいと言われているが、デザイン的には失ったものが多いと思う。
第二世代は当時のRX-7の影響をうけたような、アメリカンで饒舌なデザインであり、わかりやすいが、まるい微妙な曲線の持つ意味合いと、凛としたなにかを失った。もう動物ではなくなった。現行の三代目に至っては、あれはシェルビーコブラ風?、なのか、なにかの勘違いとしか思えない形をしている。
初代のデザインは、911ポルシェのように、微妙に微妙にブラッシュアップしていけば歴史を乗り越えて残る形ではなかったかと思う。
やれやれ。ちょっとヘンなことになってしまった。
私のこのwebページはMovable Type(MT)に見えるが、実際はスタティックなテキストファイルである。からくりはというと;
要するにMTを自分用のコンテンツ管理システムとして使用している、ということである。
先日そのPowerBookをまっさらにしてクリーンインストールし、再度MTをインストールして再構成したのだが、その後念のために「テスト」というページを作って動作を確認して、よしよしとそのエントリだけ削除したところ、MTの管理画面では削除されているが、「View Site」してみるとそこに残ったままになってしまったのである。管理画面上に存在しないので、MTからはそのエントリを全く操作できなくなってしまった。
どなたか、解決方法がお分かりでしたらお教えください。m(_ _)m
やれやれ。。。
と、思ったら、このエントリを追加したらめでたく消えました。。どうなっていたんだろう。。
どなたか、謎の答えがお分かりでしたらお教えください。m(_ _)m
ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)・mixiについて、ITmediaに「100万人突破の「mixi」、深まる自信」という記事がでていて、その中には「運営元は『誰でも自然に使えるサービス』を目指し、ユーザーの声にひたすら耳を傾ける」とある。
私はmixiがユーザーの声に耳を傾ける姿勢があることは知っている。しかし目指しているという「誰でも自然に使えるサービス」については、現状として「そんなにいいもんか? 方向を間違えいてるのでは?」と思うような出来事も起きている。それは先に書いた「Kusakabeさん」に関連していて、この記事はその続編でもある。
その後Kusakabeさんは、mixiへの入退会を繰り返している。他のmixiユーザーからたくさんでているらしい「招待状」を使って再入会するが、別のmixiユーザーの誰かが彼の再入会を通報するのか、あるいはmixi事務局が気づくのか、数日から最近では数時間後にはmixi事務局により再退会させられる。ここ2週間ほどですでに十数回はこれが繰り返されている。よくはわからないが、最近は彼の再入会対策のためにmixi事務局がソフトウェアの変更もしたような話も耳にする。
こうして物議を醸している本ケース以外にも、mixiには「二重登録」や「プライバシー侵害」など、明確なmixi規約違反による強制退会はたくさんあるだろうに、なぜKusakabeさんだけがこんなに騒がれるのか? だいたいの雰囲気をつかむには、Googleで「kusakabe mixi 退会」と検索してでてくるページなどを読んでみればわかるかもしれない。
私はmixiのプロフィールに、アピールとして、だいたい以下のように書いている:
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10年以上にわたってKusakabeさんのあちこちでの所行がいろいろな議論や話題を生みつつも、絶対的に排除されていない理由は、彼のあり方に価値があるからです。物事には多様性があった方が、ホモジニアスな状態よりもずっといい。特に文字でコンセプトがやり取りされている世界では、ラディカルさは善に働くことが多い。その意味では、Kusakabeさんの喪失は、mixi100万人のユーザー全体にとっては損失のはずです。早い話が彼のあり方から学ぶものがある、という人がいるのです。
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要するにKusakabeさんは一種のラディカルな異端分子であり、彼が引き起こす騒ぎは、だいたいにおいて「異端異説に人がどう反応するか」ということにまとめられる。他人が自己の主張に異を唱えたとき、それにどう反応するか、ということだ。
まず、自己の意見も自分から切り離して客観視し、それを解剖し、異説との異同を比較検討できる人間(このカテゴリをここではとりあえず「オトナ」と書く)は、この局面をスムーズに、建設的にクリアできる。異端とのエンカウンターは、新しい知識と経験を生み出す。そういう人たちは、異端の意見からも、また起きたトラブルからも何かを学ぶことができる。学ぶことでその人は少し変化するか、新しい視点を得る。
他方、自己の意見を客観視できない人たち(ここではとりあえず大人なのにオトナの成熟した思考ができない人ということで「小学15年生」と書く)は、異説を自分に対する否定・個人攻撃と見なし、異説を唱えるものを攻撃し始める。この攻撃者は、(攻撃されていると誤解している)自らを変えたくないという理由から、たいてい本来の論点をずらしていくため、攻撃がまずうまく行かない。そして徐々に怒りだし、誰か仲間はいないかと同じ小学15年生たちを探し、つるみ始め、しまいにはしばしば徒党を組んで、強権者に「あいつをなんとかしてくれ」と訴えだす。「せんせいたすけてーいじめっこがいるー」というわけだ。「魔女狩り」や「KKK団」のイメージだろう。
今回のKusakabeさんの件でとても残念なことは、mixi事務局が「異端異説の価値」に気づかず、逆に「せんせい」として「小学15年生のいじめっこ排斥」に加担しているように見えることだ。一見平和でホモジニアスな「仲良しクラブ」からは、何が喪われていくのか?
異端排除の危うさについてmixi内部でも議論はもちあがり、おごちゃんがこのことについて質問状を書いている。しかし「削除に関する質問はいっさい受け付けない」という規約がいつのまにかmixiにできていて(いつからできたかご存知の方はお教えください)、少なくともmixiはこれに答えるつもりはないように見える。
もう一つ問題なのは、上記の「質問状に答えない」ことを含め、この騒動をなんとか収拾しようとする過程で、mixi事務局がほとんど情報開示のない、稚拙な対応をしていることだ。
そもそもKusakabeさんが強制退会させられていることは、mixi事務局からは情報開示がない。開示がないから、Kusakabeさんを知る人はかれが退会させられた後も招待する。それをmixi事務局がまた退会させる、という不毛な泥仕合が起きている。事務局が「この人はこれこれこういう理由で強制退会させたので、再招待してはいけない」と言わなければ、Kusakabeさんの存在を是とする人が彼を再招待するのはあたりまえのことだ。
そして再招待が止まないので、上記のような情報開示なしに、mixi事務局は突然「招待機能制限」を始めた。Kusakabeさんを招待すると、なんの事前警告も、勧告もなしに、いきなり招待したユーザーの招待機能が停止させられることになったのだ。ルールの開示なく、ワンストライク・アウト。私もこの招待機能制限をいきなり受けた。(招待相手がKusakabeさんに限らず、招待機能が完全に停止される。)
機能停止の画面には「面識のない人の招待をしたので制限した」と現れるのだが;
とにかく対応手法が稚拙で、ユーザーを納得させる説明責任を果たしていない。説明のないさまざまな「禁止」は、強権的、独裁的、秘密警察的であり、mixiの運営手法にとても悪いイメージをもたらしている。100万人を相手にこんなことでいいのか?!
過去に異端・異分子をネットはどう取り扱ってきたか。たとえばfjや2chなどでは、それは許容されていた。というよりもそもそも集権管理組織はなかった。「最善のアナーキー」と呼ばれた環境の中で、異分子は論理的に正しい方が共感を得、支持され、小学15年生は「せんせいたすけてー」と呼び出すべき「せんせい」がいなかったので自然に消滅していた。
しかしmixiは企業の運営するサービスである。企業であるから集中管理できるし、そうされている。しかしその運営手法が稚拙で、ユーザーの信頼を得られないので、こんな騒ぎになっている。
問題の解決は明確なはずだ。mixiは企業のサービスなのだから、企業の是とする価値観で退会でもなんでもさせればいい。しかしそうするからには、運営者の価値観や行動原則を明示すべきなのだ。それをしないから、運営者の行動の合理性がユーザーには判断できないので、不満や不信感がわき上がり、「普通の招待」と思って実行して機能制限を受けるなどのユーザーの不利益が発生するのだ。
mixiがそう望むなら「小学15年生でも騒がないような、一見平和な『仲良しクラブ』を作りたいのです」でもなんでもよいのだ。はっきり開示すればよい。そうすればオトナはmixi自体が「オトナでない小学15年生ルール」で動くことがわかるので、自分のmixiへのコミット方法を変えるか、相手にしなくなる(やめる)か、なんらかの決断を下し、少なくとも「繰り返し招待」はなくなっていくだろう。
この問題の、システム上の本来的な解決案としてより自然で、オトナだと思うのは、おごちゃんの言う「異端も排除されないが、ユーザーがお互いに見たくないものは見なくてすむ機能を実装する」ということだと思う。実世界だって見ないようにしている相手はいるはずだ。
オトナは異端分子に出会ってもこの手の騒ぎは起こさず、生産的な時間を過ごすだろう。異端分子と小学15年生が出会えば、小学15年生がオトナになってオトナ側に移籍するか、「異端分子を見なくてすむフィルタ」を使って、15年生同士の仲良しクラブに入って幸せになるかのどちらかだ。仲良しクラブは、仲良しクラブだ。それはそれでいいだろう。異端分子以外のほとんどのオトナは仲良しクラブでもうまくやっていく。
mixi事務局が困るのは仲良しクラブの小学15年生たちが異端分子をターゲットに集団暴動を起こしたときくらいのものだが、その確率はフィルタによって減っているだろう。
