「南風」とその周辺

2002年上半期の間、琉球新報コラム「南風」を書かせていただきました。記事へのリンクと、そちらには書き切れなかったことなどをここに載せています。
「真冬の屋外で琉球音楽」:2002年1月15日(火)夕刊
初回の原稿。まずは何を書くべきか、どういうスタイルで書くかが決まっていないので、過去の執筆者の記事などを参考にさせていただいた。結論は「何の分野を書いてもよさそうだ」ということ。つらつらと原稿書き溜めモードにはいって日々メモして行く。メモは基本的にはボイスレコーダーに行い、あとでテキストにする。Palmを使うこともあるかも。この頃テスト用の散文を一つ編集者に送った。ひょっとしたら後に日の目を見るかもしれない。:)
本稿では2001年12月29日に行われたライブのことを書いた。「まるまるムーンライブ」だったと思うのだが、字数が多いので「年末ライブ」とした。また川満氏の現在の所属など、事実関係について新報の担当者に数点確認を依頼した。当日は14.7夜くらいで、もう少しで十五夜だったとのこと。7つか8つのチームが演奏したが、ポジティブな印象が残ったものだけを記事にした。全部書くには字数が足りないし、意味があるとも思えない。
ライブ演奏とは、その日その場で出会った演奏者と聴衆がその場で作り上げるパフォーマンスアートだと思っている。
…と言って書き進んで行こうとして、あ、これは新聞記事のつけ合わせなんだ、とはっと気がつく。書き方も普通にwebページを書いているのとは感覚がちがう。さてどうやって折り合いをつけて行くか..
なんといっても書いてみたら500バイトも多いのを削るのがもう大変..
「夜の神話」:2002年1月29日(火)夕刊
この記事は内容が明確なコンセプトを持っているからか、骨格は簡単に書き上がった。事実関係の確認のために再度原著に目を通し、字数を調整した。本稿中に「七福神」と書いたが、実際は八百万の神(やおよろずのかみ)が出演している。しかし情景に七福神が使われており、文章のリズムもこの方が合いそうな気がしたので七福神を採った。
作者のたつみや章は自然と人間の関わりあいや、そこに介在する霊的・心的なものに興味があるようで、大体の作品にその枠組が使われている。読んだものはどれも面白いが、「夜の神話」に一番のインパクトを感じる。一つには心霊的でスーパーナチュラルなものが原発というハイテク(ローテクか??)との対比の中で役割を得ていること、もう一つはまるでハリー・ポッターがそうであるようにビジュアルなイメージが深い表現につながっていることである。新聞稿には書かなかった「スイッチョさん」という登場人物がいる。彼に起きたできごととその表現は、美しく、哀しく読者の心をつかむ。
文章というやつは考えれば考えるほどいつまでもあちこち直したくなったりして、作家の推敲の作業というのは生みの苦しみなんだろうなあ、とわかるような気がする。どこかで自分の感覚を信じて、すっぱりとやめないと。
電子カルテ「MAJUN」:2002年2月12日(火)夕刊
自分たちの仕事のことを書いた。自らのことを書くと当然ながら客観性が薄れてくる。ものごとを突き放して見つめて表現する手法から「アピールする」やり方に変わるわけで、一所懸命になりすぎると、ひとりよがりでわかりにくく、かえって説得力のない文章になりがちだと思う。そうなってなければよいのだが。それにしても短くまとめるには言いたいことが多すぎる。詳細は職場のホームページの下にあるのでご参照ください。
現在行っているのは実験事業で実運用に至っていないが、実診療記録をコンピュータが解析し診療ガイドラインと比較するという開発のコアロジック部分はかなりよいものができたと考えている。実際、世界初かもしれない。今後はこれを拡張展開し実運用に持って行きたいと思っている。
このページを作るために病院関係のフリー素材を探したのだが、意外に少ないのであった。バナーリンクされている「Hospital Cafe」はそのなかではクリーンで綺麗なものの一つである。
「理屈大王」:2002年2月26日(火)夕刊
子どもの関心とこちらの意欲・知識・興味の範囲が合えば、親子で面白い関係性が作りだせる一例。時々は考えさせたり、計算させたり、質問したりして興味を尽きさせないようにしながら話を持って行く。実例を見せるのも、たとえば地球の光の当たり方などはボール1個かげんこつと蛍光灯の明りがあればできるのだから、そう難しいことではない。おもちゃ箱には結構いろいろとつかえる素材があったりする。またおもちゃ箱の中身は子ども達には身近なものなので、解説に使うとテーマにより親近感が増す。
もちろんそのときに「わかった」からといって子どもがこの中身をその後も全部覚えているわけではない。がしかし、親子で思考実験のようにしてはるばると宇宙の果てまでいきついた、原子核の中を覗いた、という体験が何らかのかたちで残っているのだと思う。
うまくいくとなかなか楽しい時間が生まれるのだが、それにはまず自分が理屈大王でないといかんので、そこで親の実力が要求される。先日は「地中海」から「medi - terra -nian」という英単語の語源の話がもちあがり、えんえんと英語の語源と英単語の勉強になった。一家で車の中でである。そのあたりで「どうだ、かかってこい」という顔をしていると、実は野菜の花の色を全然知らないところをつつかれてからかわれたりする。^^;;
原稿に2カ所の興味深い校正が入った:
  1. (光が地球を一秒で七回半回る)に「1秒」が付け加えられた。唄の文句「地球が回る、七回半回る」があれば、この単位表現はいらないと思うのだが、これが新聞的「正確さ」というものか? あるいはもうこんな唄誰も知らない?? ^^;
  2. 「相対性理論と素粒子論を結合するホーキング氏らの試みの話に移り」に「氏」を付け加えられた。学術論文などでは「氏」なども含めて敬称はつけない。我々はそれに慣れていて特に異和感はないのだが、新聞などではあった方がいいのか? まああまりこだわらずにこれもOKとした。