そして、Kusakabe事件から触発されおごちゃんはSNI(Social Netowrking Infrastructure)を立案しはじめている。一つの企業の(あまりオトナとは言えない)価値観による管理によってこんな「異端審判」もどきが起きているのだから、固定的価値観がないインターネットという世界自体をメタなSNSにしてしまおう、ということだ。
かなり興味あることだ。
再始動したNorthValleyOkinawa(NVO)で
NVOは1999年に始まった沖縄のベンチャー系の交流・ビジネスマッチング組織だが、3年の休止の後に咋月から活動を再開している。その再開2回目のミーティングでの講演だ。
りんけんバンドの照屋林賢さんの店「カラハーイ」で、比嘉さん、林賢さん、そして司会役の沖縄県産業振興公社の島田さんの対談、および参加者を交えたフリーディスカッションのような形式で行われた。
ジェームス比嘉さんは高校までを沖縄のアメリカンスクールで過ごし、スタンフォード大学に入学、卒業後カメラマンの仕事をきっかけとしてSteve Jobsに見込まれApple社に入社、漢字Talkの開発などに携わったのち、一時RealNetworksの仕事を経て再びApple社に戻り、仕事をされている。社内でもMystery manと呼ばれるほど静かな行動のうちに、iPodとiTunes Music Store(iTMS)ビジネスを立ち上げたそうだ。
議論された様々なテーマの中のいくつかを紹介する:
まずはじめに明確にしておくが、比嘉さんは「話せないことがたくさんある」として、今後のビジネス活動についてはいっさい触れなかった。これまでに行われてきたことと、その中での彼自身の個人的な考え方について述べた。
「外から見た沖縄」について聞かれて、まずはそれがほとんど知られていないこと、単に東京ばかりを向いて全部持って行かれるより世界というメジャーリーグで勝負しよう、レゲエは世界のものになったじゃないか、もっと冒険して自分たちの文化で外へ向けて勝負しましょう、iTMSもそのための力になり得る、と話した。
異国に渡っての生活のなかで、それまで普通に自分の周りに自然にあった「島唄」のリズムが、とても懐かしく感じられた。そのように世界の小さな場所にもにもいい音楽がある。それをiTMSを使って広めたい。
昔の琉球王国に戻り、人、その知識、その文化を発信して行こうと語った。ちなみに、iTMS(US)へ登録された、日本の最初のグループはりんけんバンドだったそうだ。
iPodやpodcastについて、Apple社がいかにイノベーションにこだわる企業文化を持っているかを話した。Podcastそのものの開発はApple外のもの(RSSのDave Winer(かれは以前にマックのスクリプティング環境であるUserLand Frontierというものを開発していて、何度かメールのやりとりをしたことがある)やiPodderのAdam Curryらによる)だが、それを積極的にiTunesとiPodに取り込むことによって、音楽を運ぶことだけでなく、放送を運ぶという文化のイノベーションが起こりつつあると話した。
カッキー君の、ポータブルな音楽に関する著作権についての質問に対し、たとえば電話が犯罪にも使われるように、テクノロジーは様々に使われる。その中で著作権違反ケースは直ちにiTMSから除くなど、いい使い方の見本を示すことによって健全な展開をすることを語った。
また、データで音楽を所有し、バックアップ保存としてHD/DVDを用いるという戦略は米国では中心的な手法になりつつあるとのこと。そして音楽データがコレクションとしての意味を持つだけでなく、iPodの中のプレイリスト選曲が(あたかも本棚を見るとその人についてわかるのと同じように)それを持つ人のプロフィールの一部として作用していることも話した。
人材育成や教育について意見を求められ、大きい夢を持って個人でぶつかって挑戦し、たくさん失敗を経験することが重要、試験の失敗などで人生が終わるわけではない。失敗してもいいから好きなことをどんどんやりなさいと話した。
人を見る方も、看板で選ばず、その「人」にかけること。地方の支援策としても箱もの作りよりも人を育てることが重要で、特に文化・芸能を重視すること、コンピュータだけの人はソフトウェアエンジニアとしてはよくなれず、幅広いジャンルの知識・経験を持ち、あらゆるところから情報を引っ張ってきて問題にぶつけるような人が良い仕事をすることを話した。
Appleでの仕事について、いい人材を惹きつけるという「トップ」をマネージする仕事であること、企業トップはどう自分のDNAを下に広げ、自分と同じように判断できる文化を醸成するかが重要なことを話した。
またApple社について、設計された基盤の美しさにもこだわるような、Jobsを中心とした統一的な美意識が形成されていること、本社ビルのイサムノグチの彫刻など、常に美しいものを近くに置き、自らの生み出す文化の糧とする態度についても話した。
息子を連れて行ったのだが、とても触発されたようで、よい経験となったようだ。
私はよく「モノはカッコだ」と言うことにしている。それはたんにカッコのことを言っているのではなく、あらゆる機能的、哲学的議論を通り越した上で、いいものは美しい形をしている、ということなのだが、Appleはそういう文化を確かに持っている、と比嘉さんの話を聞いてあらためて納得した。
Kusakabeさんがmixiの一部?を賑わしている。彼にmixi強制退会が言い渡されたのだ。参加メンバー数1万人規模の、mixi内の特定コミュニティで彼の発言と、それに続く一連の様々な人の書き込みが物議を醸し、一部ユーザーが(コミュニティ管理者を経由して?)mixiへクレームをつけたらしい。その後(私の与り知らない)いくらかの経緯があり、8月12日をもってmixiを強制退会となる予定だそうだ。
くさかべさん、あるいはvoidさんに関しては、この手のことは過去にいくらもあったことだ。私自身は知らないascii-pcsでのこと、fjでのこと、ircでのこと、2chでのことなどなど。そのことに今回初めて触れることにする。
私は数年来、彼と知己である。始めからリアルワールドで知り合った。そのことは幸運だったのかも知れない。なぜならもし最初にネットでエンカウンターしていたら、私も彼とトラブルにならなかったとは言い切れないからだ。
彼は頭がよく、思考回路が緻密である。またさまざまな知識がとても豊富だ。だから彼との会話はとても楽しい。彼は朗らかであり、言葉はユーモアに満ちている。
彼にはまた「古風な日本人」といった趣がある。まずは礼儀正しい。姿として背筋がきちっと立っている。意識せずに自然に着た紋付袴が似合いそうな人だ。
全体としてくっきり、はっきりした人だ。
そして彼は「旧来の」インターネット的人間だと思う。メールとニュースグループがコミュニケーションの中心であった時代の人間。そこでは「文字で正しくわかり合う」ことが重要であった。したがって論理的推論の領域を越えては行間はあえて読まない、ないしは不用意な憶測をしないことが重要だった。書いてあることが書いてあるだけの、それ以上でもそれ以下でもない意味を示している文章によるコミュニケーションの世界。
彼は几帳面であり、物事ないしはその記述が正確である為に努力を惜しまない。必要なことは可能な限り調べ、間違いは糺し、その意味で切磋琢磨を怠らない。「頑固」と捉えられるのかもしれないが、むしろある種の丁寧さであり、繰り返すことを厭わない、面倒見の良さとも言える。
これを「粘着的」と勘違いしている人がいるようだが、捉え方を間違えていると思う。また攻撃的でもない。彼は決して「問題を気づかせてあげようとしている」わけではなく(彼はそういうおせっかいはしない)、「繰り返し指摘していればいつか気づくだろ」うと、辛抱強く相手をしているだけだと思う。
ネットでは、彼とは典型的には二通りのつき合い方が生まれる:
始めは同じだ:
誰か:「XXX」です
kusakabe:そんなバカなことはありません
この先が問題だ。
●パターン1
誰か:バカとはなんだバカとは!
:
このパターン1の「誰か」は、コンセプトに対する指摘を個人攻撃と勘違いし、噛み合わない、果てしなく思える泥沼に落ち込む。しかも自分自身がそこでぶざまな踊りを踊っていることに気づかない。そしてしまいににっちもさっちもいかなくなって「あいつをなんとかしてくれ」と外野ないしは強権者へ訴える。
あまり本について語らないkusakabeさんが、数年前にとても面白がっていた本がある。
「平気で嘘をつく人たち」 という本で、彼のお気に入りのようだった。本来的な自己内部の問題を隠蔽する為に別の観点の嘘をつき、他者を攻撃する人たちの振舞いについて書かれた本である。パターン1に落ちる「誰か」が、実にぴったりとこの本の通りに振舞うことを彼は感心していたようだった。
●パターン2
誰か:お、どういうところがバカでしょうか
:
こちらはコンセプトにスティックして検討点を展開して行く。建設的で面白い会話が成り立つ。
kusakabeさんも、パターン1に落ち込む「わけの分かっていない小学15年生」みたいな人たちは相手にしないで、わかる人だけとコミュニケートしていれば、最近の私のお気に入りのポッドキャスト「i-morley」のモーリーロバートソン的にクレバーなんじゃないかと思うのだが、彼の古風な一本気と、几帳面さと、旧来型ネット人間としてのスタイルががそれを許さないのかもしれない。彼のスタイルの宿命のようなものか…
その彼をmixiは強制退会させることに決めたようだ。100万人もユーザーを抱えている国の政府としては、深い議論に関係なくマジョリティを保護しようとするのは政治的には当たっているのだろう。それが政策というものだ。
しかし本質的な意味では、愚かな判断だと思う。なぜならこの措置によって、mixiは必ずしもマジョリティの希望を代弁し、保護しているとは言えないからだ。100万ユーザーのうちどれだけのユーザーがクレームをつけたか?(私の知り得る範囲の情報では、せいぜい100人程度のようだ。) そして(私の様に)クレームも何も言わないサイレント・マジョリティはどういうスタンスでいると考えられるか?
mixiは何を守ろうとしているのか? 守ったつもりでいるのか?
茶箱を作った。
一番最初のこの写真は、以前から使っていた茶箱である。中身は茶碗・茶杓・茶筅・袱紗を除いて全部見立てのモノで、詳細はこちらのフォトアルバムを見ていただきたい。
この箱は、やや小さめであった。中に必要最小限なものは一揃い入っているのだが、もう少し加えたいものがあり、それで少し大きい箱を探していた。
それで見つけたのがこの箱である。那覇のベトナム系民芸品店で2800円で買った。(つれあいはそれでも「高い」というのだが…)
標準サイズの茶筅や茶碗と並べたこの写真で大きさがわかるだろうか。もともとは「CDケース」として売られていたものだ。(先の小さい方の茶箱に入っている茶筅は「野点用」の小さいやつで、こちらの写真の茶筅の約7割くらいの大きさである。)
で、このCDケースの内側を一閑張りして、野点茶箱にしてやろうという趣向だ。
このあたりの一閑張りの手法を解説したページを参考にして10:1くらいの比率に混ぜ合わせる。(このページには30%と書いてある。私が間違えたのか?? うまくいっているからよしとしよう。^^;;)
別に買ってきた少し厚手の和紙に先ほど調合した糊を刷毛で塗り、箱の内部に貼り重ねて行く。
乾かしながら二重に塗り重ねるので、日を分けてやっていく。合間にマックでメールを取ったり、携帯をsyncしたりしながらのんびりしたものである。
これぐらいで大体よかろう、という感じ。
側面の白いところは、もともと「手がかり」として穴が空いていた部分である。そこにまず裏から何層かに和紙を張って、さらに表側から適切な大きさに切ったベニヤ板を穴埋めにのり付けしてある。この上にまた何層かに和紙を張って「サンドイッチ」にしていく。
これらの和紙の上に「柿渋」を塗る。ネットをさがして「カキタフ」という、特殊製法で精製されて臭みがないという柿渋を見つけたので通販で買った。実際全く臭いがない。それを2回くらいに分けて塗った。
大体はこれで出来上がりである。内部の和紙はいい具合な柿渋の茶色になっている。
今はこの状態で使っている。側面の和紙の部分はもう少し重ね張りした上に、墨で何か模様でも描いてから柿渋を塗ってやろうかと思っているが、まあそれはすこしゆっくりとでもいいか、と考えている。まずは使わなくちゃね。
ということで、ほとんど毎日使っています。
この大きさだとこれだけのモノが入る。
なんといっても写真に写っている小型のバーナーが入るのが都合がいい。これならペットボトルかなにかの水さえあればどこでも湯を沸かして茶が点てられるのだ。
ようやくいい感じになってきた。

最近、車の調子がいい。燃料ポンプの修理が終わって以来のことだ。
車の運転を楽しむには、まず基本的な信頼感が必要だとつくづく思う。「この車は次はいつ止まるのか」という懸念が払拭されている、ということだ。走らない車はただのでかい鉄の塊だから。車に関する全ての感覚は「ちゃんと走る」の先にある。今、久しぶりにそういう信頼感を実感している。
当然ながら運転が楽しい。とても楽しい。基本的な信頼感があれば、この車は、大げさに聞こえるかもしれないが、運転するのがとてつもなく楽しい。
たとえば、進入路の手前でもうすでにギヤが5速に入ってしまった状態で高速に入る。そのまま結構な速度で並走車をかわしつつ、高速を降りるまでずっと5速に入れっぱなしのまま、ギアチェンジしないでいられる。(たまに加速して追い越した後にシフトアップしようとして、ギアがすでにそこにあることに気づいてびっくりすることがある。)ドライウェイト690kgという軽い車体と、卓越したサスペンション・ジオメトリーのおかげだ。
走行中、考えることなくいつの間にか車の方向が変わり、考えることなくいつの間にかスピードが調整され、ただ思った通りに「ぴたり」と後ろにつく感覚。「5速入りっぱなし」いう、ある種ルーズな走り方でも、全く無理なく平気な挙動で走り続ける。機械を操作しているとは思えない、まるで車と自分が一体化してしまったような自然な感覚になる。
はしゃいだりすることなく、自然な楽しさ。なかなかに得難い感覚だと思う。
「小柴昌俊講演会」が奥武山の武道館で行われた。昭和薬科大学附属高校・中学校の30周年記念事業とのこと。学生が聴講するとともに一般公開された。
実はここ2週間、全く救いのない仕事(他人の失敗の後始末、と言えばよいのか?)をやらされる羽目になり、メールもwebも、その他あらゆることが何一つできない状態にあった。他のことは、飯を食って眠ること以外、本当に何一つできなかった。あまりに不毛な作業だったので、自分で何か主体的にやらないと自己崩壊しそうだったので、茶箱を持ち込んで休み時間に茶を点てて飲んだくらいだ。連日の不毛な作業の中、この茶は本当に旨かった。
その不毛な仕事にようやく出口が見えて来たので、一山越えたところで逃げ出すように講演を聴きに行った。
タイトルは「若い人たちへのメッセージ - やれば、できる」
彼は最初に「今日私が言いたいことは…」として、話すべき要旨を端的に要約した。それは「『やれば、できる』ということ。ただし『やる』とは、自分が本当にしたいことを見つけ、そのことについて考えて考えて考え抜いて、工夫して実行すること」とのこと。普通に「やってみれば、できるかもしれない」というフェーズの話ではない。
彼はそのことを自分の三つの経験を例にして話した。一つは彼が中学に上がった時に小児まひにかかり、四肢麻痺になり、そこから回復したこと。もう一つは昨年発足させた平成基礎科学財団の設立作業のこと。もう一つは、カミオカンデ計画のこと。
話の内容は少し深さが足りず、流している感じで、あまり印象には残らなかった。時間切れになって尻切れとんぼになったカミオカンデ計画のことについてもっと詳しく聞きたいと思った。
そういう経緯からすればこの講演会はあまり成果のないものだ、ということになりそうだったが、その後に行われた質疑応答が全体を救った。
学生から事前に寄せられた質問が190以上あったそうだが、そのうちの幾つかが司会者、および質問者本人から小柴氏に問われた。
青少年の「科学離れ」について意見を求められ、自分はあまりそれを感じていない。問題を感じるのは、青少年に科学を教えている先生たちが、教えている内容について、自分自身が楽しく思って教えていないのではないか、それだと生徒には面白さが伝わらない、と話した。
別の学生は、ある哲学者の言葉として「真理とは、主観と客観の間のどこかにある」という言葉を挙げ、小柴氏に真理とは何かと問うた。彼はそれに対し「その哲学者は、自分がわかっていないことを話しているのではないか」と、言葉柔らかに、しかし厳しく批判した。彼は「科学においては、主観(観測者)と客観(客体、外部事実)は明確にわかれていて、客体をよりよく知ること、事実を増やすことが真理を増やすことである。主観と客観(客体)が別れていない(で、その間に何かがある)というのは、たとえばモーツァルトの音楽を聞いている自分がその音楽と一体化してしまったような状態のことであって、それは真理とは無関係だ、と話した。
また「もう一度人生を生きられるなら何をしたいか」と問われて、何か楽器を覚えて音楽をやりたい、と話した。
彼の教育者、科学者、個人としての側面が明らかになった、面白い質疑であった。

アメリカンブルーという名前の花がある。学名は「Evolvulus pilosus
(エボルブルス)」で、国内でもあちこちに生えているようだ。
これを茶花の雰囲気でカラカラ(とは沖縄の泡盛をつぎ入れる酒器。徳利のようなもの)に挿してみた。
普通に見かけるのは群生しているのだが、こういう風に一輪だけ挿してみるのもなかなかの風情である。
などと言っていたら、4日後に、花がうしろを向いているのに気づいた。よく見ると最初の花は散って、最初の花の出ていたところから二つ目の花が逆向きに咲いていたのだ。最初の花は散り落ちていた。(酒器を逆に向けて、花が正面を向いている。)びっくり。
こうして、水を注してやっている間、このアメリカンブルーは何回も花を咲かせたが、ついに10日後に最後の花が終わった。入れ物から抜いてみると、茎だった部分にたくさんの根が生えていた。
植物って、すごい。
さて、窯焚きが存在すれば窯出しも存在する。ということで見物して来る。
最初に入り口のレンガを外すとみえてくるのは上のようなものである。「サヤ」で、地方によってはここにモノを入れて焼いたりすることもある。ここでは中にモノは入っていない。火の流れの調整のようなものか。
風呂の盥くらいの大きさだが、一塊に焼き付いている。最初これを見たサヤのメーカーの人はびっくりしたらしい。サヤを取り外していよいよ中身を取り出し、工房に持って来る。
人間の方はこうしてお茶やらアイスキャンデーやらを食べながら作業を続ける。窯の中はまだ熱が残っていて、大汗をかきながらの作業である。
20時頃にようやく全部出し終わった。今回は非常に焼け具合がいいようだ。
22日夕方から読谷のやちむんの里で窯焚きが始まっているので見学に行ってきた。
午前2時、始まって8時間目くらいに行ったので、「胴木間」と呼ばれる一番下側の部分を焚いているところ。一抱えもある「胴木」をぼんぼん燃やして窯の温度を上げるフェーズである。
焚き口のあたりは灼熱の世界で、そちらを向けているだけで熱線が顔に痛い。
焚き口のすぐそばででっかい胴木をくべて行く。この位置にはそう長くはいられない。
東京FM「やまだひさしのラジアンリミテッドDX」あたりをBGMにがんがん燃やす。とはいえ燃やす木が太いので、テンポはゆったりである。
ゆったりの合間に水分とエネルギーを補給しながら空を見る。やや雲がかかるが満天の星空。あの星は何だろう。。
ということで秘密兵器マックを取り出して、天体ソフトStellariumを起動し、星空をマッピングする。まず地平線近くにオリオンがみえた。北斗七星は地平線下に隠れているが、カシオペアから北極星がわかる。オリオンから天頂に向けて、昴、ペルセウス、アルゴルが見える。
星とラジオと灼熱の不思議な世界。。
2年前の夏、秋葉原のたん清さんご夫妻と渡具知ビーチで宴会を開いた。このために2年前に作られていたメーリングリストから「生存確認」のメールが来た。つまりまた宴会、ということである。
今回は瀬長島で執り行うことになった。瀬長島は大体こういうところである。那覇空港の滑走路誘導灯の真下、といってもいい場所で、ビーチがあり、飛行機の発着がよく見える。
たん清さんの到着。とりあえずタンを焼いて食す。つぎはたれつきハラミ。つぎは霜降りのステーキ肉。
そのあと、用意した鍋に持ってきたキムチをぶっ込んで、「油がいる」のでカルビを入れ、ごまを大量に、野菜、イカなどを入れ、最後に島豆腐とうどんを入れてチゲ鍋となった。
たん清さんは今年18周年とのことで、スペシャルなTシャツを作られたとのこと。前と後ろはこんな風。
それにしても写真を撮っている人たちはなぜか二眼レフとか…普通のカメラはないのか ^^;;
たん清御一行様は夕方、沖縄市方面へエイサーを観に行かれました。撤収の頃には空は「カタブイ(片降り)」状態。雨に巻き込まれる直前に撤収であった。
楽しい時間とおいしい食事をありがとうございました>たん清さま。上京の際はまたお店に寄らせていただきます。
今日は県警本部前で、ちょっとヒヤヒヤなものを見た。横断歩道のところで誰かがタクシーに向かってなにか手を振っている。見ると鳩が一匹、交差点の路上、タクシーの前に降りている。ぜんぜん人に怖じない。とはいっても人に触らせるわけではなく、一定の距離をおいている。そしてその鳩はなんと、停車中のタクシーの下に潜り込んだ!