  3. さらに文章の途中に私が「、」で続けて書いたところが「。」と止められていることがわかった。担当者にメールで確認しているところ。校閲部が「読みにくい」と切ったらしい。
    わたしは「えんえんと続く」表現をするためにわざと文章を切らないで続けたのだが、それを汲み取れずに切ったらしい。えんえんと続けてダレないように一所懸命続け方を考えて書いたのに、これはがっくり。
    ということで、担当者にお願いして「、」と「。」はwebは私の原文通りにしてもらった。そんなに読みにくいでしょうか?? 新聞とバージョンが違っているので、どちらがどうだか、両方お読み頂いて意見を頂けるとありがたいです。
「セバスティアン」:2002年3月12日(火)夕刊
この文章の経緯は本文にある通りである。第3回で書いた電子カルテMAJUNの成果発表会のため上京した折に訪れた「プラド美術館展」で観た絵のことを書いた。一通り観て歩き、戻って再びこの絵の前に立ったとき、見ているものの正体に気づき、強い衝撃を受けた。外へ出てロダンの像の前に行き、前半の詩のような部分の2/3程をPalmに書き留め、美術館を後にした。その日の深夜に帰宅し、図録の解説を眺めてからインターネットで絵と題材になった人物について調べ、前半を文章的に整形してから後半の状況解説を書いた。2時間ばかりの作業であったか。
つれあいにこの文章を見せたところ「重い」とのこと。私は書く事自体は楽しんだのだが、ストレートに表われている感情の内容が重いものなのかも知れない。
だが一瞬にして現われたこの感情は貴重なものだと思った。それは驚きと、畏敬の念であったか。畏敬の半分は画家に対するもので、残りの半分は画中の人物に対するものであった。私は300年以上前に生きたこのセバスティアン・デ・モーラという人物に敬意を表したいと思った。だからこれを記事にすることにした。
会期中に上京の機会のある方は、ぜひご覧になることをお薦めする。
文章自体は、絵を見たことがないとわかりにくいか、と、webページをみたあとでやや反省。本文のリンクから絵そのものをたどるか、検索エンジンで「ベラスケス」と「セバスティアン」を検索すると幾つかのリンクがでてくる。
しかし、実物を観た方がはるかによいことは間違いない。