周りから我々が車の下を覗くと、鳩は左前輪近くのパイプから落ちて来るクーラーの排水をなめている。
周りの人たちがタクシーに注意して動くようにアピールしている。そのうちタクシーがそろそろと動き出した。
タイヤのすぐ内側にいて辛くも轢かれなかった鳩は、まだ路上に垂れ落ちた排水を飲んでいる。道から追い出そうと近づくと逃げて、まだ戻ってきて水を飲む。
鳩が道路の中央近くにある水たまりの水を飲んでいるので、私は持っていたペットボトルの水を路肩の部分に撒いた。すると鳩は路肩に来て、その水をなめ始めた。とりあえず道路の真ん中で轢かれる危険は回避した。
鳩は人が近寄ると逃げ、また路肩に戻って水を飲む。いたち(ハト?)ごっこなので、そこであきらめた。Goodluck、と言うほかはない。後ろを振り返らずに横断歩道を渡り、目的地へ向かった。
都会ではいろいろなことがあるもんだ。
久々にORCA LIVEを見てみたら、サイトURLが変わっていたが、活動は継続していた。あるいは「再開」したのだろうか。
2000年からあるサイトで、カナダのバンクーバー沖にあるハンソン島近辺のオルカのライブ映像を流している。水中カメラがオルカをつかまえるチャンスはかなり低いのだが、水上カメラにはよく捉えられる。
なによりすごいのは、その声だ。なにかしら人を和ませる声なのに、力強い。そして跳ね返って来る水中エコー… 自分が別の世界に行ったような気になる。
最近のPC作業中のバックグラウンドは、このORCA LIVEか、それともStudio-Kuraの環境音だ。ここの「趣〜ししおどし」はなかなかいける。:)
以前にモレラートの時計ベルトのことを書いた。モノのデザインは悪くなかったのだが、意外に速くボロになった、という感じだ。
この事自体がもう2ヶ月以上は前のことと思うが、緑色の表面が剥げてきた。ここは沖縄なので多少は汗もかくが、そうひどいことをしてきたわけではない。朝身につけて、夕方外すというスタイル。
多少の驚きであった。
わたしの周りの人やこのwebの読者はご存知と思うが、わたしは「好みがうるさい」。それもかなりうるさい。しかも疑り深い。たいていのものは何でも一度は疑ってかかる。さらに9:1くらいで唯物的である。(それでも以前はその比が99:1くらいだったから、今ではだいぶ直感的なものを受容するようになってきていると思う。)
そういう感じなので、自宅でもテレビのコマーシャルの間は少なくとも音を消す。コマーシャルが流れて半年くらいしてからようやく音を聞くこともある。くだらな系のバラエティ番組は画面に出ることがない。なので家は基本的に静かだが、ときどきかなり偏向的なジャズやらクラシックやらが鳴る。そして家族にそれを押し付ける。
そういう環境でうちの子どもたちは音楽を聞いて来たのだが、小学4年くらいの時に長男が平井堅を持って来た。
最初は「まあなんか歌手だな」と思っていた。子どもはCDを買ってiPodで聴いていたりしていたが、私は彼らの方から聞こえてくるのを脇で聞いていただけだ。
それが数年経ってみるとりっぱに化けていた。彼は声量があるわけではないし、必ずしもメインストリームな歌い方でもないが、こうして時間が経って彼が作ってきた作品をみると、まずは音楽に対して真面目で真剣だということがわかる。この関西弁のにいちゃんはやることはちゃんとやってる。バラード系ががいいと思う。「瞳を閉じて」のメロディもいいし、「君は友だち」の音作りもいい。(あれはPVもとてもいい。彼の作品では坂本九のカバーの曲だけがなにか浮いてい感じ。)
結局のところ彼は本物だった。本物を子どもに先に見つけられた最初のケースだった。小4でこれを見つけた君のセンスは大したもんだ、と子どもを認めてやった。
南風原の「風庵」に行った。
おそば「中」。スープはとてもあっさりしているが、入っているお肉と食べていると最後には全部飲みたくなるようないい味のスープになる。
付け合わせの漬け物もとても上品な味。
どかんと大迫力の焼き物や、あまり見かけない泡盛などが並んでいる。「馬」の掛け軸。
パンプキンぜんざい。パンプキンのソースの味がとてもいい。
中から外を見る。
近くの南部商業の前のパン屋さん。名前は写真にある通り。ここのシナモンロールはとてもおいしいのです。
土曜日(7/10)に「Cultural Typhoon 2004」に行った。ここにwebページがある。
テーマはwebsiteにあるごとくで、私はそれらの中でも「ミュージアム化する生活文化/空間」と「メディア・ポリティックス」に興味があったが、時間の関係で前者だけに参加した。
最初の長尾洋子さんの発言は全体的なフレームワークの話も含んでいると言える内容だと思ったが、難しい用語がとても多くて困った。会場のみんなはわかっているのかしら。おそらくはわかっているのだろう。対象者が社会学などを学んでいる学生さんたち、と推測されるので。わからないのは私自身のせいである。
次のGerald Figalさんは現在沖縄で見られるハイビスカス(元々は仏事・法事の花)とヤシの木(そもそも沖縄的でない)は本来の沖縄の「元来の自然」におけるあり方とは違った捉えられ方で導入・解釈されており、観光客の視点によるものだ、という発言。
矢部拓也さんは、滋賀県長浜市の「黒壁」という第三セクターが、地元の商店街主とは違った視点から、大企業に吸収されない街の再開発を行ったことと、またその動きの中に地元の商店街主も対立構造的に参加して効果を上げていることを話した。
その後のパネルディスカッションには、時間の都合でいることができず。矢部さんの話には興味があって、その黒壁(など)のしてきたこと自身がテーマパーク的ではないのか、というあたりを時間があればもう少し詳しく聞きたかった。
まずは「電車男」を読まないといけないだろう。ネタばれになるといけないと思うので詳しくは書かないが、とある電車での出来事をきっかけに、秋葉型ヲタクタイプの持てない男性が、2ちゃんねるのスレッドメンバーのメッセージを元に自分を変え、恋に成功する話、と言える。
今年の3月末から5月にかけての出来事らしい。昨日までこのことは知らなかったのだが、すでにあちこちのblogや、メジャー系のマスコミなどまでが話題にしていたらしい。
見ていて感じるのは、まずはよくもこれだけのプライバシーを匿名だとはいえ表にさらすという感覚についてだ。ネットsavvyな世代特有のことなのだろうか、かなり異質な感じはする。
もう一つは、そういいつつも、結局はそれを読んでしまう自分を含めた読者の心理だ。それも結構感情移入的になっていて、結末にはそれなりに心が動く。ストーリーは、サマリーとして述べてしまえばおそらくは100文字程度で済んでしまうわけだが、事実(と思うことにしよう、捏造という可能性は限りなく低いが、ありえないわけではない)の流れに沿ってライブな表現で書かれていると、小説のような面白み、説得性がある。(もちろん話の要所要所に面白いエピソードが現われるからでもあるのだが。)
さらに私の驚きはスレッド本文に現われる「紹介できない友達」という一つの言葉に要約される。電車男は2ちゃんねるスレッドの無名・匿名の男女のアドバイスを受けながら恋を成就させるのだが、そのアドバイスをしてくれた「友達」は、一人の、紹介できる個人ではない。それはネットの中にいる匿名の不特定多数の人たちの集合した意識であり知識なのだ。それがリアルな力を持ち、しかもネットのフィルターの向こうにあるという意味では、実体がない。そのことが何かとても衝撃的な感じがする。
そのことの発見、ネットのあり方がそのように見えることは、結構な驚きだった。
こうしてblogのようなものを書きながら、思う。なぜこのようなことをしているのだろうか?、と。
これは私にとってはビジネスではない。amazonアソシエイトなので多少のメリットはあるのかもしれないが、大したものではないし、少なくともそれを求めて書いているわけではない。ではなぜ、自分の時間を使いつつこのようなことをしているか?