ところで、後日談だが、これを書いたずっと後、6月5日の新報文化欄にこの展覧会のことが、「セバスティアン・デ・モーラ」の写真と共に掲載されている。あと10日しかないじゃん。もっと早く紹介すればいいのに。^^;;

ロボカップ:2002年3月26日(火)夕刊
出会いとは面白いもので、まさか講演しに行ったMacWorldのすぐそばでロボットのサッカー試合をやっていて、しかもその関係者と知り合えるとは不思議なことである。あまりに面白そうな話をしているので、隣に座っていた関係者にいろいろと聞いたのがきっかけであった。九州大学の先生であったようです。(お名前を聞く機会がありませんでした。)試合を観戦に行ったら親切に説明いただき、どうもありがとうございました。
アイデアとテクノロジーからなるゲームを外乱がさらに面白くしているというのは、真理だろう思う。不確定要素が運命を決定づける。そのランダムさが面白い。ロールプレイングゲームなどでも、そのような不確定要素があるところが面白い気がする。予定調和的に結果が決まっていては全然面白味がない。

今回の3Dイラストは、私自身が以前に「Shade」の習作として描いたもの。なつかしのフライデー(「宇宙家族ロビンソン」)だが、広角レンズの視角によるデフォルメのせいか、足部分がやや大きすぎるかも。

本屋の価値:2002年4月9日(火)夕刊
実を言うと、沖縄ではついぞ本屋らしい本屋をみたことがない。以前国際通りから沖映通りにあった球陽堂がいちばんマシだったような記憶はあるが、その店は既に存在しない。(→店舗移転し、現在は国際通りの安里よりにあるそうです。情報有り難うございます、當間さん。)内地の大都市に行くといちばんうらやましいのが、まともな本屋があることである。
しかしそのような大都市の大規模書店であっても、少しづつではあるが品揃えのコンビニ化は徐々に進んでいるところをみると、これは書籍というシステム全般の問題であって、それがフロントエンドの、しかも小規模な本屋により明瞭にあらわれているということではあろう。その意味では沖縄の本屋**のみ**を非難するには当たらないのだが、なんといってもわれわれはここで生きているのだから、やはり一番問題視せざるを得ない。
書籍システムの問題とはなにか? まずはくだらない本が多すぎる。有名人なら小学生の作文以下(ってそれではりっぱな小学生の作文に失礼な気もする)のものが活字になって、それがビジネスになってしまうのだからまいる。広告代理店のシステムが各方面でいかに成功しているかということであろうが、まあそれに騙されて買ってる方もねえ、と思ってしまう。まあこれは別に本に限ったことではないのだけれどね。
殆ど「ノイズ」としか言いようのない屑本が山のように平積みされているのをみると、さすがにげんなりしてしまう。
とはいえ、長年の習性で、新聞ではああ書いても、時間があればすぐさま書店に入ってうろうろとしだす私ではある。

などと書いていたら朝日新聞で興味ある記事をみつけた。書店の店員さんによりこの様な活動が行われることが、本来の書店の再生の道か?

泡瀬干潟:2002年4月23日(火)夕刊
原稿を投稿する際、「政治的色合いが強すぎる」と妻から言われた。別にそうは思わない。私は開発賛成派にも反対派にも特別なつながりはない。ただの沖縄県民の立場である。

ここにある写真は、泡瀬干潟の現在開発が取り沙汰されている部分の写真である。http://homepage2.nifty.com/~jaga/awase/にある写真の一枚を、掲載者の許可を得て切り取って使用してある。オリジナルは「>ジュゴンネットワーク沖縄<」からの提供だそうである。写真の使用許可をどうもありがとうございます。
写真中央上の少し黒い陸地部分が沖縄市運動公園で、そこから写真右につらなる陸地部分が泡瀬地域である。開発予定地域は写真の運動公園の下側からさらに下の白い砂浜の様な部分の間で、左側への広がりの部分である。

あそこは本当に静かでよい場所である。沖縄市の方々はあまり行ったことがないのだろうか。その静かさは本当に貴重である。あの場所は賛成派も反対派も関係なく、どんな気分でそこに赴いても、受け入れ、心を鎮めてくれるだろう。この場所にはなにかそういう普遍的なものを感じる。特別な場所だと思う。
「もののけ姫」の宮崎駿氏がかつてテレビの番組で話していた。「(森が)役に立つから残すのではない、神様のものだから残す」と。触れられないことによってその場所は奥深く、豊かな意味を持ちつづける。
泡瀬干潟にはなにかそれに類するようなものを感じる。沖縄が海の世界であれば、森の話が海の森の話であってもおかしくはあるまい。

沖縄市、特に胡屋周辺の衰退ぶりには驚く。ゴヤ十字路近辺の商店街の多くが店を閉め、閑散としている。泡瀬に商店街ができたことと、またそれ以上に北谷・美浜の商業化が大きく影響しているように思われる。ゴヤ近辺が、店も人も美浜に移動した感がある。
泡瀬干潟の開発はそのように冷え込んだ沖縄市経済の「活性化」のためにと、望まれているようである。7年間の継続的な土地整備ということであれば、土建業界は確かにその期間は潤うであろう。(とはいえ、地図上の開発面積のの90%ほどは国が負担することになっている。大手ゼネコンが入るのでは?)
問題はそうしてできた土地になにを作るかだ。西海岸から道路整備してアクセスをよくし、大規模リゾートを建設するのが大きな柱のようである(計画上、想定されている利用面積の最大部分はリゾートである)。西海岸からのアクセスがよいとして、ここはリゾートの立地に適しているのか? 西海岸は全体としてリゾートとして整備され、周辺環境を含めて「リゾート」である。西側だから夕日もきれいだろう、おそらく。東はそもそもがそのような開発がなされていない。周辺にきれいな景観のないリゾートは、受けいられるのか? 西の「バックアップ」にしかならないということはないのか? そもそもなんらかのそのような懸念を乗り越えて、リゾート会社がここに来るのか? 仮にそこまでが成立したとして、泡瀬が美浜化しても、胡屋近辺にはなにか福がもたらされるのか? 沖縄市(胡屋近辺)そのものがもつなんらかの魅力・オリジナリティを開発していかなくては、ただの素通りされる場所になってしまうのではないか?

先日の「泡瀬干潟に関するシンポジウム」での開発推進派の方々の発言は、そのような懸念を全て先送りしているように思われた。ラムサール条約に登録も可能といわれる貴重な干潟景観を破壊して10年後の干潟跡地に現われるもの、またその結果としての沖縄市の経済活性化の成否について、現沖縄市長以下開発推進派の人達は、危ない橋を渡り、また重責を負うことになったと言えそうである。

インターネットと地域:2002年5月7日(火)夕刊
インターネット以前、「BBSてだこ」という草の根パソコン通信に加入していた。当時いくつかのパソコン通信に参加していたが、BBSてだこはその参加者の多様性とアクティビティが際だっていたのではないかと思う。メンバーでいわゆる「オフ会」を開くのはよくあることだが、我々はそこで「勉強会」をやっていた。メンバーが趣味とする古天文学の講義、心臓についての講義、伊計島で「星を見る会」を行ったときは、故吉嶺全二氏に依頼して沖縄の海の過去と現在を比べたスライドによるプレゼンテーションを行ってもらった。この日はまた、先ごろまでFM沖縄に定期出演されていたナチュリストの諸喜田さんにもカヤックで参加して戴いた。また源河川にリュウキュウアユを復活させる活動をしていた学生さんの研究費の助成カンパとして、彼が海外青年協力隊として派遣されていたときに覚えたボリビア料理を楽しみカンパする会などなど..とにかくいろいろなことをやった。
特徴としては、いわゆるネットワーカーだけでなく、その周辺からアクセス可能なさまざまな人達と、通信ネットワークでない人のネットワークも含めたコミュニケーションをしていた。
新聞原稿に書いた如く、インターネットをユーザーが利用するようになり、パソコン通信もなくなり、ネットワーク上の関係性が拡大的に再構築されるににつれて、そのようなつながりがうすれてしまった。