私の答えはこうだ。
このような作業をしている我々は語り部なのだ。オリジナルな、あるいはセカンダリな語り部。自分のダイレクトな経験についてであればそれはオリジナルであり、書評などであればセカンダリである。そのようにして言説を広める。
我々はこうして普段目にすることの少ない言説、より広くより多様な言説に関する情報へのポインタを示し、語り合い、状況把握について議論し、分析し、感情を共有し、それによって我々が下す判断を誤らないような思考の助けとしたいのだ。
少なくともそのことのために、まじめな語り部でありたいと思う。
ここ数日間、SNSであるmixiで、おそらくは貴重な体験をした、と思う。mixi内部で起きたことだが、ネット全体で起きていることなのだろうとは思う。
とある人と、ある種の議論になった。ここで議論の内容に触れる必要はないので書かないが、その事件の過程で「文字の向こうを読み取る」ということに関して、古いネットユーザーの考え方には当てはまらない世界がある、ということに気づかされた。
私を含め、ある程度古いネットユーザーで、かつ、全般的に技術系にいる人間にとっては、メール、およびその延長の掲示板(netnews)が、ネットを形成する概念の中核をなしていると思う。ここにある「ネチケットガイドライン」を見ると、そこには「1対1の通信」としてメールがあり、「1対多」の通信としてメーリングリストと古典的なネットニュース(日本においてはfjをイメージすればよいのだろう)があり、残りはftp、gopher、httpなど一緒くたに「情報提供サービス」とされている。1対1のメールはとりあえず措くとすれば、「みんなで」というパラダイムの中核は掲示板であった。
その掲示板は、古典的にはテキスト(文字)をベースにしていて、したがってその世界で一番注意しなくてはならないことは「文字では気持ちは伝わらないので、伝えるべきことはちゃんと書け」であった。それは「書かれていないことは意図されていない」ということでもあり、読む側としては「文字では気持ちは伝わらないので、言外の意図はあえて読み込まない」ことを学んだ。要するに書いてあることを書いてある通りに解釈する。「言外の意図はあえて読まない」という態度を身につけた。
が、すでに世間はそのようなガイドは必要としないようだ。テキストの向こうの投稿者の気持ちまでを推測することを前提とするコミュニケーションが存在する。それは我々があえてそうしないことで、間違いないコミュニケーションを、と努力していたものとは対極にある。先日の議論ではそのことを気づかされた。そういう対応のしかたはやってできないことではないが、そうしないように自己をトレーニングしていた身にとっては、しばしば「読み」をする配慮を忘れがちになる。
過去のネットにおいては、その手の「感覚的コミュニケーション」にノリだすと、どこからかぴしゃりと注意が飛んで来たものだが、そうでない世界もあるのだ、ということだ。(気がついたら自分が注意する側に回っていたりする。教えられたことは別の機会に教えることで成り立っていたのが過去のインターネットカルチャーであった。)
私にとっては新しい発見であり、以前にやっていたような、ある種の感覚的な「ノリ」の世界への逆戻りでもある。
どちら側にどれだけ足を突っ込んでいるか、これからはその塩梅が問題だ。:)
こういうソーシャルネットワーキングサービスがビジネスにもプライベートにもどういうインパクトがあるかがよくわからないので、しばらく仕事場からも自宅からもがしがしとアクセスしてみたが、ようやくmixiとのつきあい方が自分なりに決まって来た気がする。
二つのモードがあるようだ。
一つは日常的なコミュニケーションのモードである。こちらは見るべき相手が基本的に決まっている。それらは、自分が関心を持っている人たちについてである。そのためにマイmixiに登録されている人たちの新着日記リストをめぐり、自分がコメントをつけた日記リストをめぐる。従って、これらの作業のためには上記のリストの時系列配列から直接スレッドにたどり着ける機能があると非常にうれしい。
つぎに「お気に入り」のリストを見る。これもいつまでもみていると時間ばかりが経つので、私は見た時点で1時間以内にアクセスのあった人(「XX分以内」)だけのページをチェックする。誰かが書いていたが、「『お気に入り』は『普通人以上、マイmixi未満』」という状態で、なんらかのきっかけがあればマイmixiになっていただき、その時点で「お気に入り」からは外すという整理をする。こちらも基本的にアクセス時間の時系列を利用して擬似的にアクティビティを見ているので、時系列検索性があると非常に嬉しい。(未実装のようです。)
もう一つのモードは「探索」である。知らない人のページを見てあるく。
探索にはまず「足あと」を利用する。自分の知らない人が足あとにあれば、そこからページを見ていって、興味を惹かれれば日記にコメントしたり、お気に入りに追加したりする。他に探索に使うのはマイmixiの人たちのマイmixi、または同じコミュニティにいる人、あちこちの日記で興味深いコメントをつけている人などが対象か。探索らしくあまりルールなくいろいろとたぐっていく。
コミュニケーションモードは、一回30分〜1時間以内をめどにときどき行う。探索モードは余裕がある時に、あまり時間を決めずに自由にやる。
とういことで、私にとっての「マイmixi」は、私が関心があって、かつ登録について相手となんらかのネゴシエーションが成立した人、ということになる。
自分のマイMixiリストを見て「あ、この人どうしているかな」と思うことがある。古い友達の消息を慮るような感じ。
私のマイmixiに登録されている人にはいくつかのカテゴリがあるようだ:
・mixi的にほっておいても関係が壊れない人:旧友、リアルな付き合い、別アスペクトの付き合いが深い、など
・その人のことをもっと知りたい人:新しく知った人
・mixi的にどうでもいい人:上のカテゴリ2の「結果」のネガティブ・サイドのような人:マイmixiお願いする時にかなり考えているので、実際はほとんどいません。
実世界の人間関係と似ていると思う。
最近は自己メモであるはずのものが「mixi相手」的文章表現になっている。そのことがいいか悪いかはいまのところ不明。
また「コメントがつく」というメカニズムが重要なのだ、と改めて気づく。web記事を直接見てコメントをメールでくださる人よりmixi内部でのコメントがつきやすい感じ。メールリンクを見やすくしよう。
拘束・解放された最初の3人のうち、郡山さんと今井さんが記者会見を行った。その後に郡山さんが5/3朝にテレビに生出演していた。それをやんばるのロッジの朝食で見ていた。
以下はそれに関する感想だが、まとまってはいない。メモ的な状態である。それでもタイムリーに書くべきことなのだろうと思うので書いている:
まずはクールで冷静な二人のプレゼンテーションに、ほっとした。解放後のプレッシャーにつぶされてはいない感じ。耳を傾ける価値のある話が聞けそうだった。
拘束者によりカメラの前での演技を強要され、それに従ったことについて、「あなた達他の方法がとれますか?」と郡山氏はいう。その逆向きの問いかけは的確だと思う。「言われてみればそうだ」ということだ。
なお「いって、いって」という「言って」に聞こえる声が記録されていて、それが「やらせ」ではないかという話につながったようだが、郡山さんによれば「いって」とは現地方言(?)で「お前」という意味だとのこと。撮影者側から聞こえるというこの声は「お前が言え」「お前が言え」という拘束者側の発言者にかんするものなのか?
家族が「自衛隊撤退」を望んだことについて。それが「家族」という立場であれば、当たり前だろう、というのにも納得する。家族の情とはそういうもの。言われてみればこれも確かにそうだ。
ではその声に対して「撤退拒否」を宣言した政府の態度は?、国家戦略ととしてはおそらくは間違えていないのだろう。我々が問題にすべきは「そもそも自衛隊は行くべきだったのか」というフェーズについてだと思う。(とはいえ、米軍の非人道行為がつぎつぎに明らかになっている現在では、なんらかの理由を元に手を引いた方が賢明そうだ。)
外務省官僚の「自己責任」という最初の発言については、ビデオかなにかを見直さないとはっきりとはコメントしづらいが、「各自が自分の責任で行動する(とは、状況によっては、危急の際の死を事前に想定し、覚悟している、その際に政府の救助活動を特に求めない)」ということであれば、さほど間違ったことは言っていないと思われる。
しかし、だからといって(撤退はともかくとして)それは政府が救助活動をしなくてよい、ということでもない。国民であり、「金」という意味では税金を納めている者を国が助ける努力をするのは当たり前のことであって、これに税金を使うことはなんら問題ではないだろう。したがって「交通費を請求する」などという象徴的な行為は、政府のやることとしては馬鹿げているとしか言えない。「もっとくだらないことに税金使ってるじゃないか」というテレビキャスターの憤りには納得できる。
また、彼らが解放された最大の要因は、国の救助努力ではない。おそらくは現在、一番苦境に立たされている高遠さんの活動(ストリートチルドレンを助け、戦地ファルージャへも医薬品供給活動を行っていた)が拘束者に知られたことによるのだろう。その意味では彼女は、正しい意味の「自己責任」によって自らと仲間を助けたのだ。
誰もそのことに触れてはいないようだが、二人の記者会見の現場の映像の最後に、会見を終わって立ち上がった二人に対して拍手が聞こえている。これがまっとうな反応だと思う。
5/2,3と、知人の家族と山原(やんばる)のロッジへ泊りに行った。宜野座のインター出口で待ち合わせ。時間調整であたりをうろうろしていると、こういう車を見つけた。いったいどうやってこの場所にやって来たかも謎。
別動メンバーと合流し移動を開始、昼食は「いしぐふ」というレストラン。どこ?と言われてもうまく説明できないのだが、久志という部落あたりにある。人気の店で順番待ちがいっぱい。BMW+DUCATIの集団などが外に止まっていたりする。待ち時間は30分程度か? 外が広いのでフリスビーしたり鬼ごっこしたりと時間を紛らす。
その時間調整法の一つがレストランと道を挟んで反対側にある写真の建物である。ここは一口で言うと烏賊の干したものを売っている。写真の屋上でなにやら広がって見えるのが、干している最中の烏賊である。モーターで回転する「洗濯物干」みたいなものでぐるぐる回っていて、かなりユニークな眺めだ。これなら風が当たって乾くし、かつ蝿もつきようがない。この烏賊を焼いたりボイルしたり、スモークしてパックしたりして売っている。なかなかに美味。
ロッジに到着、散策していろいろ準備してから焼き肉している。コドモたちにはこの写真のように「普通のおいしいお肉」を与えておいて、大人が注目すべきはコンロの下の鉄板に載っているものだ。これはダッチオーブンで、すでに蒸らしフェーズに入っている。前の晩にローズマリーなどで下ごしらえしたラム肉と、刻んで来て当日下準備したセロリ・人参などのスタッフを一緒に火にかけて10分、下ろして蒸らし10分ででてきたものがこちら。クラウンラムローストである。(最近は携帯のデジカメ機能だけでどこまでいけるか試しているので、こういう時にもデジカメ(専用機)を持っていない。写真は全部携帯のやつなので、あまりきれいでない。特にこれは夕方で青っぽく写っていてさらにピンが甘い。)