それからもう7年たつが、先日、当時の北海道のユーザーが沖縄に来ると言うのでオフ会を開いたところ、多数が集まり、聞いてみれば「こういうのやっぱりいるよね」という意見が多数持ちあがった。
そこで今回オフ会用に一時的のつもりで作った「BBSてだこ旧ユーザーML」をそのまま維持していくことになった。

そこで、旧BBSてだこユーザーを探しています。興味のある方はメールください。
また、新規参加者を求めるかどうかを、現在検討中です。通信と非通信のミックスでどのような地域コミュニケーションができ上がるのか、また新しいできごととして自分自身も興味を持っている。

注:掲載写真に写っている方々には許諾をとっていませんが、画像自体がもとの写真のできと縮小のせいで、自分でないとわからないレベルにつぶれていると思いますので、そのままにしておきます。何かあればメールを>関係者の方々。

消え去り、消えぬもの:2002年5月21日(火)夕刊
音楽について書いた。先日車でラジオを聞いていたら山下達郎が自分の番組で話していて、過去のダイナミックレンジを重視した録音と、現在のフルボリュームで録音した音楽の違いを、非常に熱っぽく語っていた。「いまの音楽は音か顔にぺったりとはりついている」と表現していたと思うが、音楽表現に関する非常につよいこだわりがあるのが感じられた。

この項目だけ敢えて乱暴に言ってしまうと、いまの音楽はありゃなんだ、という気持ちがつよい。もうどうしたってこれは音楽じゃないぜ、というものがまかり通って、どころか大ヒットしているのをみると、おいおい、大丈夫かよ、と思ってしまう。日本人って音楽を聞く耳がなくなっちゃんだんじゃないの?、という感じだ。
デジタルな音楽に真実がないとは言わないが、..さてなにをどうかいたらよいのやら。ここはこれからも思いつくたびに書き足すかも知れない。

ちなみにおごちゃんのwebsiteにある「心に残るクールな引用のページ」に2chからの引用として「女性の美貌は氷の彫刻。完成したその時からもう融け出して いる」とあるが、これは新聞記事で引用したエリック・ドルフィーの言葉によく似ている感じがする。なかなか興味深い。

vinさんのこと:2002年6月4日(火)夕刊
vinさんは上の「BBSてだこ」の写真のまん中に立っている。この時はトレードマークだったボルサリーノ帽は身につけていない。
一夜の夢と:2002年6月4日(火)夕刊
今回でコラムは終了である。2週毎に記事を上げるというのは、けっこうきついものであった。本コラムの先輩で職場の先輩でもあるA先生に「書き溜めておいた方がよい」と言われ、実行していたのでだいぶ助かった。アドバイスありがとうございます。
が、そのようなストックから出すつもりが、その時になってあらたな話題が出てきたので急拠そちらに変えたものもある。「セバスティアン」「ロボカップ」「泡瀬干潟」「インターネットと地域」などはそれにあたる。そういうときは締切のぎりぎりのぎりぎりになってから原稿を送ることになり、担当者の方やだいぶやきもきされたかもしれない。
原稿の一文字・一句の推敲という意味では非常に勉強になった気がする。字数内に収めながら適切な言葉を選び、文章の濃度を上げていくのは面白い作業だった。問題なのはなんぼ推敲してもまだし足りない気がして、どんどん時間が経ってしかもいつまでも終らないことだった。^^;;
それにしてもこういう場合の急ぎの調べ物にはインターネットが実に便利なのであった。辞書から事実関係までその場で調べられるのは強い。

新聞稿の最後の引用はシェイクスピアの「真夏の夜の夢」のラストからである。訳は坪内逍遥。このためにシェイクスピア全集を見直していたら、彼が芝居の最後にこの手の口上を述べさせて拍手を求めている作品がけっこうあるのに気づいて、興味深かった。

本ページのイラストは以下の素材サイトから利用させて戴きました。どうもありがとうございます。ちょっと色なんかつけたページを作ってみようというついでに、イラストも使ってみることにしたのです。
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