写真はひどいが、実体はよく焼けてかつ中央部がわずかにピンク色で、いい感じである。味も非常に良く全員に大好評だった。大成功。レシピはkunkunによるものである。どうもありがとう>kunkun。
この日は焼き肉→ロースト→蒸した魚→イタリア風サラダと、フルコースが逆順ででてきた。会わせたワインも赤・白ともにおいしかった。最後はフェルミエで買ってすでに「だよだよ」になっている「シャウルス・フェルミエ」
ちなみにこの日は、施設に事前に聞いて「ガスコンロがあるか?」「ある」という話だったので、炭以外には何一つ着火剤を持っていかなかった。到着してみればあるのは電気コンロだけで、炭に火をつけるだけの火力(焔)がない。仕方なく、周りから枯れた小枝をかき集め、新聞紙→小枝→炭と火起こしをやった。久しぶりに古典的な「男のたしなみ・火起こし」をやって成功したので、料理のできばえも加えて非常にいい気分だっだ。
またこのロッジ、事前に問い合わせで「バーベキューできるところに灯りはありますか?」「ありますよ。ベランダにライトもあるし」という話だったので、写真のごとくベランダでバーベーキューした。翌朝片付ける段になって、テレビの上の説明書きに「ベランダでバーベキュー禁止」と書いてあった。「そんなこと言われたって、事前問い合わせがあれだったし、もう終わっちゃった…」ということで、きちんと後片付けして(そもそも汚したわけではないが)、そのまま帰りました。次回からは注意致します。
mixiしていると、ネットであるにもかかわらずmixi以外はRSS使ってニュース記事を読むだけのような状態になり、結局全般的にはずっとmixiの中にいることになる。orkutではそういう感じは薄くて、外と中を行ったり来たりしていたのだが。
何が違うかと言うと、やはり「日記」なのだろうか。日記とコメントの関係か? しかしそれは外においてもblogという形で提供されているもののはず。(私自身は使っていないが。)
要するに単なるインターネットよりは親密な関係がイメージされているところがちがうのか。chat的な「ライブ感」があるのかもしれない。
面白いもので、mixi日記をつうじてwebページへのコメントがつくと、なにやら「毎日書かなきゃ」と言ったプレッシャーが産まれてくるようだ。
以前に一時hnsも試してみたが、私個人の好みとして「日々由なしごとを書き連ねる」あるいは一口memoを載せるようなタイプの「日記」という形態は、webでの表現としては馴染めなかった。もちろんPCにはメモ書きに相当するテキストファイルが1998年の日付から溜まっているが、それもどちらかというとこういう文章そのものという形をしている。はじめからまとまった塊の文章を書いていて、web状のそれを管理するのにMovableTypeを使っている、という感じ。
こういう塊になる文章は、ある日展覧会などでどん、と印象を受けた時以外は、日々のメモやボイスメモなどを頭の中でこねくり回しているとでてくる(といってもいつも考えているのではなく、ちょうど竜巻にいろいろなものが巻き込まれているように無意識的にぐるぐるとまわっていて、あるとき突然それらのものがぱっ、とあるべきところに収まったような気がして、そのときに文章がするするっと産まれる)ので、結果が毎日生まれるわけでもなく、したがって毎日書かれることもない。
とはいえ、mixi日記のプレッシャーの影響で「いわゆる日記系由なしごと記事」がこれから増えるのかもしれないね。増えないかもしれないけど。やっぱ増えないか。
朝、運転中の車の中でふと考える:
アメリカという国は基本的に自国(ないしはたまたま自国に存在する最大経済受益者:いわゆる「金持ち」)の利益が最大になるよう、最大限の努力をする国である(前提)。そのフレームワークの中において、占領した日本にいわゆる「平和憲法」をなぜ制定したかを吟味する必要がある。それは彼らにとってどのような利益があったのか、ということを。
日本は敗戦したとはいえ、それまで英米と戦い、多くの犠牲者を出した。その国に再び軍事力を持たせたくない、という論理だろうか。
その上で、米軍自身が日本に駐留する権利を得、それによってすぐ近くの大陸にある社会主義諸国と対峙する拠点とする、という。
アメリカはその時点で、日本の将来の経済的発展を見通すことができただろうか。できていなければ、その占領状態でそのままに、あたかもグアムのごとく?、「島にある前線基地」として日本を見なし、取り扱おうとしていたのか。
それとも日本の文明開化からそれまでの発展のスピードに鑑み、敗戦後もかなり速い速度で復興し、経済的な重みを持つ国となることを理解していたのか。その際に主権独立・それに連なる軍事力保持ということについてはどういう目算を立てていたのか。
また、日本が侵略されない理由はなんであるか。
一つは米国の傘の中にある、ということだが、では米国が日本を侵略しない理由は何か、ということも含めて。
日本には目立った資源がない。石油も出なければ目立った鉱物資源があるわけでもない。日本は貿易によって立国している。他国から資源が入らなければ加工貿易が成り立たない。いわば仮想的な貿易依存の加工生産エンジンであって、それを停止するには貿易を遮断すればよい。アメリカにとってはそのような形でコントロール可能であり、介入するにあたって軍事力は不要、ということであろうか。
それ以外の国にとってはまさしく「米国の傘」があるから侵略不能。
さすれば全体的な話として、日本はアメリカの属国、必要に応じてアメリカに使われる「パシリ」ということになる。イラク戦争における日本の立場はまさしくそれだ。
それを受け入れている国民とそうでない国民がいる。受け入れていない人たちの一部は「平和憲法」の出自はともかく「日本は軍隊を持たない」という人々。そういいたい気持ちはわかるが、それは世界の枠組みの中で当を得ているのか?
我ら日本の、世界の枠組みの中における「誇り」とは何か?
存在理由は何か?
仮に日本が「アメリカと対決する国」になった時、アメリカはそれを許すのか? 許さなければ何が起きるのか? 日本は「戦地」としてクウェートやイラクのごとくアメリカに蹂躙され、占領地となるのか? その時に韓国・台湾・フィリピンはどんな役割を果たすのか?
沖縄というさらに小さなモジュール(かつ日本の大半の米軍基地を持つ)においてそのような独立の動きがあった時はどうなるのか?
車の中とは、このような思考の断片が浮かぶ場所である。今はこれを携帯の録音機能にメモし、あとからこうやって展開している。こういう思考の断片を大事にできる環境が欲しい。
しばらくmixiをがしがしと使ってみた。パーソナルにもビジネスにもどういう風に使われそうなものかを知りたかったので。
使い方によってはコミュニケーションをよりリアルな方へシフトできるツールなのかもしれない。
登録制であることがどこまで効果を持つのか。
実名であること(ニックネームがあること)が何の意味を持つのか。
ネットのBBSとどうちがうのか。
fjとどう違うのか。
といったあたりを興味深く見ている。読んで面白い日記を書く人は「お気に入り」に登録し、ときどき見ている(「時々」も登録が多いと結構大変で、最近は本人のアクセスから1時間以内のだけを見ている。)
機能はどんどん充実しているが、様々な機能の時系列の検索性がさらに上がるとよいな、と思って関連コミュニティに記事を投稿している。
さてどうなっていくものやら。
テレビ番組「NHKスペシャル:イラク復興 国連の苦闘」が再放送されているのをつい先ほど観たが、イラク紛争への国連の関与のあり方の時期による違い・経緯をわかりやすく示していた。我々は単にイラクが攻撃され、米軍が占領支配し、治安が悪化し、国連事務所が爆破され、民間人が人質にされたとしか知らない。その正確な枠組みはどうなっているのかを知るよい機会であった。
現事務総長アナン氏は、国連が超大国の支持なしには有効な活動組織として成り立たないと考え、長年国連の親米主義を貫いてきた。しかしイラクの暫定統治では国連は何ら権限を与えられず、米軍手動の暫定統治政府の指令なしには行動できなかった。これは国連始まって以来のことだとのこと。そのようなブレマー氏による占領軍統治機構支配下での国連事務所爆破とデメロ氏(長年にわたり紛争国での選挙支援などに関わっていた)の爆死。それによるアナン事務総長の方向転換と戦略的動き。外相会議などで率直に話し、状況を動かした。「Bad resolutions kill people」として、始めてアメリカの方針に強く異を唱えた。その後の治安の悪化とアメリカの方向転換。
これらの流れがわかりやすくまとめられた番組だった。再放送だったそうだが、再々放送があれば観るに値する。
TBSの「ニュース23」が、イラクで拘束・解放され20日に帰国してきたフリージャーナリスト安田純平氏に、当日夜にライブで直接インタビューしていた。さすがニュース23と思わせる瞬間だった。
この安田さんという人はジャーナリストにしては驚くほど朴訥としている。すこし朴訥過ぎか?、と思われるくらいだった。彼自身のキャラクターなのか、自分の置かれた立場がどの程度影響しているのかはわからないが。「俺は撮るのが仕事なんだよ」と帰国の間に話していた先の3人のうちのカメラマンとはかなり異なった印象を受けた。(それがなぜなのかはわからないが。)
番組では先の3人の拉致事件に対する日本国の対応と国民感情に関して世界の日本の温度差をくっきりと示していた。世界のメッセージは、危険であっても人道援助に行く国民を誇りに思うべきだと述べていた。他方国内のインタビューなどでは「迷惑だ」という意見が紹介されていた。
インタビューに同席していたジャーナリスト(誰だか今私にはわからない)は「『行くな』はあり得ない。知らせる必要があるから行くのであって、それができないのはジャーナリストをやめろということだ」と話していた。また行けない状態になると、「攻める側」として認知されている日本はさらに窮屈な立場になるだろうことも話していた。
思うのは、後の2人と先の3人との、帰ってきた時のあり方の違いは何か?、ということだ。あとの2人のほうがずっと落ち着いている。何の違いがそうさせているのかには、関心がある。
「自己責任」と表裏一体の「本人の勝手」という言葉もあるが、それらの言葉をも含みながら拉致された彼らの行動を端から評価する場合、少なくとも「彼らはなぜそうしているのか」という考察がなくてはならないだろうと思う。それを慮ることなく先の二つの言葉で語ること、またそれを受け入れることは思考停止の表れと言われても仕方あるまい。
→その後mixiで教えてもらった、安田純平氏のことについて書かれたページ
イラク反体制武装グループに拘束されていた3人が解放された。本当のところは彼らしか知らないわけだが、(日本国内ではほとんど放送されなかったが)イギリスのメディアなどでは、彼ら3人が目隠しをされたまま喉にナイフを押し付けられて悲鳴(かうめき声)をあげている動画像も放映されている。彼らが死の恐怖にさらされたことは間違いないだろう。→あとになってこのシーンは「強制された演技」ということになっている。
その中の女性(高遠菜穂子さん)が解放された時の映像で泣いていた。私は最初にその音なしの映像だけを見た時、「つらい体験だったので泣いているのだろうな」と思っていた。
ところが、後になって最初の映像に音がついてみると、彼女が泣き始めたのはインタビューを受けて「(イラク支援活動を)続けます。イラクの人たちを嫌いになれない。」と言った時だったのだ。彼女は涙に暮れた時、恐怖を思い出していたのではなく、イラク人によって彼女にもたらされた災難と、自分のイラクの人たちへの想いの間で揺れていたのだ。そのことにとても驚いた。
また、彼らの事件が世界的に騒がれていることを彼らが驚いていた、とのこと。彼らは自分たちの身に起こったことを、国際政治的な枠組みでは捉えず、個人的な出来事と考えていたのだろうか。周囲がどう思うかは別として、それも一つの見識であろう。官房長官から「迷惑だ」といわれようがどうしようが、自分のしたいこと(でそれが法的に権利として保証されているならば)自分で決める、ということだ。「俺は撮るのが仕事なんだ」と答えていたカメラマンにもそれを感じた。
先日、所用で石川にあるロイヤルガーデンリゾートオキナワに行った。断水もちかぢか始まるというこの日は朝から曇り空で、夕方のこの時間は小雨がぱらついていた。石川から仲泊へ向かうルートから左折して施設方面に向かうと、小高い丘になったそこだけが雲に巻かれたようになっている。車で進んでいくとそのまま霧になり、施設についた。所用までしばらく時間があったのでもう薄暗い外をしばらく散策したのだが…
そのしんとした風情がなんと嬉しかったことか。たまに出入りする車と風の音以外は静寂の世界。しばらくは東シナ海へと続く海岸線が眼下に見えていたが、そのうちに雲か霧に包まれてしまい、周囲100メートルくらいの視界を除いて何も見えなくなってしまった。薄暮の中の霧とサーチライトのような灯り以外は余計なものの見えない「間」のある風景。水墨画のもつ魅力と似たものを感じる。
登山してキャンプしていた昔を思い出した。
それにしても、自分がなんと孤独を嬉しがっているのか、それにも驚いた。自宅の環境などは、割合にプライベートな環境が保たれているはずなのに、である。今の人たちはみんなでいないと不安な人が多いと聞くが、こちらは逆に一人でいられることを有難がっている。こういう孤独は本当にいいものだ。
そんなことを考えつつ外にいたら、霧雨でいつの間にか濡れそぼっていた。
いかりや長介氏が亡くなられた。マスコミは彼を褒め讃えている。
まず第一に私はいかりや氏を貶めるつもりはない。死者であってもなくても。彼の役者としての存在感はたしかに素晴らしいものであったと思う。私が彼を評価するのはまさにそこのところで、彼にしかできない役柄を確かに自分のものとしていた。
が、だからといってあの「8時だよ、全員集合!」をもいっしょくたに褒めるのはなにか?、と思ってしまう。当時テレビの低俗化の最大のやり玉に上がっていたのはあの番組ではなかったか。
当時では珍しい、客席からは子供の声しかしないようなステージで、(いまさらそんなことはいえなくらい穏便なものだが)エロチックで(こちらは今の評価でも変わらず)下品な所作が繰り返される。たしか石油缶であたまをばこんばこんと殴るようなシーンも、この番組で目立って出てきたような記憶がある。当時自分が小学生だったか中学生だったか忘れたが、あまりの下品さにほとんど見ることはなかった。唾棄すべきものとさえ思っていた。
その中にあっても、ギャグを成功させるためにいかりや氏が大変な努力をしたことはわかるが、だからといってその笑いのクォリティの低さを忘れることはできない。テレビの「低俗化」の最先端で「くだらない笑い」の先鞭を付けた番組であることを当時騒ぎ立てたマスコミが、今はそれも一緒にいかりや氏のアイコンの一部として祭り上げていることに疑問を感じる。
いかりや氏が、ギャグから生まれた人であり、後期は素晴らしい役者になられたことは記憶すべきことの一つだ。しかしそのギャグが(「テレビ番組」であって「彼のもの」ではないにしても、あるいはむしろ彼自身のものではなかったから?)低俗で下品で、見るに値しないものであったことも忘れることはできない。
昨年末からの顛末を記録しておく。
昨年10月頃であったと思うが、運転中にシフトギアの前後の「遊び」が、ほんのわずかに大きくなったように感じた。これまで5mmくらいだったのが8mmくらいになったような感じだ。シフトリンケージのどこかがおかしくなってきているのだろうか。ある日シフトノブ下がバラバラになったというエランの話が記憶から浮かび上がってくる。メカニックに見てもらうまではしばらく乗らないでおこうと決めた。そのまま多忙な日々が続き、以後一ヶ月以上エリーゼはガレージで眠ることになった。11月のある日、日を待たずしてオイル交換などに持って行くつもりで、再びエリーゼを動かした。連れ合いの車と2台でゆるゆると高速道路を北上していたら、中城付近で突然トルクが失われ始めた。シフトダウンして行くが動力がない感じ。エンジンはストールし始め、ついに停止。そのまま惰力でゆっくりと広い路肩に止まった。連れ合いの車も停車。エリーゼはエンジンをかけ直すとかかるが、すぐにストールし、その後はかからなくなった。沈黙。
JAFを呼び、待つ間にメカニックに電話した。燃料ポンプかもしれない、持ってきてほしいとのこと。QEDの鈴木さんにも連絡を入れ、状況を説明する。こちらも燃料ポンプは可能性ありとの考え。連れ合いの車の中でJAFを待つ。横の走行車線を車が通り過ぎるたびに車体が揺れる。一時間ほどでやってきたトランスポーターにエリーゼを載せ、いったん沖縄南で出てUターンし、高速を通って西原からM自動車工場に持ち込んだ。手押しでバックヤードの整備場に運び込まれる。再び状況を説明し、とりあえずヒューズや見えるところを確認する。私はいったん帰宅。整備マニュアルとパーツリストを持って工場を再訪、メカニックに渡した。燃料ポンプの確認が必要なので下回りをあけなくてはいけないとのこと。やれやれ。
数日して連絡が入り、やはり燃料ポンプがだめだとのこと。工場を訪れ、見せてもらう。エリーゼは持ち上げられ、はらわたをあたりにぶちまけていた。燃料ポンプは外見はどうということはないが、動かない。
フィルターにかなりの量の金属粉がたまっている。どこから入ったのか?取り付け時?もう一つ考えられるのは給油口近辺の錆。ここは黒いフランジのようなものがかなりさびている。これが給油のたびごとに中に侵入した?
いずれにせよポンプは交換。QED経由で発注となる。しばらくしてパーツが届き、組み付けとなった。しかし組み付け後もエンジンはストールする。なにやらイモビライザが干渉しているらしい。これを対策した。これで終わりと思っていたらまた工場から連絡があった。「ラジエターファンが回らない。固着しているようだ。」これでフロントクラムシェルを外すことになった。やれやれ。
工場に行く。フロントは外され、エリーゼは髑髏状態。外されたファンはがりがりと錆び付いて全く回らない。イタリア製。やれやれきっとフェラーリもこんなもんなんだろう。協議して国産で適合するパーツを探すことにした。17000円くらいで手に入った。組み付け。
さてこれでOKだろうと思っていたら、ラジエターからのゴムパイプに亀裂が見つかった。やれやれやれやれ。再度QEDさんに連絡してパーツを発注する。
この間、エリーゼ以外にもいろいろなものが壊れた。まずはパソコンが壊れ、これを機にマックに買い替えた。次は私が壊れた。手を骨折。ギプスを巻いた。やれやれ。
そんなこんなで時間が過ぎ、ラジエターパイプを新品に交換し、先日ようやく直った。取り外したラジエターパイプは、エンジンへのリターンパイプの取り付け部にクーラントがこびりついていて、以前から少しづつ漏れていたようだった。
結局のところ、最初におかしかったシフトノブの遊びは何だったのかと言うと、シフトノブからミッションに至るワイヤーリンケージの終端部分のゴムブッシュの「切れ」であった。ここはスナップオンの構造になっており、中空のゴムブッシュがあるのだが、それが切れて遊びが増えていたのだ。こちらは交換だとワイヤーアッシーの全交換になるので、適当なプラスチックパーツをワッシャーとしてはめて使っている。材質がより硬いため、以前よりも遊びが減った感じになっている。
走っている車は走らせておけ、という教訓か。やれやれ。
久しぶりにエリーゼについてログを残して、思うのは、結局のところ我々は車というものについて、問題が起きない限りあまり記録を残さないということだ。車は走っている間は大して書くべきことがない。ドライビングプレジャーといい、それは確かに存在し(エリーゼにおいてはまさしくそうだ)、楽しいのだが、それは感じるものであって、商業誌のドライビングレポートでもない限り、いちいち書き留めるものではない。所持している車がエリーゼだろうとポルシェだろうと「そこにあるものは、ある」のだ。そこにあって自分が日常走らせているものについて、それが事実いかに素晴らしいものであっても、あまりそれを書き留めはしないのだ。
なので何かを書くとしたらそれは車の「周辺」のことになるか、あるいは車の「トラブル」のことになる。だからログはトラブルレポートになりやすい。車の素晴らしさは、乗っている自分は知っているが、なかなか伝えることができない。
だが、乗っている私は知っている。この車は素晴らしい。運転している間は。
とはいえ、トラブルの多い車は悩みでもある。ロータスの知り合いはたくさんできたが、彼らは、だいたいにおいて、多少のトラブルに悩まされている。それを笑い話として皆で共有しているし、それも楽しいことではある。(もちろん情報交換としての重要性もある。)
がしかし、私は確かにエリーゼを走らせている時に、素晴らしいドライビングプレジャーと共に、常に、多少のドライビングアングザエティも感じている。この車は家に帰るまでちゃんと走り続けるのだろうか?、と。不安は不信につながり、モノとの蜜月関係を危うくする。
その懸念だけは、整備とともに最小限になってほしいものだと日々感じている。
マシンの交換とともにHDの中身を整理しているが、まるで部屋を片付けていて古い本を見つけて読みふけってしまうように、中にあるいろいろな古いドキュメントをを見直している。
面白いchatのログを見つけた。1997年8月4日のものだが、知人ら3人と私でしゃべっている。「もののけ姫」から始まり、人のメンタリティの話とか、芸術性の話とか、なかなかにディープで面白い2時間ちかくにわたるログである。もともとの「もののけ姫」のテーマからエヴァンゲリオン、庵野監督の作風などに展開しているところがあり、その頃自分がwebに書いたログを見直してみると、それは今自分が感じていることとは違うことにも気がついた。
あの頃庵野監督が「ここにいてもいいんだ、っていったらあまりに多くの人が振り向いたので驚き、日本が病んでいると感じた」と述べていることに私は異を唱えているが、今は何やらそういう実感が自分にもある。彼の当時の感覚はようやく今の自分に届いた、ということか。都会とこちらでは実感までのフェーズが違っている、ということなのか。
しかしまあ、まことに思い入れたっぷりであるな。エヴァンゲリオンに。当時は。:)
NHKが年末に「映像の世紀」を集中再放送していたのを録画してあり、DVDに焼直しながら見ていた。
今日見た第5集は、第二次大戦の後半部分であり、ドイツ軍のパリ入場、独ソ戦、パールハーバーから太平洋戦争、アメリカにおける日系人の収容、アウシュビッツとホロコースト、Dデーからパリ解放、ベルリン陥落、日本本土空襲から沖縄戦、原爆投下までの部分であった。第二次世界大戦を通しての犠牲者は推計6000万人、うち4000万人が非戦闘員であったとの解説があった。
枢軸国も連合軍も、どちらも際限ない無差別爆撃と殺戮を繰り返している。どの時代においても殲滅・絶滅戦というのはあるわけだが、破壊テクノロジーの進歩と戦争規模の拡大が、これまでとは質的に異なる性格の戦争を生み出したことがわかる。
これを見ながら、あらためて911を考える時、それにどんな新しい意味があるのだろうと考える。何が新しいのか? どなたか意見をください。
「映像の世紀」は、見るに値する。
プレコン沖縄の事前審査に審査員として参加した。
まずは今時の今の学生のプレゼン能力についていくつかの印象をもつことができ、非常に面白いできごとであった。
参加者のカテゴリに分けて見て行くと;
「本選」は12月28日に行われ、こちらは内容が沖縄タイムスに掲載されている。
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2003年 12月 2日 火曜日 02:50:59 JST
最近は「時計」というものをほとんど身につける必要がない。PCの画面や携帯についているからだ。しかし先日海外旅行をするときに、やや必要性を感じだ。それは外国での時間の決まったプレゼンテーションのときだ。このときPCの画面はプレゼンに占有されるので時計がない。携帯は…画面一杯にアナログ時計が出れば使えるかもしれないが、プレゼンのステージでは使いにくいし、第一そういうタイプは持っていない。結局このときは時計なしで凌いだ。その後国内の時間がタイトなプレゼンでは、近くの人からアナログ時計を借りた。ああいうときはアナログの方がずっと見通しがいい。
大体この前時計を買ったのも10年以上前の成田の発着ゲートの土産物店だった。カナダ向けの飛行機に乗る直前にはっと気づいたら時計をしていなかった、というパターンだ。その時に買ったのは「Person's」の時計で、文字盤の各時間の代わりに「国旗」が並んでいるやつだ。別に国旗の種類と時差とは関係なく、単にデザインの観点で選ばれているようだ。まずは「四角い」国旗でないとだめらしく、「日の丸」はない。
で、今回も帰国してから「おれって時計どうなってる?」などと考えた。そのPerson'sの時計も探し出すと電池が切れて動かず、クロームメッキのような表面はくすんで黒ずみ、革のベルトもヒビてだめになっている。むむむ。でもなんかけっこうかっこいいじゃないか。なんとか使えるようにしたい。
まずは近くの時計店で電池を入れ換えてもらった。ちゃんと動く。しかし「ひょっとしたらすぐ止まるかも知れない」とのこと。「内部にサビは見えなかったが、文字盤の塗料が少し浮いているし、そういう場合はオイルなどあちこちに問題がある場合もある」とのこと。まあ仕方ない。動いているものは動かし続けておくことが大事と実感した。
といいつつ、1週間ほど動いているが、別に止まる気配がない。これならOKかも?、ということで、今度はベルトをなんとかすることにした。
元々この時計にはダークグリーンの革のベルトがついていた。時計店をいくつか回り似た様なのを探したのだがなかなか見つからない。いまどき地方の時計店にはベルトのバリエーションがあまりないようだ。そもそも時計自体、チープなやつなら3000円も出せば手に入る時代なので、こういうところに金をかけつつ古いものを生かす私のようなタイプが少ないのかも知れない。
また上京するので東京で買うか。でもどこで?、などと思いながら、なんとはなしにgoogleに「時計ベルト」と入力する。するとでるわでるわ、いまどきはこういうものも通販できるのだった。値段は私の気になるところではまあ3000円から上くらい、送料が800円くらいで、5000円以上なら送料無料、といった感じ。イタリアのモレラート社のベルトを扱っているところがあったので、それを発注した。3500円+消費税+送料で4500円くらい。
ふと見ると私の持っている時計にはだいたい共通の特徴があるようだ。まずはデザインがシンプルである。あまりごてごてしていない。シンプルついでに文字盤に文字がないようなものがけっこうある。あるいは文字の代わりに旗、とか。ようするにちょっとみると何時だかよくわからないような時計や、そもそも「それ時計?」といった感じのものなど。中にはアップルコンピュータのキャンペーン製品もあるようだ。これは非売品だったかもしれない。これも生き返らせなくては…
2003年 12月 7日 日曜日 07:51:11 JST
出張から帰るとモレラートの時計ベルトが届いていた。開けると3冊のパンフレットと一緒に注文した緑色の革のベルトが入っていた。この代理店に注文すると、初回はベルト交換のためのツールが付属してくる。それを使ってベルトを外し(シャフトを外すコツがわからず、結局古いベルトはカッターで切った)、シャフトの動作を確認した後で、またツールを使って新しいベルトに交換した。写真の如く、美しく、満足できるものである。
結局こういうものは、すでに探すべき場所を探さないと、そこらへんでは見つからない時代になっているのだ、と実感した。時計屋さんで売っているベルトが1000〜10000円くらいなのだから、価格もリーズナブルであろう。
11/9〜11の間、台湾にいた。
こちらは仕事がらみであった。「Taiwan Medical Week 2003」で、経産省の仕事「電子カルテMAJUN」について特別講演してくれとの依頼が来た。コンセプトがユニークなのでスライドプレゼンだけではリアリティがなかろう、と、デモ環境を持ち込み、2時間使って英語でプレゼンとデモンストレーションをやることになった。先立つ3週間くらいはプレゼンリソースを英語にするのやら、パスポートを更新するのやらで慌ただしく過ぎて行った。
11/9日早朝に那覇空港国際線ロビーで同行のT先生と待ち合わせ。PC一台と機材、着替えなどでリュックと小さなトランク一つ。トランクはどこにも鍵がかからないことが空港で分かったが後の祭りだ。そのままチェックインする。台湾までは75分の旅程である。すぐに着いてしまう。ゲートを抜けて、体温チェック機の前を通り、パスポートコントロールを通り通貨両替をしてロビーへ出る。先方のスタッフが待っていてくれて、車で台北へ向かった。
ホテルはグランド・ハイアット・タイペイ。台北市のやや東に位置し、最近開発が進んだ繁華街とのこと。みちみちグランドホテルやその他が見える。台北の高速道路は広く、イメージとしてはアウトバーンのような感じだった。周りの緑もそれを思わせる。日本とは違った緑のよい景色。
ホテルにつくと、チェックインが1500とかで時間が余った。仕方がないのでホテル内のレストランに行って昼食を食べる。バイキング形式だが、どれもおいしい。食べすぎないように注意しながら…
東京からのスタッフも含めて1500にチェックイン、さっそくプレゼンのリハーサルにかかる。PCを3台並べてネットワーク環境を作り、持ち込んだ液晶プロジェクタでデモとプレゼンの準備。英語のスライドをみながら、最終的なチェックに入る。
夕食は特別講演講師と学会ホストだけでディナーセレモニーだった。スイスのRolf Streuli先生とUCSFのPeter Goldman先生。どちらもご家族を連れてきておられる。ホスト側もパートナー連れでいらっしゃる。フルーツジュース、ワインで乾杯、中華料理、紹興酒と台湾料理のフルコースであった。歓談し写真を撮り、2200頃におひらきとなった。部屋に戻ってさらにプレゼンの準備。翌午前もさらに準備することにする。
11/10プレゼン当日。朝食をハイアットのレストランで取る。食事はどれもおいしい。またフルーツがおいしい。特によかったのはドラゴンフルーツとスターフルーツ。こちらも食べすぎないようにしながら、中華と洋風料理をフルにカバー。食後はまたプレゼンの最後の準備である。読み上げ用の英語テキストを準備していたが、文字が小さすぎるて読みにくいことがわかり、ホテルのビジネスセンターでフォントを大きくしたものを再度プリントアウトする。あらゆる情報設備が準備されている、なかなかよいホテルだ。
プレゼンおよびデモは1300から1500まで2時間、英語でたっぷりと喋ることになった。会場は盛況で200人席に150人程が入り、終わるまでその数は減らなかった。質問も多数あり、なかなかに面白いミーティングとなった。
終了後は現地の病院を見学に行った。最初は栄民病院で、戦時を戦った旧軍人さんやその家族を診る国立病院とのこと。外来が一日一万人。うちの病院の約10倍。エントランスホールがまるで新宿の駅のような規模であった。その後に台湾大学病院へ。こちらも大きい。研修医が何人いるかわからないくらい多いとのこと。救急脇にはSARSへの準備として、発熱者専用の施設ができていた。昨年の混乱に迅速に対応し、今年はばっちりやってやる、という気概を感じた。
市街地に緑が多く、美しい。走っている車は日本車も多いが、5台に1台くらいはメルセデスかBMWという感じである。台湾はライフスタイルとして小規模でも自分の会社を持つ人が多いらしく、結果として結構たくさんいる「社長さん」がそういう車を持つことが多いらしい。
病院の見学を終わり現地対応スタッフと一緒に食事へ。四川料理を食べた。ホテルへの帰り際に台湾で一番古い御茶屋さんのひとつに行ってウーロン茶を買った。沖縄を出るときに台湾出身の飲茶の店の人に聞いておいた御茶屋さんだ。店に入ると薄暗い中にステンレスらしいドラムかん程の缶がずらりとならんでいて、揃いの山吹色のTシャツを着た腕っ節の強そうな兄さんが二人、それとご亭主らしい人が居られた。現地スタッフの案内でいろいろ見て、高原茶の結構よいやつを買った。ちりとりくらいの大きさの柄杓でがばっ、とすくって袋に入れて600g、これで2400元。3.5倍にして8400円。100グラム当たり1400円。まあそれなりに高いかもしれないが、ちょっと高級な紅茶位の値段だ。帰ってから淹れてみたら味は非常によい。当たりのお茶だった。手放せない感じで、もう次の入手を心配している。
翌朝はホテルで食事して、故宮博物院へ行った。
美しい翡翠細工と陶磁器を観賞した。子供に墨跡によるすらりとした美しい馬の絵のTシャツを買い(いや自分用のつもりが、午年生まれの子供に接収された ^^;)、博物院を後にした。昼食は台北空港の近くの地元の人のための海鮮料理屋さん。水槽にじゃぶじゃぶと泳いでいるものを指さすと、10分ちょっとくらいでそれが料理になってでてくる。どれも素晴らしく美味であった。
空港で東京に戻るメンバーを見送ったあと、時間調整のために航空博物館へ行った。空港のすぐそばにある。中は子供でいっぱいで、古い飛行機の模型などがたくさんディスプレイしてあった。プラモデルを作っていたころが懐かしく思い出される。ダグラスDC-3の実機が外にあった。以外にでかい機体。
時間調整の後、空港から沖縄便に乗った。帰りは60分。我々と同じ様に特別講演に来ていたスイスのStreuli先生は14時間、アメリカのGoldman先生は17時間かかってたどりついたそうな。こればかりは近いのが楽である。
台湾は、とてもよいところだった。食事がおいしく、人が優しい。何度でも行ってみたい場所になった。